第38回東京国際映画祭 注目を集めた40年前の2本の映画『MISHIMA』と『天使のたまご』 その不遇の歴史を解き明かす

▲『天使のたまご 4Kリマスター』(c) 押井守・天野喜孝・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ

TOHOシネマズ日比谷とヒューリックホール東京をメイン会場に10月27日より10日間開催された第38回東京国際映画祭が無事閉幕した。コンペティション部門のグランプリに輝いたのは、英国統治下の支配と反乱を壮絶に描くアンマリー・ジャシル監督の『パレスチナ36(サーティーシックス)』。今年9月のトロント国際映画祭でワールドプレミア上映され、同映画祭史上最も長いスタンディングオベーションで称賛されたにも関わらず、北米のマスコミにほぼ完全に無視されてしまった不遇の映画だ。政治的な配慮で北米のマスコミが臆してしまった同作を、東京はコンペティション部門に選出し、さらに最高賞をさずけることで、東京の立ち位置を世界に見せつけることができた。年末年始の賞レースをめざす映画界は、5月のカンヌを皮切りに、8月末のヴェネツィアと9月のトロントで最高潮を迎え、そのままキャンペーン活動へと雪崩れ込んでいく。昨年度の米国アカデミー作品賞『ANORA アノーラ』もカンヌでプレミア上映された作品だ。話題と人気を盛り上げてアカデミー賞を獲得するためには数カ月かかる。10月末開催の東京で初披露しているようではちょっと遅い。ゆえに東京は他国の映画祭で選から漏れた余り物、あるいは他国で上映済みの映画を招待することが多いが、今回は晩秋開催のデメリットが吉と出た。東京なら正当に評価してくれると考える映画人も出てくることだろう。

▲『パレスチナ36』 (c)Lucky Number

日本初上映の旧作『MISHIMA』

新作だけでなく旧作の上映も映画祭の魅力の1つだが、今回の東京で最速10分でチケットが売り切れた作品がある。ポール・シュレイダー監督の40年前の映画『MISHIMA』だ。日本で撮影され、緒形拳が主演しているにもかかわらず40年目にして初の日本上映となった今回の映画祭のためにポール・シュレイダーが来日。映画祭初日のレッドカーペットにも顔を見せ、開催4日目の上映ではステージに登壇した。

ロバート・デ・ニーロ主演の1976年の映画『タクシードライバー』の脚本家として名を馳せたポール・シュレイダーは、気鋭の映画批評家から脚本家、そして映画監督へと幅を広げていったが、批評家業を主軸としていた20代半ばの当時、離婚と借金で人生が転落。過剰飲酒と胃潰瘍出血で生死をさまよい、棺桶に入った自分が夜の街を流れていく夢を見た。この棺桶をタクシーに置き換えて、棺桶から這い出るために『タクシードライバー』を書いた。この脚本に惚れ込んだニューヨーク出身のマーティン・スコセッシ監督がニューヨークの物語として『タクシードライバー』を完成させたが、ストーリーを考案したのはポール・シュレイダーだ。生きる目的を持てずにくすぶっているタクシードライバーが、幼い娼婦を救うためにギャングのアジトに殴り込む。酒に溺れて堕落したが、幼い頃は敬虔なカトリック信者だったポール・シュレイダーは、苦しみの先に栄光をつかもうとする主人公に自分を託した。

だがこの『タクシードライバー』は、教養を持たぬ無名の男が凶行に及んだだけだと批判された。ポール・シュレイダーはこれが我慢ならなかった。無名有名は関係ない、インテリだろうと同じ苦しみをかかえている。これを証明すべく監督作として挑んだのが『MISIHMA』だ。

当初はシンガーソングライターのハンク・ウィリアムズの生涯(薬物とアルコールの過剰摂取を原因とした心臓発作で29歳で死去)を映画化しようと考えていたが、ウィリアムズの遺族と揉めてしまい、これを断念。京都で大学講師をしていた兄レナード・シュナイダーから三島由紀夫と市ヶ谷自決事件の話を聞かされ、極東の日本に同じことを考えていた人がいたことに感銘を受けた。ウィリアムズの遺族との交渉に失敗した反省を踏まえ、瑤子夫人との交渉を友人フランシス・フォード・コッポラに一任。夫人が譲渡を拒絶した『禁色』を除く『金閣寺』や『鏡子の家』などの諸作品の映像化権を取得。三島由紀夫の人生を三島の作品込みで映画化していく脚本を兄レナードと兄嫁のチエコ・シュナイダー、そしてポール・シュレイダーの3人で共同執筆。レナードが原作と共同脚本を担当した1979年の日本映画『太陽を盗んだ男』のプロデューサー山本又一朗が日本側のプロデューサーとして『MISHIMA』を制作することになったが、三島の人生を映画化すること、しかも外国人が監督することに対して脅迫状が届くようになり、日本の会社の1つが出資をためらい、暗礁に乗り上げてしまう。そこで今度はジョージ・ルーカスがアメリカから資金を調達すべくワーナー・ブラザースと交渉を。ルーカスは、20世紀フォックスと組んで『スター・ウォーズ』を大ヒットさせるまえにワーナーの配給でSF映画『THX 1138』を手かげたが、ワーナーの配給と宣伝が酷いとして悪口を繰り返していた。その悪口を言うのをやめるのであればワーナーは『MISIHMA』に出資してもいいとし、ルーカスはこの条件を飲んだ。

資金の目処は立ったが、殺害予告に怯えて防刃チョッキを着用して日本で待機するポール・シュレイダーと山本の元にアタッシェケースで現金が届けられる。出資をためらっていた日本の会社が用意した現金だとされ、撮影には世田谷の東宝撮影所が使われたが、撮影所が使用された記録は残っていない(とされている)。契約書は存在しないが、口約束は必ず守る日本の流儀をポール・シュレイダーは知ることになる。

日本で上映しないことを条件に資金が用意され、撮影所が提供されたとされている。この『MISIHMA』は1985年5月のカンヌ映画祭で上映され、最優秀芸術貢献賞を受賞。2年に1回の頻度で夏に開催していた40年前の東京国際映画祭でも上映されるはずだったが、日本で上映しないことが条件だったから、実現しなかった。

日本以外ではビデオもリリースされ、配信でも鑑賞可能な映画だが、三島の2人の子どもとの数年間の交渉を経て、ようやく日本で上映された。

緒形拳演じる三島が市ヶ谷駐屯地のバルコニーに立ち、招集された自衛隊員たちに「聞け! 聞いてくれ」と叫ぶが、そのスピーチは報道ヘリコプターの騒音と隊員たちの「帰れ! 馬鹿野郎!」の声にかき消されてしまう。バルコニーから部屋に戻った三島は「聞こえなかったようだな」とつぶやき、そして計画どおり切腹する。

▲『MISHIMA』 (c)1985 The M Film Company

苦しみの末に主人公が栄光をつかもうとする(が世間がそれをどう思っているかは別問題)。『MISHIMA』は『タクシードライバー』によく似ている。ペアになっている映画だと言っていい。三島も『タクシードライバー』の主人公トラヴィスも亡くなるが、ポール・シュレイダーは棺桶から生還した。魂の叫びと情熱が宿った映画になっている。

アメリカに渡った『天使のたまご』はどう扱われたか

今回の映画祭で注目をあつめた旧作がもう1本ある。押井守監督の1985年の長編アニメーション『天使のたまご』だ。こちらは『MISHIMA』の逆パターン。日本以外では『天使のたまご』をスクリーンで鑑賞することはできず、往年の海外マニアはレーザーディスクを取り寄せて『天使のたまご』をテレビで鑑賞していた。なぜか。B級映画の帝王ロジャー・コーマンの会社ニュー・ワールド・ピクチャーズが『天使のたまご』の海外配給権を買い取り、内容を改変。実写映像とアニメを混ぜた『IN THE AFTERMATH(イン・ジ・アフターマス)』というタイトルの映画を制作してしまったからだ。海外のアニメファンは正規ルートでは『天使のたまご』ではなく『IN THE AFTERMATH』を鑑賞するしかなかった。

『IN THE AFTERMATH』予告編
https://youtu.be/KdoaRIfG-9w?si=FGJhIQ0F1U9vM_2f

だがアメリカには35年経過したら著作者に権利が返却される決まりがある。ジェームズ・キャメロン監督の1984年の映画『ターミネーター』の権利もさまざまな会社を渡り歩き、原作者であるキャメロンとは無関係に続編やドラマシリーズが量産されたが、35年で権利が返却され、キャメロン主導で『ターミネーター:ニュー・フェイト』が作られ、権利返却に合わせた2019年に公開された。『天使のたまご』も1988年のアメリカ映画『IN THE AFTERMATH』から35年が経過し、押井守に権利が戻された。そもそもなぜ改変を施す必要があったのか。これには1980年代当時のアメリカでの日本アニメの扱われかたと80年代後半から本格化していったレンタルビデオビジネスが大きく関与している。

アメリカで改変されてしまった劇場アニメといえば1984年の『風の谷のナウシカ』が有名だ。1985年に『WARRIORS OF THE WIND(ウォーリアーズ・オブ・ザ・ウインド)』という英語タイトルで劇場公開され、その後ビデオリリースされたが、宮﨑駿の『風の谷のナウシカ』をアメリカで買い付けたのもこのニュー・ワールド・ピクチャーズだった。

ニュー・ワールド・ピクチャーズには制作部門と販売部門の2部署があり、制作部門は1975年の『デス・レース2000年』やジョー・ダンテ監督の1978年の『ピラニア』などのB級映画を量産し、ジェームズ・キャメロンも同社で映画作りを学んだ(1980年の『宇宙の7人』の美術と追加撮影で頭角を現し、雑用係=同社のスタッフたちが使用するドラッグの一元管理をまかされていた。キャメロンはドラッグをやらないが、もし警察に踏み込まれてもカナダ人のキャメロンなら見逃してくれるはずだということでキャメロンがドラッグ管理係をしていた)が、販売部門は海外映画の買い付けをしていた。黒澤明監督の1975年の『デルス・ウザーラ』のアメリカ配給を手かげたのもこのニュー・ワールド・ピクチャーズだ。黒澤明は世界に知られた存在だったから、タイトルも中身も改変する必要などなかったが、『風の谷のナウシカ』を買い付けた1985年当時のアメリカは宮﨑駿のことも『風の谷のナウシカ』のことも誰もよく分かっていなかった。本編116分。長い映画は敬遠される。映画を90分程度に短くまとめ上げ、奇抜なポスターアートで観客の目を引く必要があった。『WARRIORS OF THE WIND』のポスターではナウシカは右上に押しやられ、代わりにセンターに位置するのは80年代当時アメリカで人気だったテレビアニメ『マスターズ・オブ・ユニバース』の主人公ヒーマンを模した青年。左上には『風の谷のナウシカ』には出てこないペガサスが描かれ、このペガサスは当時のアメリカのテレビで繰り返し放映されて人気だったレイ・ハリーハウゼンの『タイタンの戦い』(1981年)のペガサスだろうと思われる。

この改変は、もはや改悪事件としてアメリカでも日本でもよく知られているが、『風の谷のナウシカ』と同じルートをたどって『天使のたまご』も改変された。

アメリカの映画祭のマーケットで抱き合わせで複数本買い付けたそのうちの1本が『天使のたまご』だった説と、『風の谷のナウシカ』も『天使のたまご』も徳間書店だから『WARRIORS OF THE WIND』の次の映画が来たと思い込んで『天使のたまご』を買い付けた説があり、関係者によって証言が異なる。いずれにせよ1985年に創業者のロジャー・コーマンが同社を完全に離れたあとも販売部門は事業を継続。80年代後半からレンタルビデオビジネスが盛況していくと、同社はレンタルビデオ店の棚を埋めるべく映画をよりいっそう大量に買い付けるようになっていた。

買い付けたはいいものの、『天使のたまご』には問題があった。本編71分。短すぎたのだ。長すぎても敬遠されるが、短すぎると、長編映画として扱ってもらえない。『WARRIORS OF THE WIND』と同様に90分程度にする必要があった。レンタルビデオ店に来た客が2、3本借りる際の本命以外のもう1本の枠を狙う。目を引くパッケージアートとタイトル、そして手頃な本編時間。ニュー・ワールド・ピクチャーズの販売部門と制作部門がタッグを組んで『天使のたまご』のアニメーション映像に実写を付け足し、90分以上の作品に改ざんしようということになった。

同社で予告編の編集とポスターヴィジュアルを作成していたカール・コルパートが監督に選ばれた。コルバートはシナリオも担当。難解な内容のアニメーション映像から使える部分をピックアップし、新規撮影の実写映像と混ぜ合わせて分かりやすいストーリーを作り出す責務を負わされた。

『IN THE AFTERMATH』は、終末世界を舞台に、防護服を着た兵士2人が食料と水を求めて廃墟をさまよっていると、大きなたまごをかかえた少女を目撃する物語だ。主演に選ばれたのは子役出身で、大学卒業後、俳優業への復帰をめざしていたトニー・マークス。共演の兵士役は、俳優ではなく、撮影スタッフ。スタントコーディネーターを雇う余裕もない低予算映画であるから、乱闘シーンではトニー・マークスは殴られ、蹴られ、散々な目にあった。役作りと内容の理解のために監督のカール・コルパートに質問をしても「いいから演じろ」と命令されるのみだった。監督と脚色を務めたカール・コルパートもいま自分が何をやっているのかよく分かっていなかった。

押井守の『天使のたまご』に感銘を受けたアメリカの映画人たちが喜び勇んで『IN THE AFTERMATH』を作ったわけではない。会社に押し付けられて嫌々やらされた仕事であり、映画祭への出品をめざすような野心に満ちた作品ではなく、劇場公開するつもりもない。最初からビデオリリースのみを目的としたプロジェクトだった。

撮影に使われたのはカルフォルニアのカイザースチール製鉄所跡地。この場所は『ターミネーター2』(1991年)の撮影にも使われたが、『IN THE AFTERMATH』と同時期に同じ場所で撮影していた映画がある。核戦争後の終末世界を舞台に、数少ない男性の生き残りであるサム・ヘルをめぐってミュータント化してしまったカエル人間と半裸の女性たちが攻防を繰り広げる『HELL COMES TO FROGTOWN』(1988年)。撮影の休憩中に工場跡地の反対側にまわって『HELL COMES TO FROGTOWN』の様子を見に行ったトニー・マークスは「あっちより我々のほうがマシだな」と思ったという。そのトニー・マークスは『IN THE AFTERMATH』の不評のせいで俳優の道をいったん断念。キャステングディレクターに転身し、その後プロデューサー業を経て、映画監督業に進出。ウィル・スミスやサンドラ・ブロックらがカメオ出演する自身の監督作『ウェルカム・トゥ・ハリウッド!』(1998年)に出演することで俳優復帰を果たし、今日に至る。監督のカール・コルパートはB級映画作りをいまも続けている。たまごをかかえた少女エンジェル役のレインボー・ドーサンは本作のみで、『IN THE AFTERMATH』以外のフィルモグラフィーが存在しない。

▲『天使のたまご 4Kリマスター』(c) 押井守・天野喜孝・徳間書店・徳間ジャパンコミュニケーションズ

『IN THE AFTERMATH』のせいで海外のアニメファンが『天使のたまご』を長らく大スクリーンで鑑賞できなかったことは不幸だが、『IN THE AFTERMATH』に関わった人たちも不幸な目にあった。誰ひとり幸せにならなかった。しかも『IN THE AFTERMATH』はどう頑張っても本編を90分にすることができなかった。本編72分。アニメ映像を切って貼って、実写映像を追加して、結果1分しか増やすことができなかった。『天使のたまご』は下手にいじれない。完璧な映画なのだ。

35年で権利が返却され、世界の観客に正しく鑑賞してもらうべく4Kリマスター化され、カンヌやニューヨークでの上映を経て、『天使のたまご 4Kリマスター』として今回の東京国際映画祭でジャパンプレミア上映された。

数多の映画が注目を浴びることなく忘れされていくなかで、数奇な運命をたどりながらも生き残り、スクリーンに返り咲いた『MISHIMA』と『天使のたまご 4Kリマスター』。『MISHIMA』は映画祭終了後にアフターイベントとして11月8日と9日にヒューマントラストシネマ有楽町で追加上映が実施され、『天使のたまご 4Kリマスター』は11月14日からドルビービジョン先行上映、そして翌週21日から全国公開がスタートする。

文と写真:鶴原顕央

『天使のたまご 4Kリマスター』の押井守監督が1976年の1本としてポール・シュレイダー脚本の『タクシードライバー』を語り尽くす『押井守の50年50本』は立東舎より絶賛発売中です!!

https://rittorsha.jp/items/19317409.html
『押井守の50年50本』
押井守(立東舎)

(執筆者: リットーミュージックと立東舎の中の人)

  1. HOME
  2. エンタメ
  3. 第38回東京国際映画祭 注目を集めた40年前の2本の映画『MISHIMA』と『天使のたまご』 その不遇の歴史を解き明かす
  • ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
  • 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。