【二拠点生活19年目】馬場未織さん、子3人連れて通い続けた南房総との関わり、親子で自然楽しんだ幼少期→子の思春期を経て見えたもの

東京と南房総を行き来して19年目。馬場未織さんが考える二拠点生活の真価

平日は東京で暮らし、週末は自然豊かな南房総市(千葉県)へ。そんな二拠点生活を2007年から続けているのが、『週末は田舎暮らし』(ダイヤモンド社 刊)などの著書があるライターの馬場未織(ばば・みおり)さんです。南房総では草刈り、畑仕事、養蜂など都会ではできない暮らしを満喫しながら、地元の人たちとの交流を深めています。一方で、南房総エリアの活性化に向けた地域活動も行う馬場さんですが、19年目を迎えた今、その二拠点生活にはさまざまな変化が起きているそうです。長年続けてきたからこそわかる二地域居住を成功させるための秘訣や「もう一つの拠点を持つこと」の価値などをインタビュー。2回にわたって紹介していきます。

子どものために週末だけの田舎暮らしがスタート

東京・世田谷区の自宅から車でおよそ1時間半。千葉県南房総市の三芳地区(旧三芳村)に、馬場未織さんと家族のもう一つの住まいがあります。木々が生い茂るその場所はまさに森の中。「ここからが敷地なんですよ」と示されたところから山道をうねうねと上ると、ようやく家が見えてきました。築120年を超える平屋の一軒家は、約10畳と約6畳の部屋がそれぞれ3つあり、襖を取り払えば大宴会が開けるほどの広さ。掃き出し窓からウッドデッキに降り立てば、眼下の里山の景色とともに緑に染まる山並みが迫ってきます。

緑に包まれた南房総の住まい。小さな山の中腹に位置している(写真撮影/相馬ミナ)

緑に包まれた南房総の住まい。小さな山の中腹に位置している(写真撮影/相馬ミナ)

住居内はほぼそのまま使用。肩の力がほーっと抜ける懐かしさがある。住み始めたときは転がり回れる広い家に子どもたちは大喜びだったとか(写真撮影/相馬ミナ)

住居内はほぼそのまま使用。肩の力がほーっと抜ける懐かしさがある。住み始めたときは転がり回れる広い家に子どもたちは大喜びだったとか(写真撮影/相馬ミナ)

食事はこのスペースで。奥の台所も広い(写真撮影/相馬ミナ)

食事はこのスペースで。奥の台所も広い(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

(写真撮影/相馬ミナ)

絶景を前にテラスでくつろぐ馬場さん(写真撮影/相馬ミナ)

絶景を前にテラスでくつろぐ馬場さん(写真撮影/相馬ミナ)

1973年に東京で生まれ、建築設計事務所勤務を経て建築ライターに。2007年より二地域居住を始め、2011年に「南房総リパブリック」を設立(翌年法人化)し、代表理事を務める。2023年よりケアのプラットホーム「neighbor(ネイバー)」を共同運営。著書『週末は田舎暮らし~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、共著『パブリックライフ: 人とまちが育つ共同住宅・飲食店・公園・ストリート』(学芸出版社)などを上梓(写真撮影/相馬ミナ)

1973年に東京で生まれ、建築設計事務所勤務を経て建築ライターに。2007年より二地域居住を始め、2011年に「南房総リパブリック」を設立(翌年法人化)し、代表理事を務める。2023年よりケアのプラットホーム「neighbor(ネイバー)」を共同運営。著書『週末は田舎暮らし~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、共著『パブリックライフ: 人とまちが育つ共同住宅・飲食店・公園・ストリート』(学芸出版社)などを上梓(写真撮影/相馬ミナ)

敷地は山林を含めて8700坪と桁違いに広大。農地だけでも2900坪あるこの物件を、20年前当時の「高級輸入車が1台買えるくらいの値段」で購入し、週末だけの田舎暮らしをスタートさせたのは2007年1月のことです。
「私も夫も東京で生まれ育ったので、子どもに『田舎』をつくってあげたいと思ったのが二拠点生活を始めたきっかけです。特に長男は生き物が大好きで、図鑑だけではなく本物を見せてあげたい、自由に触れさせてあげたいという思いから、約3年かけて物件探しをしました」

南房総の家を手に入れてからは金曜の夜に東京を出発し、現地で2泊してまた東京に戻るサイクルに。里山を駆け回る子どもたちだけでなく、馬場さん自身も豊かな自然に魅了されていきました。
「ふきのとうやたけのこなど自然の恵みを味わったり、畑を耕して野菜を育てたり。4月から10月くらいまでは草刈りが大仕事。放っておくと家が埋もれてしまいそうなほどボウボウに伸びてしまうので。やること・やりたいことがたくさんあって、南房総にいる間は鏡を見て身なりを整えることさえ忘れてしまいます」
二拠点生活を始めた当時、長男は6歳、長女は2歳。翌年には二女が生まれて、子どもたち3人との里山暮らしは積み重なっていきました。

グミの実は里山のおやつ(写真撮影/相馬ミナ)

グミの実は里山のおやつ(写真撮影/相馬ミナ)

桑の実も取り放題(写真撮影/相馬ミナ)

桑の実も取り放題(写真撮影/相馬ミナ)

グミの実や桑の実のほか、初夏には梅の実も大量に収穫でき、梅仕事は毎年のルーティンに。梅干し、梅酒、梅ジュースを仕込んでいるそう(写真撮影/相馬ミナ)

グミの実や桑の実のほか、初夏には梅の実も大量に収穫でき、梅仕事は毎年のルーティンに。梅干し、梅酒、梅ジュースを仕込んでいるそう(写真撮影/相馬ミナ)

子どもたちと南房総の関係は成長とともに変化

18年の歳月が過ぎるなかで、その暮らしには変化が起きています。
「かつては自然の中で楽しく遊ぶことが、子どもにも親にとっても幸せな時間だったんですよね。何にいいのかは分からないけど、きっといい、みたいな確信があって。それが中高生になると田舎暮らしの興味が失われ、ついて来なくなったんです。『東京に残る子どもの食事はどうしよう』『そこまでして続けるライフスタイルなのか?』など葛藤していましたが、草刈りなど土地の管理をしなければ地域の人たちに迷惑をかけてしまう。なので、思い切って『南房総に来たい子だけ来る』というスタイルに切り替えてみたところ、結果的に子ども自身がごはんをつくれるようになり、親も多少子離れできてよい方向に収まりました」

親との距離を置きたがる思春期を超えた現在は、それぞれのペースで南房総の家を楽しむようになっているそうです。
「長男は大学生になって運転免許を取ると友達と一緒に南房総に行って、釣りをしたりサーフィンをしたり。自然とは遠い子なんだなと思っていた長女も、大学の受験勉強の息抜きをしたいから南房総に行きたいと言い出し、田畑や青い空が広がる景色を見て『生き返る~』って。生活の一部だった田舎暮らしから一度、離れた後、自分の思い出をスキャニングすると『海行きたいな』『山に行こう』となるのだなぁと。田舎は好きじゃないという子どもの気持ちはその時点では真実だけれど、絶対ではない。次女は目下、南房総に来るヒマがなく部活や学校生活でいっぱいいっぱいですが、それもやがて変わるかもしれません。年齢によって変容していくものだから、決めつけちゃいけないなと感じています」

馬場さんの暮らしにも変化がありました。猫3匹に加えて、2年前にラブラドールレトリバーのピノちゃんを家族に迎えたのです。
「南房総に行く時はいつもピノも一緒。『千葉に行くよ』と言うとぴょんと自分から車に乗り込みます。道中ではずっと窓の外を見て、うちの集落に近づくと小躍りするように足踏みをするんです。めっちゃかわいいですよ。敷地内ではフリスビーをキャッチして遊んだり、土を掘ったり、生き物を追いかけたり。近所の犬と一緒に散歩することもありますし、夕方は海岸に行って人がいなければ駆け回ったり泳いだり。とても生き生きした顔を見せます。子どもと一緒にドロドロになって遊んだ時代を今は犬と一緒に追体験している感じなんです」
持て余すほどの広大な敷地も、嬉しそうに走り回るピノちゃんを見ていると「広くてよかった」と実感する日々。のびのびと安全に駆け回れるよう草刈りにも精が出るのだとか。

里山の自然にピノちゃんの好奇心は全開! 自宅の敷地内はリードを外して自由に走り回らせている(写真提供/馬場さん)

里山の自然にピノちゃんの好奇心は全開! 自宅の敷地内はリードを外して自由に走り回らせている(写真提供/馬場さん)

犬を飼い始めてから交流の幅も拡大。南房総は人も犬もおおらかだとか(写真提供/馬場さん)

犬を飼い始めてから交流の幅も拡大。南房総は人も犬もおおらかだとか(写真提供/馬場さん)

二拠点生活先がマッチするかは長い目で判断することが大事

南房総に家を持ったことで、東京とは違うさまざまな出会いも生まれています。
近所に住む小出一彦(こいで・かずひこ)さんは集落の総会で意気投合して以来、今ではお互いの生活の報告やら愚痴やらをSNSでやりとりしたり、小出さんの書斎をカフェ代わりにして喋り込む仲。地域の歴史から農作業のこと、さらに三芳地区での生活のあれこれまで教えてもらっているそうです。

小出さんと愛犬の小太郎くん。馬場さんにとって田舎暮らしの師匠であり、犬を迎えてからは散歩仲間にもなった(写真撮影/相馬ミナ)

小出さんと愛犬の小太郎くん。馬場さんにとって田舎暮らしの師匠であり、犬を迎えてからは散歩仲間にもなった(写真撮影/相馬ミナ)

そんな小出さんは二拠点生活をする馬場さんファミリーをどのように受け止めているのでしょうか。
「最初は変な人が来たなと思ったな。だって、8700坪の土地を買うって普通じゃないよ(笑)。でも、地区の草刈りなんかにも出てくれるし、メールのやりとりをするうちに人となりもわかってきて親しくなったんだよな。田んぼの作業中に腰椎破裂骨折をして動けなくなった時も未織さんが助けてくれてね。この集落も昔は30~40人いたんだけど、どんどん人が減って寂しくなっていたから週末だけでも住んでくれたのはありがたいね。そりゃ、定住してくれたら嬉しいけど、無理して定住しても意味ねぇわけで。だから俺、いつでも撤収していいんだべ?って言ったんだよ。だって自分の人生だからさ」

そう話す小出さんに馬場さんは「定住しなくていいんだよ、嫌になったら出ていっていいよと言ってくれた時、わたしの暮らしそのものを大事に思ってくれるんだ……という懐の深さにやられました。そのことで、この地域がますます大事になっていったんです」と笑顔を向けます。

ほかにも家のすぐ下に住む野菜づくり名人のゲンゴロウのおばあちゃん、少し前まで酪農をしていた山口さん夫妻なども今では親戚のような関係に。道端で顔を合わせれば談笑し、地区総出の草刈りや竹刈りもタイミングが合えば参加しています。家族でひとり、馬場さんは住民票をすでに南房総に移し、一昨年には地区協議会の賛助会員から正会員になったそうです。

「最近は二地域居住促進法の施行に向けて、交通費の補助など移住者に対するベネフィットが話し合われていますよね。私もそのメンバーに加わっているのですが、移住者を受け入れる地域の人たちへのベネフィットも考えていけるといいなと思っているんです。だって、まったく違う文化を持った人が週末だけやって来るって不安じゃないですか。地域の草刈りといったお役目も常時参加できるとは限らないし、参加できたとしても作業の上達は遅いし。そういう人たちを温かく見守りながらいろいろ教えてくれる人たちにもメリットがあるといいなと思うんです」

「小出さんは人望が厚く、『かずさんの親御さんも人徳があった』と近所のおばあちゃんから聞いています。写真が趣味で自治体主催の写真展がひらかれるほどの腕前(写真撮影/相馬ミナ)

「小出さんは人望が厚く、『かずさんの親御さんも人徳があった』と近所のおばあちゃんから聞いています。写真が趣味で自治体主催の写真展がひらかれるほどの腕前(写真撮影/相馬ミナ)

「彼(小出さん)が骨折したときは毎日お見舞いの人たちがやってくるので家がコミュニティスペースみたいになっていたんですよ」と馬場さん(写真提供/馬場さん)

「彼(小出さん)が骨折したときは毎日お見舞いの人たちがやってくるので家がコミュニティスペースみたいになっていたんですよ」と馬場さん(写真提供/馬場さん)

今ではすっかり地元感満載の馬場さんですが、南房総に暮らし始めた当初は地域に溶け込めるのか、不安があったと言います。
「東京と行き来する暮らしに馴染むのに必死だったのと、知り合いに『自分で自分をPRするより、周りが自然に知ってくれるのを待った方がいいんじゃないかな』と教わったこともあり、家族で地域の集会で挨拶した後、何年かは子どもと一緒に遊んだ記憶しかないんです。きっかけをつくってくれたのが小出さん。そこから少しずつ近所の方と話をするようになりました。だから、全員と親しくなろうとせず、気の合う人を1人つくるだけでいい。そこから生活は変わることを、これから二拠点を始める人には伝えたいですね」

地域に溶け込むには時間がかかるので、急いで結論を出さないことも大切です。
「特に中山間地域の場合、何代にもわたって暮らし続けている人たちの中にいきなり飛び込むわけで、違和感を持たれるのが当たり前。マッチするには時間もかかるんです。例えば、個人的な予定がいろいろ入っている都市生活者は、集落には草刈りなどの共同作業に『なるべく出てもらいたい』と言われると、ちょっと圧力的に感じるんですよね。
でもそれは意地悪ではなく、地域を自分たちで管理している生活の常識からなんです。自然と一緒に生きていくための都合というものがあって、都市生活とは異なるライフスタイルの“理由”を知ることが大事だと思いますね。もちろん、二拠点の場合、参加できないこともありますが『こっちの都合もあるから』と開き直るのでなく、地域仕事をしてくれる方々に感謝の気持ちをまず、持つこと。あと、『自分はどう思われているだろう』と考えすぎないこと。
集落の人たちはみんな忙しく生きていますから、変わった暮らし方をする家族がいたとしても、そこまで毎日気にするヒマはないかも。思春期の高校生みたいな自意識過剰は、あえて外してみるといいですね」

馬場さんの家の周りには牧歌的な景色が広がる。農業のほかに酪農も行われており、写真の左に映るのは少し前まで牛舎として使われていた建物(写真撮影/相馬ミナ)

馬場さんの家の周りには牧歌的な景色が広がる。農業のほかに酪農も行われており、写真の左に映るのは少し前まで牛舎として使われていた建物(写真撮影/相馬ミナ)

それぞれの二拠点・移住ストーリー~コーヒーロースター・元沢さんの場合~

南房総でのコミュニティは集落以外にも広がっています。馬場さんが「もっちゃん」と呼ぶ「ボタリズムコーヒーロースター」の元沢信昭(もとざわ・のぶあき)さんはその一人。商社でコーヒー関連商材の企画営業を担当したのち、2018年に千倉町で独立・開店。世界各国の生豆を仕入れ、自家焙煎して販売しています。

元沢さんは東京からの移住者。焙煎のスペシャリストであるだけでなく、養蜂家、狩猟家、サーファーなど多彩な顔をもつ(写真撮影/相馬ミナ)

元沢さんは東京からの移住者。焙煎のスペシャリストであるだけでなく、養蜂家、狩猟家、サーファーなど多彩な顔をもつ(写真撮影/相馬ミナ)

扱うのは世界各国の名門農園から取り寄せたスペシャルティコーヒー。小型の焙煎機を使って小ロットで焙煎するため、常に新鮮な状態で販売できるという(写真撮影/相馬ミナ)

扱うのは世界各国の名門農園から取り寄せたスペシャルティコーヒー。小型の焙煎機を使って小ロットで焙煎するため、常に新鮮な状態で販売できるという(写真撮影/相馬ミナ)

店舗になるのはリノベーションした古倉庫。仲間4人で共同購入し、元沢さん以外は趣味のスペースとして利用している(写真撮影/相馬ミナ)

店舗になるのはリノベーションした古倉庫。仲間4人で共同購入し、元沢さん以外は趣味のスペースとして利用している(写真撮影/相馬ミナ)

店からガラス越しに見えるのは、仲間が使うバイクのレストアスペース。ギャップが楽しい(写真撮影/相馬ミナ)

店からガラス越しに見えるのは、仲間が使うバイクのレストアスペース。ギャップが楽しい(写真撮影/相馬ミナ)

東京で暮らしていた元沢さんが南房総市に移住したのは2017年。その前は東京と南房総で二拠点生活を送っていました。
「僕は昔からサーフィンが趣味で、独身のころから毎週のように南房総の海に来ていたんです。結婚して子どもが生まれると、僕が感じるその自然の中での子育てをしたいなと思うようになり、ずっと物件を検索していました。そんな時に出合ったのが今、住んでいる家。ちょうど馬場さんのブログを読んで『これだ、俺のやりたい生活は』と。僕は親の仕事の都合で全国を点々としていて、地元と呼べる故郷がなかったので未織さんのように拠点をつくるっていうことに憧れみたいなのがあって。結構、悩んだけれど、ブログに背中を押される形で、エイッて購入したんです」(元沢さん)

二拠点生活は3年間続き、ますます南房総に魅了されたそう。
「3年通うとこっちに友達ができるし、彼らの生活とか時間の使い方がすごく心地よくて。都会のストレスを癒やしてバランスを取ろうと思ってたけど、僕の場合は南房総の比重がどんどん大きくなって、今移住しなかったら多分一生しないなと思って、移住する選択をしたんですよね」(元沢さん)

移住を機に仕事も変えることを決断したという元沢さん。都会ではできない仕事を模索し、養蜂や狩猟に取り組んだこともあったそうですが、行き着いたのはロースターという仕事でした。
「僕が勤めていた商社では日本スペシャルティコーヒー協会に関わっていて、『ジャパン・バリスタチャンピオンシップ』のスポンサードもしていました。だからトップレベルのコーヒーを飲む機会に恵まれ、焙煎のノウハウも持っていたんですね。生豆も産地からダイレクトに近い形で仕入れられるので、自分で焙煎していたら友達や親戚が買ってくれるようになって。飲んでくれる人がいるなら、ちゃんとやろうと昔のコーヒー業界の仲間に声をかけて焙煎機を譲ってもらい、ロースタリー兼店舗として今の物件を仲間と共同購入したんです」

オープンを控えた2019年には記録的な暴風と大雨が襲った台風15号の被害に遭い、その後はコロナ禍という苦境に立たされつつも徐々に評判は広まり、今では全国から取り寄せの注文が入るほど。馬場さんも元沢さんのコーヒーの大ファンです。
「彼のコーヒーは地域で喜ばれるというレベルじゃなくて、遠方からわざわざ買いに来るだけの絶対値的なクオリティがあります。それって、今後のローカルの指標になる気がするんですね。トップ・オブ・トップが地方にいるということがすごく心強いし、私自身も誇らしいです」(馬場さん)

「話すこともやっていることも偽りがなく、打算なしにハートで動くところがもっちゃんの魅力。マニア度が極めて高くて、彼のジビエはすごくおいしいんですよ」と馬場さん

「話すこともやっていることも偽りがなく、打算なしにハートで動くところがもっちゃんの魅力。マニア度が極めて高くて、彼のジビエはすごくおいしいんですよ」と馬場さん

ペーパードリップで丁寧に抽出。豆の膨らみ方から鮮度のよさが伝わってくる。馬場さんのお気に入りはエチオピアの”イルガチェフェ G1 ナチュラル”(写真撮影/相馬ミナ)

ペーパードリップで丁寧に抽出。豆の膨らみ方から鮮度のよさが伝わってくる。馬場さんのお気に入りはエチオピアの”イルガチェフェ G1 ナチュラル”(写真撮影/相馬ミナ)

テイクアウトのコーヒーを買いがてら、元沢さんとおしゃべりしていく人も多い。南房総の陶芸家、志村和晃さん作のマグカップなどオリジナルグッズも販売(写真撮影/相馬ミナ)

テイクアウトのコーヒーを買いがてら、元沢さんとおしゃべりしていく人も多い。南房総の陶芸家、志村和晃さん作のマグカップなどオリジナルグッズも販売(写真撮影/相馬ミナ)

そんな元沢さんは馬場さんにとって養蜂の師匠でもあります。元沢さんが育てるニホンミツバチを分けてもらったのをきっかけに、すっかり養蜂にのめりこんでいるとか。
「ニホンミツバチから採集できるのは、百花蜜といってその地域に咲くさまざまな花の蜜。地域の味の蜂蜜って夢のある響きだなと思って始めたら蜂に情が移り、巣に近寄ってお花見ならぬ“お蜂見”をしています。蜂は非常に賢い生き物で、一つ一つの行動に意味があり、見て分かるようになるとどんどん“蜂愛”が強くなっていくんです」(馬場さん)

自宅の敷地内に置いた養蜂の巣箱。南房総に来たときは蜂の世話にも余念がない(写真撮影/相馬ミナ)

自宅の敷地内に置いた養蜂の巣箱。南房総に来たときは蜂の世話にも余念がない(写真撮影/相馬ミナ)

「蜂は動きもかわいいんですよ。巣の現況を把握して管理をするために、毎回巣箱の内部の様子を動画で録って見ています」と馬場さん(写真撮影/相馬ミナ)

「蜂は動きもかわいいんですよ。巣の現況を把握して管理をするために、毎回巣箱の内部の様子を動画で録って見ています」と馬場さん(写真撮影/相馬ミナ)

それぞれの二拠点・移住ストーリー~看護学校教員・西村さんの場合~

「もう一人、紹介したい方がいるんです」と馬場さんに案内されたのは「安房医療福祉専門学校」です。南房総市の隣、館山市にあるこちらは看護師の国家資格取得を目指す専門学校。入り口ではこの学校で教鞭を取る西村禎子(にしむら・さちこ)さんが笑顔で出迎えくれました。

「うちの学生はみんな地元が大好き。県外から入学してきた生徒でも、卒業後にこの地域の医療機関で働くケースが多いんです」と西村さん。馬場さんが地域包括ケアに関する記事を書く際、知識と経験の豊富な西村さんに取材したことも。プライベートでもイベントに誘ったり誘われたりと顔を合わせる機会は多いとか(写真撮影/相馬ミナ)

「うちの学生はみんな地元が大好き。県外から入学してきた生徒でも、卒業後にこの地域の医療機関で働くケースが多いんです」と西村さん。馬場さんが地域包括ケアに関する記事を書く際、知識と経験の豊富な西村さんに取材したことも。プライベートでもイベントに誘ったり誘われたりと顔を合わせる機会は多いとか(写真撮影/相馬ミナ)

西村さんは訪問看護のエキスパート。もともとは神奈川県のクリニックで働いていましたが、この地域に先進的な訪問看護のクリニックがあることを知り、行き来をするうちに2014年に移住に踏み切ったそうです。
「最初は憧れのクリニックで働いていましたが、移住して2年目に当校で学生に教える立場になりました。今は教鞭を取って9年になりますが、卒業した後に地元の医療機関で働く率は高く、別の地域ですが訪問看護ステーションを立ち上げた卒業生もいます。そうやって実践してくれるのは嬉しいですし、心強いですね。ここは創立12年の新しい学校なので、私も一緒に育ててもらったような感じがあります」(西村さん)

そんな西村さんが常々学生たちに伝えているのは、看護師免許があれば自由に生きられるということ。
「看護師免許があれば人生の選択肢がより広がるんですね。自分もそうでしたが、看護師をしてなかったら神奈川からここに引越すなんて考えられなかったと思うんです」(西村さん)

馬場さんはそんな教えに共感を寄せています。
「先生が素晴らしいのは、『あなたたちは看護師の資格を持ったら自由に人生を進めていいんだよ。その資格さえあればどこでも暮らせるし、また戻ってこれるんだから囚われないでやりなさいよ』と教えているところです。その言葉で学生たちはこの地域を巣にして安心して飛び立てるんですね。
この考え方は看護学生のみならず『自分はここで生きていかねばならい』など『こうあらねばならない』に縛られているさまざまな人たちにも響き、自分を相対化するきっかけにもなりますよね。だから私が関わる地域プロジェクトで話していただくこともあります」(馬場さん)

さらに、馬場さんが関わる地域活性プロジェクトに教え子たちが加わることもあり、台風被害を受けた老舗旅館の再生では学生たちからさまざまなアイデアが出されたそうです。

「安房医療福祉専門学校」は2014年に開校。実習室は最新の設備が整い、実際の病室と同じ環境で演習ができる。地域とともに歩む学校づくりを目指し、2階の講堂は地域住民も利用可。正面階段から直接入れるように設計されている(写真撮影/相馬ミナ)

「安房医療福祉専門学校」は2014年に開校。実習室は最新の設備が整い、実際の病室と同じ環境で演習ができる。地域とともに歩む学校づくりを目指し、2階の講堂は地域住民も利用可。正面階段から直接入れるように設計されている(写真撮影/相馬ミナ)

東京のご近所付き合いを見直してみたら“生き心地”が変わった

こうした南房総での人との出会いは、東京の暮らしを見直すきっかけにもなっています。その一つが東京でのご近所付き合いでした。

「南房総では近所に好きな人がたくさんいて仲良くしているのに、東京のご近所をおろそかにしてたなと思って。ゴミ捨てで挨拶ぐらいはするけれど、ちょっとなんか関係が疎遠だったなと反省したんです。そこで『おはようございます』の後に一言添えてみたり、採れすぎたたけのこや山菜をお裾分けしたり。そうやって意識的に距離を縮めるようにしていたら、普段は挨拶も微妙なコミュニケーションをとりづらいおじいさんがロードバイクで出かけようとする私を見て『かっこいいね』と言ってくれたんです。
その一言が、めっちゃ嬉しくて。田舎は近所付き合いが濃くて、東京は希薄、と乱暴な二項対立を決めつけ固定化していたのは自分だったと気付きました。

確かに東京はご近所同士で助け合わなくても生きていけるけれど、距離を縮めると生き心地が変わるんですよね。自分が行動を変えれば全然違うご近所関係ができるのに、私がつくろうとしなかっただけ。東京が悪いんじゃなくて私の問題だったんだなと。そうやって自らの行動を俯瞰すると、表面的な事象に囚われてできた思い込みが外れ、被写界深度(※)が深まっていく気がしますね。同時に、状況を変化させるための手立てが、実はあるんだ!と次の扉がひらいていくんです」

※被写界深度(ひしゃかいしんど)/カメラのピントを合わせた場所から、手前と奥方向のどの範囲までが鮮明に写るかを示す奥行きの範囲。カメラや映像の分野で使われる専門用語

山だけでなく海の自然も楽しめるのが南房総の魅力だ(写真撮影/相馬ミナ)

山だけでなく海の自然も楽しめるのが南房総の魅力だ(写真撮影/相馬ミナ)

馬場さんの話を伺い感じたのは、暮らしの密度の濃さです。1日が24時間であることは変わりないのに、二拠点生活を選択したことで暮らしは二倍の時間が流れているように感じました。それはきっと、もう一つの拠点によって自由を得た馬場さんのパワフルな行動力があるからでしょう。そのパワーはさまざまなプロジェクトにも向けられています。後編では馬場さんが立ち上げた「南房総リパブリック」や「neighbor」の活動について紹介します。

●取材協力
馬場未織さん
ボタリズムコーヒーロースター
安房医療福祉専門学校

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