103歳の美術家が語る、「100歳を過ぎて生きること」とは
1913年生まれ、数えで今年103歳を迎えた、美術家・篠田桃紅さん。日中戦争、第二次世界大戦を経て、1956年には単身渡米。5歳より書に専念する日々を送るうち、次第に文字という決まりごとに窮屈さを覚えるようになった篠田さんは、独自の墨による抽象表現を模索しはじめます。
篠田さんは自著『一〇三歳になってわかったこと』で、当時の想いをこう振り返ります。
「たとえば、川という字には、タテ三本の線を引くという決まりごとがあります。しかし、私は、川を三本ではなく、無数の線で表したくなったのです。あるいは長い一本の線で、川を表したい。
文字の決まりごとから離れて自由になりたい、新しいかたちを生み出したい、と私は希うようになり、墨による抽象表現という、自分の心のままを表現する、新しい分野を拓きました。幸いにも、私の作品は、ニューヨークで評価されて、世界にも少々広がりました」
自由に女性が生きるということに、今よりも風当たりの強かった時代にあって、ひとり孤独に徹しながら生きてきた篠田さん。同書では、103歳を迎えたいま、芸術に徹した人生を振り返り、何を思うのか、人間や生と死についても語られていきます。
歳を重ねていくことで、失われるものと得るもの。得たもののひとつとして、篠田さんは「自分の見る目の高さ」が年々あがっていること、つまり、ものごとを見る際の自分の目に変化が生まれてきたことを挙げます。
同じものであっても、10年前の90代のときと現在とでは、見えてくるものが異なり、たとえばある人を思い起こしたときには、その人の違う面が新たに見えてくるようになってきたといいます。
ものを見る目の高さが高くなったことで、達観して物事をとらえることができるようになったこと。それは自分自身を俯瞰する視点を得たことでもあり、「百歳を過ぎて生きることとはどういうことなのか。一つには、別の立場から客観視している自分と向き合うことなのかもしれません」と綴る篠田さん。
しかし同時に、人間はいつまでたっても不思議な生き物であるともいいます。
「人というものが、どういうものであるか、わからないから、文学、芸術、哲学、さまざまな活動をして、人は模索しているのです。なんでこんなことをやるのだろう、ということを一生懸命にやっているのです」(同書より)
今なお作品を生み出し続ける篠田さん。巻末には、篠田さんの作品を収蔵する美術館や公共施設等も記載されているので、その生き様を学ぶとともに、是非、作品の元にも足を運んでみてはいかがでしょうか。
103歳の美術家は、いま何を思うのか
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