『SILENT HILL f』レビュー:過去を乗り越え未来を照らすホラーゲームの意欲作

シリーズ作のリリースが途絶えていた「SILENT HILL(サイレントヒル)」シリーズの新作『SILENT HILL f(サイレントヒルf)』がとうとうリリースされた! しかもシナリオは『ひぐらしのなく頃に』の竜騎士07氏で、世界観は1960年代の日本が舞台と、これまでのシリーズの定石とは異なる要素が盛り込まれている。シリーズ最新作ということで期待度も高かった一方、新たな要素に不安を抱いていた人も少なくなかった。

実際にその内容はどうだったか? 結論から言うと、筆者は本作について、シリーズの過去を乗り越えたと言えるだけの魅力を持った一作だと感じている。

ただその一方、手放しで賞賛とまではいかずに、未来への課題も持った一作だ。では具体的に、シリーズの過去を乗り越えたと言えるポイントはどこで、未来への課題とは何なのか、このレビューで詳しくお伝えしたい。

1960年代の日本を舞台にしたサイコロジカルホラー! 『サイレントヒルf』

『サイレントヒルf』は、1960年代の日本、「戎ヶ丘(えびすがおか)」と呼ばれる町を舞台にしたサイコロジカルホラー・アクションアドベンチャーゲーム。単なるホラー・アクションアドベンチャーゲームではなく、サイコロジカルホラー・アクションアドベンチャーだ。この点は、これまでのシリーズを踏襲している。

サイコロジカルホラーとはホラーの1ジャンルで、心理的状態に起因する恐怖を描いたもの。「心理的状態に起因する恐怖」を端的に示した例が、「サイレントヒル」シリーズで敵として立ちはだかるクリーチャーたちだろう。クリーチャーたちは登場人物たちのトラウマに根差しており、その姿や弱点は、登場人物たちのトラウマに強い影響を受けている。

これはつまり、一般的なホラーゲーム以上にストーリー性とゲーム性との結びつきが強いということ。そこでこのレビューでは、2つの性質へ個別に触れるのではなく、相互に関連するものとして語りたい。

なお、可能な限りネタバレは避けるものの、紹介する上で避けられない部分も存在する。このため、まっさらな状態で本作をプレイしたい人は、記事を読む前に、ぜひ本作をプレイしてほしい。

物語は、本作の主人公、高校生の深水雛子(しみずひなこ)が、親子ゲンカの末に家を飛び出すところからスタートする。雛子はなじみの駄菓子屋「千鶴屋」で友人たちと再会するが、その直後、赤い植物が町を侵食。さらに濃い霧が町を覆い、その中から異形の怪物たちが出現する。

プレイヤーがこの悪夢のような世界を探索するにあたってできることは、近接攻撃を主体としたアクションだ。基本となるのは、素早く繰り出せる通常攻撃と、攻撃力が高い分、隙も大きい強攻撃。

ただし、やみくもに攻撃を連打しても敵を倒すことはできない。敵の攻撃を回避し、その隙にこちらの攻撃をヒットすることが求められる。特に敵の攻撃中、反撃サインが発生した際に繰り出せる「見切り反撃」は、ヒットさせれば敵に大きな隙ができる、本作の根幹となるアクションだ。

「敵の攻撃の隙を突き、反撃を狙う」という点で本作のバトルは、パリィを中心としたソウル系の3DアクションRPGに近い。ただ、本作のバトルをサイコロジカルホラーたらしめているのが、「集中」というアクションだろう。「集中」状態では「見切り反撃」のサイン表示が長くなり、「見切り反撃」を成功しやすくなる。

だがその反面、「集中」するにあたっては「精神ゲージ」を消費する上、この状態で敵の攻撃を食らうと、「精神ゲージの上限」が減ってしまう。このため、「集中」の使いどころがポイントとなるのだが、それだけではない。サイコロジカルホラー的には、雛子が精神の上限をすり減らしながら探索を進めていく……という点が重要だろう。

本作の舞台となる1960年代の日本の田舎町では、ほとんどの建物が木造で、身近な場所に田畑があり、路地は入り組んでいる。筆者は1976年生まれと、本作の時代設定より10年程度遅い生まれだが、それでも本作のビジュアルを見て、「リアルで懐かしい」と感じた。

ただ、ビジュアルだけが「リアルで懐かしい」わけではない。「結婚して家を持つのが幸せ」「男は仕事をして女は専業主婦」「男は男らしく、女は女らしく」「周囲と変わったことをするとレッテルを貼られる」……といった空気感まで含めて、「リアルで懐かしい」。筆者も子どものころ、学校や親からこうした発言を聞いた覚えがある。

「多様性」が声高に叫ばれる現代の感性からすると、こうした昭和の空気感はどこかおかしいと感じるかもしれない。そしてそれは、本作をプレイする上で、ひとまず正しい感性と言えるだろう。なぜなら、本作の主人公・雛子の感性だからだ。

ここで、主人公・雛子と現代人であるプレイヤーはサイコロジカルホラーという手法を通じてシンクロする。雛子は昭和的な空気感の中、精神をすり減らしながら探索を進めていく。このとき、プレイヤーは精神ゲージの上限を減らしながら、ゲームを進行させているというわけだ。

これは「サイレントヒル」なのか? バツグンに魅力的な二重構造のストーリー

ここまで本作についてサイコロジカルホラーの観点から見てきたが、シリーズのファンからすると、「サイレントヒル」シリーズとしてどうなのか? という観点の方が重要だろう。ただ、この点は人によって大きく変わると思う。

「サイレントヒル」という舞台や、シリーズの過去エピソードに通じるキャラクターといった設定を重視するなら、本作は「サイレントヒル」シリーズの一作とは言えないだろう。だが、筆者はサイコロジカルホラーとしての完成度の高さや、2つの世界を舞台にしているという点から、本作は紛れもない「サイレントヒル」シリーズの一作だと考えている。

本作では、赤い花と霧に浸食された「戎ヶ丘」と、無数の鳥居が立ち並ぶ「神社的な空間」の2つの世界が舞台となる。この点は、これまでの「サイレントヒル」シリーズが持つ「2つの世界を探索する」という表面的モチーフが活かされていると言えるだろう。

ただ、単純に過去作を踏襲しているだけではない。2つの世界の関わりには本作独自の理由がキッチリ用意されており、その見せ方も工夫されている。これ以上詳細を書くとネタバレに繋がってしまうので避けるが、「そう来たか!」と唸ってしまう秀逸な構成だと感じた。

2つの世界の関わりだけでなく、本作はあらゆる要素に対してしっかり意味づけがなされている。

なぜ主人公は雛子という名なのか? 出会っていきなり「裏切り者」と告げる友だちの心理とは? 雛子を襲う敵たちは一体どのような存在なのか?

こうした点は、初プレイ時はまったくわけがわからず、ストーリー展開に唐突ささえ感じてしまうが、プレイを進め、テキストを読み考察することによって徐々に意味が浮かび上がってくる。サイコロジカルホラーとしてバツグンに魅力的な展開だ。

また本作が、18才以上を対象年齢とする「CERO:Z」として発売されている点にも意味がある。「CERO:Z」分類の理由としては「性差別や児童虐待、いじめ、薬物による幻覚、拷問、強い暴力表現」といったものが挙げられているが、とりわけ「拷問、強い暴力表現」に関しては本当にハードだった。筆者は普段からゲームのみならず映画、コミック、小説に至るまで幅広くホラーを楽しんでいるため、多少の残酷表現では何とも思わないが、本作については「ゲームでここまでの表現ってOKなんだ……」と思うレベル。

そんな残酷表現もただなんの意味もなく、悪趣味なだけで用意されているわけではない。この点もあまり詳しく書くとネタバレに繋がってしまうポイントであるため最低限の表現に留めるが、本作の残酷表現の強さは、そのまま「痛み」に直結している。

痛みが発生している場所はどこか? その原因は何なのか? ……と考えたとき、その本質が理解できるようになっている。

逆に言えば、残酷表現をマイルドにすると、プレイヤーの感じる苦痛と、ゲームが表現しようとしている「痛み」のシンクロが解除されてしまう。それでももちろん、ゲームとしては成立するかもしれない。しかしサイコロジカルホラーとしての深みは大きく損なわれてしまうことだろう。

そんな本作が持つ「サイコロジカルホラーとしての完成度」を踏まえると「サイレントヒル」シリーズの志は継承されていると言っていいのではないだろうか。

大抵の作品はシリーズが続くと、キャラクター設定や世界観だけ継承したマンネリ作品となっていくことが少なくない。様々なシリーズの古参ファンが「最初の作品が一番楽しかった」というのは、思い出補正があるからだけではなく、シリーズ第一作には「新しい楽しさを実現してみせる!」というクリエイターの魂があるからだろう。

しかしシリーズが続くと、必然的に作り手の意識が「新しい楽しさを実現してみせる!」ところから、「シリーズをどう拡張させるか」という方向へ向かってしまう。それはシリーズを作る上ではしょうがないことだが、「初代作品が持っている衝撃」が損なわれていくこともまた事実だ。

こう考えたとき本作は、「サイレントヒル」シリーズの設定ではなく、「完成度の高いサイコロジカルホラーを作り上げる!」という志を継承したとは言えないだろうか?

過去を乗り越え照らした未来にはどんな課題があるのか?

本作はそんな目的意識をもって過去のシリーズ作を見直し、どこを残し、何を削り、どんなブラッシュアップをするかを深く検討したことだろう。「シリーズの当たり前」を見直す行為は、非常に意欲的でチャレンジングだ。筆者は本作のこうした挑戦が、一定の成功を収めていると思う。

ただ、本作が何の問題もない完全無欠の傑作なのかというと、そうではない。本作は未来への大きな課題を残している。それは、周回プレイだ。

本作は周回プレイを前提とした作りになっている。これまでのシリーズもマルチ・エンディングを採用していたため、周回プレイは可能だった。

しかし本作は周回プレイ必須。というのも、1回目のプレイではストーリーの全体像が分からず、周回プレイをすることではじめて分かるようになっているからだ。

この「周回プレイ」前提という点は、サイコロジカルホラーというゲームジャンルと極めて相性がいい。というのも最初に書いた通り、サイコロジカルホラーとは、心理的状態に起因する恐怖を描いたホラーだ。

ということは、「人間の主観」が強く影響する。他の人にとっては恐怖の対象ではない事柄であっても、トラウマを持つ人物の「主観」を通して世界を見たとき、恐怖が発動するのだ。となると、視点を変えつつ繰り返し物語を描くことができれば、どこまでが主人公の「主観」でどこからが他の登場人物の「主観」か、あるいはどこからが「客観的事実」なのかを浮き彫りにでき、人物や物語をより深く表現できる。

本作のアプローチは、こうした効果を狙ったものではないかと思う。

一方で、プレイを重ねれば重ねるほど、攻略の最適解が明らかになり、プレイは作業化していってしまう。昨今の繰り返しプレイを前提としたゲームでは、ランダムなアイテム入手やライダムなステージ構造などといったローグライト要素を採り入れることが多い。なぜローグライト要素を採り入れるかと言えば、プレイヤーの状況をランダム化することで、攻略の最適解を毎回変えるためだ。

しかし本作の周回プレイは、状況が大きく変わるわけではない。一応セリフが変更されたり、新しく移動可能な場所が解放されたりといった要素はあるものの、プレイ体験はほとんど同じ。このため、どうしてもプレイが作業的になってしまい、面倒くさく感じてしまうのだ。

また、敵と戦うシチュエーションに狭い場所が多いという点も、功罪併せ持っている。

これは恐らく意図的なものだろう。というのも、本作での主人公の攻撃は、壁にぶつかるとキャンセルされるようになっている。したがって、敵へ攻撃を確実にヒットさせるための位置取りが重要。

「集中」して敵の攻撃に備えながら的確に位置取りをして、見切り反撃を加える……おそらくそんな、時代劇の真剣勝負のようなスリルこそ、本作の目指したバトルなのだろう。となると、狭い場所というシチュエーションはとても窮屈だ。この窮屈さは、サイコロジカルホラーとして見たとき、昭和的空気に対し精神をすり減らす雛子の心情とシンクロする。

このような前提に立てば、狭いシチュエーションでのバトルという要素は優れた効果を発揮していると思う。

ただ一方で、狭い場所というシチュエーションでの窮屈なバトルは、単純にストレスが強い。初回プレイ時ならまだしも、一通りプレイして攻略法を知り、「はやく異なるエンディングを見たい」と考えている周回プレイヤーにとっては、サイコロジカルホラー的効果よりも、ストレスが勝ってしまうだろう。

ここまで本作の課題について触れてきたが、筆者はこれらを単なる問題点ではなく「サイコロジカルホラーの可能性」だと捉えている。本作は「サイレントヒル」シリーズという偉大なシリーズの過去を踏まえ、新たな「サイレントヒル」のかたちを見せてくれた。しかしそこにはまだ、足りない点がある。

とは言え、その点は未来のサイコロジカルホラー作品が挑むべき課題と言えるのではないだろうか? 言い換えるなら、サイコロジカルホラー作品である「サイレントヒル」シリーズにはまだまだ発展の余地があるということ。

つまり筆者は本作について、「サイレントヒル」の新たな可能性を提示しつつ、課題を浮き彫りにすることで未来への道を照らし出した作品だと捉えている。なお、課題として挙げた点を含めても、本作は完成度の高いサイコロジカルホラー・アクションアドベンチャーゲームであり、プレイする価値のある作品だと思う。ホラーゲームファンは、是非一度プレイしてほしい。

(文/田中一広)

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