あなたが人を殺す可能性について

あなたが人を殺す可能性について


今回はふとい眼鏡さんのブログ『誰かが言わねば』からご寄稿いただきました。

あなたが人を殺す可能性について

私が小学校一年生の時の話です。担任の男性教諭は静かな口調で話していました。

その時彼は還暦間近でしたが、六歳児達を前に涙を流していました。

彼にはきっと年端の行かない子供たちが無垢な天使のように思えたのでしょう。実際には私たちはずるくて自分勝手な単なる大人のミニチュアにすぎませんでしたが、彼にはそんなことは関係ありませんでした。今になって思うと、彼は自分の罪を懺悔したくても神父の役割を果たしてくれる人を生涯見つけることが出来ず、私達にその役割を負わせたのでしょう。しかし私は神父たる資格のない自分を愛するばかりの小さな人間ですから、彼の罪を墓場まで持っていくことはしません。

彼は第二次大戦中の大半を大学生として過ごしました。当時の日本では情け容赦なく召集令状を送りつけられたという印象を持っている人が多いかもしれませんが、実際のところ学生に対しては甘く、学徒出陣は戦争のかなり末期の話でした。ですから、彼が戦地に駆り出されたのは誰もが心の中で日本の負けを確信したよりも後のことでした。

彼が中国に行くと、当然のように新兵には試練が待っていました。今でも体育会系の人達は新人に最初の段階で試練を課して序列を叩き込もうとしますが、それと同様のことです。ただ幾つか異なる点がありました。ひとつは学のない人間にとってインテリは敵であるということ、さらに自分達が死地をさまよっていた時にこいつらはぬくぬくと内地にいたのだという怒り、そしてなにより皆がこの戦争は負けるのだと知っていたという点です。人はよく、不安や絶望を暴力という形で外に出します。そして自分の意思で行動していない者の集団は事態をエスカレートさせていきます。

結果、彼を含むインテリの新兵には過酷な試練が与えられました。それは木に縛りつけられた中国人を銃剣で突き殺せというものでした。突き刺した銃剣はすぐに引き抜け、さもなくば引き抜くことが出来なくなる。彼らに与えられた説明はそれだけでした。新兵達は一人ずつ順番に中国人を突き殺しました。そして彼の順番がまわってきました。彼も中国人を突き殺しました。その中国人が本当に罪人なのかどうかすら分からないままに。

私は中国政府が主張する南京大虐殺の被害者数を信じてはいません。しかし、当時の中国各地で日本軍によってスパイ容疑をかけられた多くの罪なき人々が虐殺されたこと自体は事実だと思っています。なにしろ、彼にはそんな嘘をつくべき理由などなかったのですから。

戦後、彼は教師となり数十年にわたって小学校の教壇に立ちました。主に五、六年生を担任し、いつしか先生と呼ばれることにも慣れていきました。児童の親からも先生と呼ばれ、子供たちに道徳教育を施し、退職を間近に控えた頃に志願して一年生の担任になりました。

彼は涙を流しながら最後にこう言いました。いかなる地位を得ても、尊敬を集めても、社会から認められても、私の心が満たされることはなかったしこれからもないだろう。大きな後悔の前ではどんな地位も名誉も値打ちがない。まったく価値がない。君たちは、私のようにはなってはいけない、と。

そして小ずるい子供だった私は順調に小ずるい大人になりました。

面白くもないのに笑い、バカバカしいと思いながら納得したふりをし、なんにも凄くない人に向かって凄いですねぇと言ったりもします。運良く平和な場所に生まれたから酒場のグチ程度の話ですが、なぜか今になって彼の言葉が思い出されます。彼が置かれた状況で、私は手渡された銃剣を投げ捨てることができるのでしょうか?愛想笑いさえ捨てられないこの私に?

あなたは、自分のような普通の人間には関係のない話だと思うのかも知れません。

しかし中国大陸で罪のない人を突き殺した人々は皆、普通の人間でした。当時の日本では出征を拒否して収監される人や戦場で敵軍に降伏する人が非常識な人間で、お国のためにと命を投げ出す人や上官のどんな命令にも全面的に従う人が常識的な人でした。そういった人達はきっと自分を普通の人間だと思っていたことでしょう。あなたがもし普通の人なら、状況さえ揃えば、あなたも人を殺すかもしれません。

空気を読めるのは日本人の長所です。しかし空気を読んでばかりで空気に逆らえないのが日本人の欠点でもあります。空気に流されるだけで自分の意思で行動しない者の集団は事態をどこまでもエスカレートさせてしまいます。彼と同じ状況で、あなたは手渡された銃剣を投げ捨てることができるでしょうか?

さて、あなたはどう思いますか?

ふとい眼鏡のブログ「誰かが言わねば」
http://futoimegane.hatenablog.com/

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執筆:この記事はふとい眼鏡さんのブログ『誰かが言わねば』からご寄稿いただきました。

寄稿いただいた記事は2014年02月27日時点のものです。

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