ヒーローさえ沈鬱な霧に沈む歴史のなか、一瞬だけ輝く「夏の日」

ヒーローさえ沈鬱な霧に沈む歴史のなか、一瞬だけ輝く「夏の日」

「立派なヒーローとは、どんなヒーローだろう?」。能力を得たイギリスの青年ヘンリー・フォッグはそう自問する。

 1932年、ドイツの科学者フォーマフトがおこなった「蓋然性への干渉」実験によって、大きく歴史が揺らぐ。フォーマフトの波動は全世界に広がり、原子以下のレベルで遺伝子に影響を与えた。ごく微細な変化だが、それによって能力を発現させる者があらわれる。彼らはドイツ語ではユーバーメンシュ、英語ではオーヴァーマン(超人)と呼ばれた。アメリカは〈リーグ・オブ・ディフェンダーズ〉なる超人チームを組織して、その活躍をメディアで大々的に喧伝する(ニュース映画での彼らの扱われかたは、まるでアニメ「TIGER & BUNNY」劇中の「HERO TV」そっくりだ)。それを観てフォッグは違和感を覚える。これが立派なヒーローなのか? 彼自身はイギリスの軍務局にスカウトされ、保守的な上司(彼も超人)オールドマンのもとで特命をこなしている。主体となるのは諜報活動。「わたしたちは影の男であり、人に見られないことが本分」というのがオールドマンの信条であり、フォッグを「優れた観測者」と評価している。

 しかし皮肉なことに、派手に動きまわるアメリカのヒーローよりも、観測者たるフォッグのほうが世界を左右するカギを握ることになる。彼は第二次大戦でドイツに占領されたパリに潜入し、そこでひとりの女性の導きで魔法のような光景を目の当たりにする。それはこの世界とは切り離された「完璧な夏の日」、時間が止まったサンクチュアリだ。娘自身もゾマーターク(夏の日)と呼ばれている。じつは彼女はフォーマフトの娘であり、彼が波動の装置を作動させたときに一緒にいた。

 フォッグはゾマータークと会ったのち忽然と姿をくらまし、それ以来ずっと、オールドマンは彼を探しつづけてきた。オールドマンは「完璧な夏の日」が、フォーマフトの波動(それは減衰せず、いまなお世界を呪縛している)を解除するカギだと確信している。そして現在(本書が発表された2013年と考えてよかろう)、オールドマンはフォッグに追いついた。フォッグを捕捉したのは、第二次大戦当時に彼の相棒だったオブリヴィオンだ。オールドマンとオブリヴィオンに促され、フォッグは過去を断片的に振り返りはじめる。時間がモザイク化され短い情景がつらなる形式は、きわめて映画的だ。この物語には特権的な話者として「われわれ」がおり、それはおそらく「観測」のテーマと深く関わる仕掛けなのだろう(本書の解説を担当した渡邊利道さんがずばり指摘している)。だが、ぼくは素朴に、「われわれ」とはスクリーンのこちらがわの観客かと思った。繰り返してこの作品を観て、さまざまな解釈を重ねている観客である。

「観測」がテーマといっても、グレッグ・イーガンのような物理理論と形而上学をまたぎ越す強力なロジックは本書にはない。フォーマフトの波動による突然変異と歴史線の切り替えは、パルプ小説やアメコミじみたチープさであり、それがむしろ味わいになっている。チープと言えば、超人たち一人ひとりも能力も《X-メン》ばりのバラエティだ。フォッグはその名の通り霧を操り、オブリヴィオンは物体の分子を崩壊させて消し去る。そのほか、痰を弾丸にして撃ちだすスピット、ひとの記憶や印象を操作するマフェントラウム、時間を巻き戻すミセス・ティンクル、水中ならお手のもののフロッグマン、などなど多士済々だ。しかし、これらの能力が描かれるシーンはごく限られ、向こう受けのスペクタクルもほとんどない。物語の空気は暗く沈んでいる。

 超人は老化をしない。歳をとることができないため、過去の因縁をそのまま引きずって生きている。オールドマンがフォッグを追いつづけたのも、その時間の呪縛による。また、第二次大戦で敵だったナチスのユーバーメンシュへの憎しみはくすぶり、ソ連の超人たちとの確執はしこりになり、アメリカの〈リーグ・オブ・ディフェンダーズ〉への軽蔑も消えない。しかし、それらの感情も、大きな時代のうねりの前ではしょせん塵に等しい。ベトナム戦争、アフガニスタン紛争、同時多発テロ……。泥沼のような暴力と混乱がすべての超人を飲みこんでいく。この状況下では、かつてフォッグが憧れた「立派なヒーロー」はどうやっても存在しえない。

 その沈んだ階調のなかで、「完璧な夏の日」ばかりが明るく輝いている。しかし、それはフォッグの記憶のなかにしかなく、しかもその前後のつながりが曖昧なのだ。フォッグははたしてその「夏の日」を取り戻すことができるか? オールドマンは「夏の日」の秘密を解いて、フォーマフトの波動の呪縛を解消できるのか? そのとき「われわれ」は何を観るのか?

(牧眞司)

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