「表現の自由」の抑圧 小説家の実感は?
出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
第67回の今回は、2月に新刊『宰相A』(新潮社/刊)を刊行した田中慎弥さんです。
小説家の「T」が迷い込んだパラレルワールドの日本と、日本人を差し置いてその地を支配するアングロサクソン。そして首相の名前は「A」…。
あからさまにモデルが特定できる挑戦的なタイトルと、タイトル以上に過激な内容が、昨年文芸誌上で発表されて以来大きな話題を呼んでいるこの作品はどのように構想され、書き上げられていったのでしょうか?注目の最終回です。
■「表現の自由」小説家として感じること
――主人公の「T」は小説家ですから、これは当然田中さんご自身だと読めます。作中で「T」はどんな事態に巻き込まれても、小説を書くために必要な「紙と鉛筆」を求めるのですが、田中さんにもこういった感覚はありますか?
田中:作家というのは結局、文章を書くのが一番大事なことです。たとえ、「小説以上に大事なものがあるだろう」「紙と鉛筆なんて言っている場合じゃないだろう」という状況であっても、作家なんだから小説を書かないといけないし、誰もそれについては手助けをしてくれないというのは私も「T」も同じですよね。
これは「表現の自由」や「言論の自由」を守らないといけないということとは別問題で、単に“メシのタネ”として、生きていくために書かなければいけないので、それはもうどんな状況であっても書くということです。
――「表現の自由」というお話が出ましたが、作家として活動されていて「表現の自由」や「言論の自由」が脅かされていると感じることはありますか?「T」が迷い込んだ世界では、小説も含めた芸術活動から自由が奪われ、認可制になってしまっていますが……。
田中:「シャルリエブド」の一件があって以来、「表現の自由」についてしきりに議論されているのは認識していますし、個人的には表現にも言論にもある程度の制約はもともとあるものだと思っています。その制約についての自分の意識が、何か社会的な抑圧によって今までとは違ったものになってきているという実感は今のところありません。
ただ、こういうことは「実感できた時」にはもう遅いですよね。
少し前に、爆笑問題がNHKで漫才ができないということがあって、個人的には“政治ネタとして単にキツすぎたんだろう”という感想だったのですが、じゃあ爆笑問題のネタをボツにするという判断が今までと同じ価値観でもって下されたのかと考えると、どうもそうではないような気がしています。本当にこのままで大丈夫なのかなとは思いますね。
表現の枠が狭まっているという実感はないにしても、そういうことをまったく感じていないわけではないからこそ『宰相A』はこういう小説になったのかもしれません。小説の中のどこにそれが出てきているかというのはまだはっきりとはわからないのですが。
――人生に影響を受けた本がありましたら、3冊ほどご紹介いただけますか。
田中:影響を受けたということでいえば、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』という随筆です。谷崎は小説だけでなく随筆にも耽美的で芸術至上主義的なところが端的に表れています。善悪や倫理ではなくて、美しいことが一番だという価値観もあるんだなということをこの作品で見せつけられましたね。
川端康成の『雪国』も影響を受けたといえるかもしれません。最近自分の書く文章のセンテンスが徐々に短くなってきているのですが、これは『雪国』の影響が今になって出てきたのかなと思うことがあります。
最後は『ジャックと豆の木』です。最後にジャックが豆の木を切り倒したことで、雲の上に住んでいた巨人が地上に落ちて死んでしまうのですが、この話が好きで子どもの頃からよく読み聞かせてもらっていましたし自分でも読んでいましたから、どこかで潜在的に影響を受けていると思います。
――最近の読書の傾向はどうなっていますか?
田中:傾向としては古いものが多いですね。コーマック・マッカーシーなんかを読んでいると、荒野をさすらって時々人を殺す、みたいな話が短くて切れのある文体でぽつぽつと出てきて切り替わる。こういう書き方もあるんだなと思いました
――“巨匠”と呼ばれるような作家の本を読むことが多いんですか?
田中:マッカーシーの本ばかり読んでいるわけではなくて、いろいろ読んでいます。最近だと中村文則さんの『教団X』を読んだのですが、もう背中が遠くなってしまって追いつけないという感じですよね。この間ご本人にも言いましたけど。
――最後になりますが、読者の方々にメッセージをいただければと思います。
田中:この小説を読んで笑ってすませられますか?それとも笑えないですか?ということですね。今の日本に住んでいるという実感をどのようにお持ちなのか。この小説を笑えないならそれはすごく怖いことですよ、と。
■読者からの質問コーナー
――小説を書き始めた頃と今とで変わったこと、逆に変わらなかったことをそれぞれお答えください(20代女性)
田中:変わっていないのは、とにかく毎日書くということですね。変わったことは、インタビューでもお話したようにワンセンテンスの長さです。以前は比較的長かったのですが、だんだん短くなってきています。
――芥川賞を同時受賞した円城塔さんと飲みに行くとしたらどうしますか?(20代女性)
田中:円城さん、お酒飲むんですかね(笑)。もし行ったとしたら円城さんは頭がいいから難しいお話になりそうですね。それを私がずっと聞くっていう。
――今日の気分を漢字一文字で表すと何ですか?(20代女性)
田中:今日の気分ですか!?割と明るい気分なので「明」にしておきましょうか。いい天気ですし。
――自作で一番気に入ってる作品はなんですか?(20代男性)
田中:もちろん全部大事で、それぞれに長所と短所があるのですが、今考えるとデビュー作の『冷たい水の羊』には今の作品につながる色々な要素が含まれていたと思います。
■取材後記
文学に疎くても、政治に興味がなくても、一読すればこの作品が「何かとてもヤバいもの」を表現していることがわかるはずだ。そして、その「ヤバいもの」とは、まぎれもない、私たちが住む日本なのである。
「この小説を読んで笑ってすませられますか?それとも笑えないですか?」というメッセージをくれた田中さん。個人的には、やはり『宰相A』で描かれた日本を「単なるパラレルワールド」と片付けることも、この作品自体をいちフィクションとして消化して、次の読書を始めることもできそうになく、今回のインタビューが原稿としてまとまった今も、この作品を読み終えた時に感じた不気味な重苦しさが心に残っている。
(取材・記事/山田洋介)
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