お金持ちの象徴・高台の「崖っぷち住宅」が日本で誕生した背景とは

 お金持ちが住むところというと、現在ではタワーマンションの最上階を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。では、まだタワーマンションのなかった、明治時代のお金持ちたちは、どこに住んでいたのでしょうか。

 明治維新から20年ほどの歳月が流れた頃、東京の人口は100万人台に。さらに1886年の銀本位制への移行に伴い、企業設立ブームが到来し、都市部に人口が集中すると、庶民は低地に居住する一方、華族や官吏、軍人ら裕福な者たちは、雨が降っても水はけがよく、陽の光がたっぷり注ぐ、視界も良好な高台、いわゆる「崖っぷち」に好んで居住したといいます。

 また明治中期には、坪内逍遥や森鷗外をはじめとする文豪たちも、崖っぷちに居を構えたそうです。なかでも崖っぷちが大きなブームとなったのは、明治後期。郊外の崖っぷちに別邸を建て、平日は都心の住居を拠点に働き、週末にその別邸で暮らすという生活スタイルが、地位ある者たちのステータスとなったのだそうです。

 こうした崖っぷち住居に焦点を当てた、小林一郎さんによる本書『金持ちは崖っぷちに住む』では、お金持ちが崖っぷちを好む理由をはじめ、文豪たちが住んだ崖っぷち住居を紹介、さらには長崎、神戸、芦屋、熱海、葉山など、全国各地にある崖っぷち住居を紹介していきます。

 全国にある崖っぷち住居。小林さんがまず、その筆頭にあげるのは、長崎の旧グラバー住宅。今や長崎を代表する観光スポットとなっているため、訪れたことのある方も多いのではないでしょうか。

 この旧グラバー邸は、幕末に来日し、日本の緑茶を輸出することによって、一代で巨額の富をなしたトーマス・ブレーク・グラバーの住居。事業で成功を収めたグラバーは25歳のとき、見晴らしの良い標高46mの崖の上15500坪を購入し、自宅を建てたのだそう。

「風光明媚な長崎湾を見渡す方向に向かって西側に居間と寝室、南側に客用寝室を逆L字型に設けただけ(隣接して使用人と夫人のための付属屋を設けている)の建物である。周りをベランダで囲んだバンガロー形式の建物であった。このL字型の住居は、事業の拡大とともにT字型へと増築され、現在のクローバー型になっている」(本書より)

 あるいは、葉山御用邸の存在でも有名な地、葉山には、マリーナ近くの山の上に北里柴三郎、堀内地区に東伏見宮、後藤新平、山本権兵衛、三ヶ岡山周辺には宮城道雄、高橋是清、山口蓬春、秩父宮、有栖川宮、桂太郎、池田勇人、伊東深水、安田善次郎……と、錚々たる人物たちの別荘が、その崖っぷちに建設されたといいます。

 お金持ちたちにとっての、ひとつのステータスであった崖っぷち住宅。街を歩く際にも、崖っぷちという視点から眺めてみると、いつもの風景も少し違って見えてくるかもしれません。

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