ビタミンB1発見100周年
女性には気になる栄養素、疲労回復やストレス、ダイエットにも効果があると言われているビタミンB1が発見されてちょうど100年。そしてその発見者は日本人でした。今回はさとうさんのブログ『有機化学美術館・分館』からご寄稿いただきました。
ビタミンB1発見100周年
3月16日は、日本、そして世界の生化学にとって重要な記念日です。帝国大学農科大学(現・東京大学農学部)教授であった鈴木梅太郎によってビタミンB1が発見されてから、ちょうど100年目に当たるのです。
鈴木梅太郎
今やまず見られませんが、明治時代に日本人を苦しめた病気の代表といえば「脚気(かっけ)」でした。やせ衰えて皮膚がむくみ、やがて末梢(まっしょう)神経障害から心不全を起こして死に至る病気で、徳川家定・家茂、皇女和宮など幕末の主要人物も脚気のために若くして落命しています。日清・日露戦争でも日本軍の兵士に多くの患者が出たため、その原因の解明は急務でした。
鈴木梅太郎は、ニワトリを飼う際に白米だけを与えると脚気様の症状を起こし、米ぬかや麦を与えると回復することを発見していました。彼は米ぬかに脚気を防ぐ成分が含まれていることを主張しましたが、脚気は伝染病であるという見解が当時は有力で、この説はなかなか受け入れられませんでした。
しかし彼は1910年3月16日、ついに米ぬかから脚気を防ぐ有効成分を取り出すことに成功します。彼はこの化合物に、米の学名から「オリザニン」の名を与えました。タンパク質・炭水化物・脂質などの主要栄養素の他に、微量だが健康を保つために不可欠な成分があることを示した点で、この研究はまさに画期的でした。
オリザニン(現在のビタミンB1)
が、医師ではなく農学者であった彼の発見は、なかなか医学界には受け入れられませんでした。特に強硬であったのは当時の陸軍軍医総監の地位にあった森林太郎、すなわち文豪森鷗外です。彼が軍隊の糧食を白米とすることにこだわったがために25万人の兵士が脚気にかかり、うち1割以上が落命したともいわれます(もっとも森は脚気研究の基礎を築いたとの評価もあり、一概には責められないという意見もあります)。
陸軍軍医総監・森林太郎(森鷗外)
鈴木が発表したオリザニンは純粋なものではなく、性質を十分に調べるには至りませんでした。これと同時期にイギリスのカシミール・フンクも同様の実験に取り組み、取り出した化合物を「生命(vita)に必要なアミン」の意味を持つ「ビタミン」と命名します。この言葉は鈴木のオリザニンを押しのけて普及し、後に「生体に必須(ひっす)の微量成分」全般を指す言葉となりました。
鈴木の命名したオリザニンの名は現在では忘れられ、ビタミンB1またはチアミンと呼ばれます。ノーベル賞もエイクマンに奪われ、欧米においてビタミン史が語られる時にも、鈴木梅太郎の名は往々にして無視されています。原因はいろいろあるのでしょうが、どうにも彼は栄光には縁の薄い生まれつきだったとしか言いようがありません。
オリザニン――あえてこの名を使います――のユニークな反応性は半世紀ほど経ってから解明されましたが、近年になってその価値が再認識され、N- ヘテロサイクリックカルベン触媒として流行の研究となっています(このあたりは『現代化学』3月号*1 にも書きましたのでご覧下さい)。
*1:『現代化学』2010年3月号 No.468 (株)東京化学同人
http://www.tkd-pbl.com/book/b56173.html
先人の研究の上に立って仕事をしている者の一人として、一世紀も前に行われて忘れられかけた偉大な研究に、ここに改めて敬意を払いたいと思う次第です。
執筆: この記事はさとうさんのブログ『有機化学美術館・分館』からご寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信
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