上橋作品の糧となった旅エッセイ『明日は、いずこの空の下』
“自分にないものに魅了される”という心の動きは確かに存在する。不良少年と深窓の令嬢の恋愛ものなどでよくみられるパターンだ(「愛と誠」しかり、「あしたのジョー」しかり)。しかしながら、もちろん個人差というものがあり、例えば私などは友だちも基本的に自分と似たようなタイプばかりである。さらに夫と私は顔立ちまで似ていると言われ、その結果家族5人ともほぼ同じ顔をしていたりする。
と、現実世界では自分と似たタイプ(もしくは顔)に囲まれて暮らしていても、本を読むなら思い切り日常とはかけ離れた世界に触れてみたい気持ちもある(自分と似たタイプの主人公の物語しか読めないとなったら、”趣味はスーパーのチラシ比較と駅伝鑑賞・特技はヨーヨー釣り”などという超絶地味なヒロインが出てくる本を探すのに苦労することだろう)。殺人犯や超能力者とは無縁だからこそミステリー小説やSF小説を楽しめるわけだが、旅行エッセイによって自分がいるのとは遠く離れた場所のことを知るというのもまた、読書の醍醐味だ。
旅行の楽しみを知らない両親に育てられたせいか私自身もたいへんな出不精で、遠出と言ったら夫の実家に行くくらいがせいぜいだ。しかし、その反動ゆえか、旅行エッセイはほんとうにおもしろく感じる。著者の上橋菜穂子氏も「変化は苦手、お布団にもぐりこんで、好きな本を読んでいられたら幸せ」なタイプだそうで、しかし、「心のどこかに、そういう自分を恥じる気もちがあって」「自分に掛け声をかけて、思い切った変化の波に飛び込んでいったことが、何度か」あったとのこと。本書は、上橋氏が異国の地で体験したハプニングや出会った人々や心に染みたできごとについて綴られている(エディンバラで道に迷った著者を助けてくれたシスターの話と、イギリスの朝食やラズベリーの話が好きだ)。旅を好みいろんな国々をバリバリと飛び回っている人の旅行記は当然いきいきとした描写が興味深いものだけれど、おっかなびっくりの手探り状態で旅に出ている人の文章というのもまた乙なものである。その人が旅先で感じる戸惑いや見舞われるトラブルなどが、自分に近しいものと感じられるから(まあ、上橋先生と私では”旅慣れない”のレベルがまったく違うが)。
「作家というのはありがたい職業で、楽しい経験も哀しい経験もみな、作品を育てる糧になります」とは、本文中のひと言である。だとすれば、本書に書かれたあらゆるエピソードが、著者に『獣の奏者』(講談社文庫)や『精霊の守り人』(新潮文庫)を書き上げさせたということだ。我々読者は、上橋氏が訪れたすべての国々に感謝しなければなるまい。しかしながら、こうした考え方はすべての人間に当てはまるのではないだろうか、とも思う。つまり、人間にとっては楽しい経験も哀しい経験もみな生きる糧になる、ということだ。旅に出て経験することも本を読んで知識を得ることも、実際に出会う人々に教えられることも本の登場人物たちの思いを共有することも、現実の人生で体験することも架空の世界で想像することも、全部が自分の身になっていることだろう。ちなみに、八十を過ぎてスマホを使いたがったりあちこちに出かけたがったりするお母上や、八十三歳で描きあげた絵でこの本の表紙を飾るお父上(←洋画家でいらっしゃるそう。表紙・口絵ともほんとうにきれいな色使いなので、そちらにもご注目を!)という、氏のご家族にも見習うべきところが大きい。私も、これからも引き続きどんどん本を読み時には一念発起し遠いところへ出かけて行って、まだまだ成長しなくては。
(松井ゆかり)
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