元「モーレツ社員」のPTAデビュー〜中澤日菜子『PTAグランパ!』
静まり返る教室。他人と目を合わせないよう目を伏せる保護者たち。刻々と過ぎゆく時間。新学期、PTA役員ならびに各クラスの委員決めの際によく見られる風景である。私なども最盛期(?)は息子3人それぞれの教室で、キリキリと胃の痛む思いをしたものだ。できれば面倒な仕事は引き受けたくないと思うあまり、本来力を合わせるべき保護者たちの間にさまざまな対立が発生しがちである。何度も役員や委員を引き受けている人vs一度もやったことのない人、専業主婦vs兼業主婦、ひとりっ子の親vs子どもの多い親、などなど。
さて、本の題名からも予想できるように、本書はおじいちゃんがPTA活動に関わる話である。主人公の武曾勤は元サラリーマン。2年前に65歳で大手家電メーカーを退職した、いわゆる「モーレツ社員」だ。妻で専業主婦の幸子との間にひとり娘の都がいる。離婚した都が、やはりひとり娘の友理奈を連れて実家に戻ってきたことから騒動が勃発。
その騒動というのがまさにPTAに関係しているのである。友理奈が小学校に入学して初めての保護者会で、都がPTA執行部副会長のくじを引き当ててしまった。しかし、友理奈はシングルマザーかつ商事会社の課長職にあるエリート。仕事をしながら副会長を務めるのは物理的に無理である。そこで白羽の矢が立ったのが勤だったのだ。孫娘の友理奈のためにとしかたなく初の運営委員会に出席した勤はそこで、都自身が副会長を引き受けなかったことに対して嫌みを言ってくる会計監査(前年度会長)・吉村雅恵や、腰まで伸びた金髪をひとつに束ねた若い父親で新会長でもある織部結真や、忙しい夫には家事の分担を期待できず3人の息子の世話とパート勤務でいっぱいいっぱいのもうひとりの副会長・内田順子らと出会う。会社員として働いていた頃は出世のことしか頭になく家のことはすべて幸子に任せきりにしていた勤にとっては、誰も彼もが会ったことのない人種、何もかもが驚くべき体験。強引で不器用で融通が効かないけれども一途で愚直でくそ真面目な勤は、周囲の人間に影響を与えたり与えられたりしながら、体当たりでさまざまな問題に立ち向かっていく…。
父親の参加もだいぶ増えてきたとはいえ、まだまだほとんどの学校でPTA活動を支えているのは母親たちの働きであろう。それゆえに冒頭に述べたような対立が起こる。そこに勤という異分子が飛び込んできたことによって、新たなトラブルが発生する一方、新風が吹き込むきっかけともなった。そして、勤自身にも変化が。雅恵によって、PTA活動はあくまで子どもたちのために行われるものだということを改めて認識させられる。結真によって、世間体を気にするよりも重要なことがあると教えられる。会社員時代の同期で現在は順子と同じスーパーで働く秋山寛治によって、存分に仕事に打ち込むことができたのは家族の支えがあったからこそだと気づかされる。
勤が副会長の仕事を引き受けなかったら、もしかしたら何も変わらないままだったかもしれない。私自身も(PTA執行部役員までの大役を務めたことはないが)委員を引き受けたことによって得たものは大きかった。委員をやるのとやらないのでは、やらない方が断然楽なのは確かだ。でも、やってみて初めてわかることもある。学芸会で保護者と教職員有志によるお芝居をするということで、演技に四苦八苦する勤に結真が言った「どうせやるなら面白いモン作って、子どもたち喜ばせましょうよ」のひと言は、PTA活動にも通じるものがあると思う。どうせやるなら前向きに。都や順子以上に家庭事情が厳しかったり、気の合わない人ばかりの集団に入っていかなければならなかったりと、実際には小説のようには事が運ばないケースが大半だろう。それでも、気の持ちようで少しは楽になれることもある。ちょっとずつでも自分が活動に加わる意義やいろんな人の意見を聞くことの面白味を感じられるようになったら、不満はだいぶ軽減ざれるのではないか。
著者の中澤日菜子氏は、もともとは出版社勤務の傍ら劇作家としても活躍。戯曲で複数の賞をとった後、2013年に第8回小説現代長編新人賞作品となった『お父さんと伊藤さん』(「柿の木、枇杷も木」を改題)で小説家デビュー。勝手に純文学作家というイメージを持っていたのだが、本書は演劇畑という出自が活かされたエンターテインメント色の強い作品。好きな落語家がエッセイの名手でもある立川談春さんだそうで、軽妙でいてほろりとさせる作風が共通するものである気がする。
(松井ゆかり)
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