【連載コラム】マンガライターちゃんめいの「一曲、読んでみる?」第5回-『君がまた描きだす線』(加藤羽入)と女王蜂「FLAT」
このマンガを読むとあの曲が脳内に鳴り響く…。
それは逆もまた然りで、時にマンガと音楽が出逢う奇跡みたいな瞬間がある。本連載では、そんなマンガと音楽の邂逅に恵まれた瞬間をマンガライターのちゃんめいが徒然なるままに綴っていきます。
<紹介する作品>
・『君がまた描きだす線』(加藤羽入)
・女王蜂「FLAT」
ライターという仕事の大半は“疑うこと”に費やされている気がする。私は普段、マンガ分野のライターとして活動しているのだが、レビューで「唯一無二の世界観が」なんて言葉を書いた日には、必ず手が止まる。「どこが、どう唯一無二なのか?」と、自分で自分に問いかけてしまう。作家さんへのインタビュー記事を書くときもそうだ。「この言い回しは正確か?」「この一文が、その人を誤解させるものになっていないか?」そんなふうに、何度も何度も自問しながら書いている。
それは決して自信のなさからではない。疑って、削って、書き直して。そうしてようやく辿り着いた言葉だけが、本当に信じられる。そして、信じられる言葉だけが、誰かにちゃんと届くと信じている。
だから今回で5回目となるこの連載も、作家さんやアーティストの方にとって不遜な視点になっていないか、と。やっぱりまだ疑いながら書いている。そんなふうに逡巡しながらこの導入を書いていたら、ふと、ある曲と、あるマンガの主人公たちのことを思い出した。
――――そうだった。疑った先にだけ、信じられるものがある。その感覚を、私のなかでもっと確かなものに変えてくれたのが、
この曲は、成長とともに変わっていく身体や心への違和感。それを“こうあるべき”と枠にはめようとする社会への疑問から始まる。まるで、BLだのGLだのNLだの誰かが名付けた枠の中で泳がされる日々に、アヴちゃんの歌声が「なんで?」とそっと問いかけるようだ。その美しい声は、どこか切なさを帯びながら聴く者の胸の奥をそっと叩く。優しさのなかに、確かな力を宿して。
そして、その問いは最後にこう辿り着く。
FLATにしたいよ
心がもう迷わないよう
疑うから信じられる
平坦な戦場
「FLAT」 / 女王蜂
「FLAT」は、直訳すれば “平らな” や “均一な” という意味になる。どこか無機質で、感情のない状態を想像する人もいるかもしれない。でも、この曲の「FLATにしたい」は、心をならすことでも、感情を押し殺すことでもない。むしろ、揺れる心のままに、疑いながら、それでも現実と向き合おうとする。そんな、静かで、確かな意志の表明だ。
つまり「疑う」という営みそのものが、人生という戦場で、自分で在り続けるための、静かな盾であり、剣なのかもしれない……。この曲を聴くたびに、私はそんなことを思う。例えるなら「FLAT」は私にとって、自分を見失いそうなときに聴く、羅針盤のような曲だ。
そして、その羅針盤に導かれるように思い出すのが、この曲と同じように。いや、まさに“疑いのなかから信じるに足る道”を探し続ける主人公たちが描かれた作品。それが、『君がまた描きだす線』(加藤羽入)だ。
本作の舞台は、女性向けマンガの編集プロダクション。そこに集う編集者や作家たちが、それぞれの立場から“マンガ”を通して、互いに手を取り合い、理不尽な社会に抗っていく群像劇だ。
登場するのは、かつて声優を目指して走り抜けた末に、業界の歪んだ構造に傷つき、編集者として立ち上がった女性。または、幼い頃から「女の子はこうあるべき」「恋をするのが当たり前」と刷り込まれた社会に違和感を覚え、「恋愛以外の少女マンガ」を描こうとする漫画家……など、夢を抱きながらも、理不尽な現実の壁に幾度もぶつかり、傷つき、迷い、それでもなお、どう在りたいのかを問い続ける人たちだ。
だからこそ、初めてこの物語に触れたとき、私はどこか身構えてしまった。正直に言うと、私は“痛みを共有した女性たちが連帯し、社会に抗っていく物語”に対して居心地の悪さを覚える時がある。それは、そこに描かれている強さや誇りに、どこか圧倒されてしまうからだ。
私は、全然強くない。痛みを感じたら、立ち止まって泣いてしまうし、すぐに諦めたくもなる。物語のように支えてくれる仲間がいつもそばにいるわけでもなく、主人公たちのように高潔に、立派に、真っ直ぐ生きられるわけでもない……。だからこそ、そうした“連帯の物語”を読むとき、自分の弱さや情けなさがじわじわと炙り出されるような気がして、息苦しくなることがあった。
でも、『君がまた描きだす線』に描かれているのは、「強くあれ」と鼓舞する物語ではない。もっと不確かで、揺らぎに満ちた、現実に近い物語だ。
この物語の登場人物たちは、ずっと“疑っている”。 社会の歪み、業界の理不尽、押し付けられてきた価値観に対して、涙し、怒り、戸惑い、そして問い直す。時には、自分の中にある理想や夢、描きたいと思っていたものすらも疑い直していく。
「本当にこれが描きたいものなのか?」「誰かに届けたいと思えるものなのか?」何度も立ち止まりながら、自分の輪郭をなぞるように、問い続け、自分の「線」を、もう一度描こうとする。
この作品が描いているのは、「何を信じるか」というゴールではない。「どう疑い、どう迷い、どう信じ直すか」という、終わりのないプロセスだ。それは、私のように、まっすぐに歩けない誰かのためにこそある、静かな強さの物語なのだと思う。
――――たぶん私はこれからも、ずっと疑い続けると思う。書いた言葉は本当に正確か。誰かを誤解させてしまわないか。この視点は、誰かの表現や生き方を、傷つけるものになっていないか。自分が本当に届けたいものは、今もちゃんとここにあるか。
それは冒頭で言ったように決して、自信がないからではない。ただ、信じられる言葉に辿り着くために私は問い続ける。揺れながらでも、足を止めずに。
「FLAT」の歌声に背中を押されながら。『君がまた描きだす線』の登場人物たちの姿に励まされながら、私は今日も書く。まっすぐじゃなくても、弱くても、書き直しながらでも。
●マンガライターちゃんめいの「一曲、読んでみる?」は毎月1日22時に掲載予定です
プロフィール
ちゃんめい
マンガライター。マンガを中心に書評・コラムの執筆のほか作家への取材を行う。宝島社「このマンガがすごい!2024、2025」参加、その他トークイベント、雑誌のマンガ特集にも出演。オールタイムベストは『鋼の錬金術師』(荒川弘)。
https://x.com/meicojp24
https://chanmei-manga.com/
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