好きなものを探す時間を
今回はばかいぬさんのブログ『ほやほやの今をあそぼう』からご寄稿いただきました。
『ほやほやの今をあそぼう』
アニメの考察、スポーツ観戦記、本の感想などを中心に、感じたことや考えたことを分かりやすく伝えるブログ
好きなものを探す時間を
すっかりラブライブ!に染まった当ブログですが、たまには真面目に考えたことでも。今日の日中にこんなツイートを見つけたのです。
こなたま(CV:渡辺久美子)@MyoyoShinnyo
最近、4chanなどの英語の掲示板では、日本人と言えば「韓国を叩ける機会があればどこにでも大挙して押し寄せる」というステレオタイプが出来上がってるようだ。「韓国は世界の嫌われ者だから、いくら叩いてもきっとみんな一緒になって叩いてくれるだろう」って本気で思ってるらしい
2013年06月19日
https://twitter.com/MyoyoShinnyo/statuses/347397086339297280
こなたま(CV:渡辺久美子)@MyoyoShinnyo
で、「なんでこんなに日本人沸いてくんだよwww関係ねーだろ」「お前ら韓国ホント好きだなwww」って笑われたり、例えばそのトピックが韓国人の恥ずかしい行動についてだったりすると、韓国人ユーザーがしおらしく「申し訳ない」なんて書き込んでたりして、対比して日本のイメージ悪くなったり。
2013年06月19日
https://twitter.com/MyoyoShinnyo/statuses/347398568795070465
まず海外の掲示板で本当にこんな流れになっているのか、また叩く日本人がいたとしてもごくごく一部ではないのか、という問題がありますが、これらはとりあえず置いておきます。僕が話したいのは海外でどうこうというより、「叩ける機会」を探すという行為についてだからです。
SNSとネガティブな感情
今はネット上に、とてもとても全部追えないほどの情報があふれています。特にSNS、TwitterやらFacebookでは、向こうから情報がやってくると表現できるくらい。そこで運ばれて来るのは、単なる情報だけでなく、思想や感情も含まれています。
この思想や感情というものがクセモノで、引っ張られてしまうんですね。ネガティブなものだと特に。誰かが何かを「嫌い」と表現していると、自分もついつい追随してしまいがちです。
他人のネガティブな感情の表明というのは、誰かしらと何かしらの形でつながっている現在のネットでは、きっかけとして十分なものでしょう。自分も何か言いたくなっちゃって、ひとつ言うとどんどん出てきちゃって、止まらなくなります。そうなると、自分のネガティブな感情を吐き出すための材料、つまり「叩ける機会」を次から次へと探してしまうのですね。
情報は取得するにせよ発信するにせよ、必ず能動的な行動になります。自分で選んで行っているということです。限りある時間を、「叩ける機会」を探すことに使うのはもったいないと僕は思うのです。なぜもったいないのか。叩くことで何かが生まれることはないからです。
「好き」は、次につながる
ネガティブな感情や考えをまったく出すなというわけではありません。人間なら必ずもつものだし、出す機会は必要です。ワタミの問題のように、社会的にちょっとどうなのという問題を周知させたり、是正する風潮を作るという点では、意味はあると言えます。
ただ、それに躍起になってしまうのはどうなのか。ワタミ社長の非を突く記事を血眼になって探して探して拡散して、何かを生み出せるのか。アニメに参鶏湯が出たからといってそれを叩いて叩いて、自分が得るものはあるのか。特にSNSという場に限っては、叩くことを繰り返していたら、逆に近寄りがたく思われます。
すめらぎ琥珀@sumeragitec
正義は自分をまっすぐに保つためのものであって人を傷つける武器じゃないんよ
2013年06月24日
https://twitter.com/sumeragitec/statuses/349356682863841282
感情ですから、ゼロにしろとは言いません。一度二度でいいのではと思うのです。その分、好きなものについての情報を探したり、好きなことについて考えたり、考えたことをアウトプットする方がよほど次につながります。
昔、親友に「好きなものは好きってどんどん言っていった方がいいよ」と言ったことがあります。先日、タワーが好きなその親友に、他の方からいただいたスカイツリーのハンドタオルをあげたのです。その時、親友は「お前に『好きなものは好きって言え』って言われたのを度々思い出すわ。こうやって貰い物したり、ちょっとしたことだけど、こういうことなんだよね」と話していました。
言った僕も「ああ、こういうことか」と納得してしまったのですが、「好き」の表明は色々な機会を生み出します。こういうプレゼントだったり、野球が好きだと言っていれば誰かが一緒に行こうと誘ってくれたり。モノだけじゃありません。「ラブライブ!」好きが高じて感想を書き続けたことで、寄稿する機会もいただきました。そこから、普段ではお会いできないような方とお会いして、お話ができたりもしました。
こういうのはいわゆる「ラッキーな出来事」として受け止めがちで、意識しないと対象化できないことかもしれません。でも、思い出してみてください。あるいは今後、意識してみてください。何かが生まれたとき、得たとき、恵まれたとき、必ずと言っていいほど「好き」の発信がきっかけになっているはずです。
好きなものを探す時間、好きなことをアウトプットする時間は、何か新しい道を開いてくれるような……ちょっとこそばゆい言い方ですが、そんな気がするのです。
執筆: この記事はばかいぬさんのブログ『ほやほやの今をあそぼう』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年07月03日時点のものです。
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