「相碁井目」とはどんな意味?
人にはそれぞれ実力差があることを意味する四字熟語、それが「相碁井目(あいごせいもく)」です。
しかし、なぜ「相碁井目」と書いて実力差があることを意味するのでしょうか。
今回はそんな「相碁井目」がどのような四字熟語なのか解説します。
「相碁井目」とは
ここでは「相碁井目」の意味を解説します。
「相碁井目」の意味
「相碁井目」は、それぞれの実力差が様々であることの例えです。
力がある人もいれば力がない人もいることを言う四字熟語となっています。
もともと「相碁井目」は囲碁の腕前に例えた表現だったとされています。
現に囲碁では対等に打つ「相碁」もあれば、どちらかが「井目」で打つほど棋力に差のある対局もあるのが特徴です。
そのような状況から生まれたのが「相碁井目」という表現です。
転じて、同じ物事でも人によって腕前は色々であることを例える表現として使用されるようになりました。
「相碁井目」の用い方・例文
「相碁井目」は同じことでも腕前や実力に差がある場面で使用します。
・例文1:相碁井目というように、同じ仕事であっても「できる人」と「できない人」がそれぞれいるからこそ適材適所で配置することを忘れてはならない。
・例文2:あの人は格闘ゲームだとめっぽう強いがシューティングゲームとなるとめっぽう弱い。まさに相碁井目と言えるだろう。
・例文3:勝負事は実力差がはっきりと出てしまうが、仕方ないことである。相碁井目という言葉があるように人の力というのは三者三様・千差万別なのだ。
このように「相碁井目」は人々の間には自然と力の差があることを言います。
何をやっても本人が持っているスキルやテクニックには差があるのが現実です。
「相碁井目」は人それぞれ得手不得手があるというニュアンスでも使用されるので注意が必要となるでしょう。
「相碁井目」の成り立ち
ここからは「相碁井目」の成り立ちを紹介します。
「相碁」があらわすもの
「相碁」は実力が同等の人たちが打つことを意味します。
「相碁」は対等な相手同士での対局を表しているため、基本的にはハンデのない公平な試合となるのが特徴です。
ちなみに「相碁」は「そうご」ではなく「あいご」と読みます。
「井目」があらわすもの
「井目」は基盤上の9つの点のことを指します。
「井目」は盤面で星の位置を示す黒い点のことで全部で9個あるのが特徴です。
棋力に差のある2人が対局する際、ハンデとして弱い方があらかじめ碁盤に石を置いて対局する「置き碁」で使用される囲碁用語となっています。
「置き碁」では強い方と対等に戦えるよう9個の「井目」すべてに石を置いてから対局に入る「9子局」などでハンデを埋めるのが特徴です。
なお「井目」は「いもく」ではなく「せいもく」と読み「聖目」や「星目」とも書きます。
「相碁井目」の類義語
ここからは「相碁井目」の類義語を紹介します。
三者三様
「三者三様」は、物事のやり方や考え方は人それぞれであることの例えです。
3人の者がいれば3通りのやり方や考え方があることを言う四字熟語となります。
現に同じ物事であっても3人いればそれぞれやり方や考え方は変わってきます。
その点が「相碁井目」と似ているのではないでしょうか。
千差万別
「千差万別」は、どのような物事もすべて異なっていて1つとして同じではないことの例えです。
「千」「万」は数が無数にあることを意味しています。
「差」「別」は各々の違いを指しています。
要は人の数だけ相違や差異があるということです。
もっと簡単に言えば「人それぞれ」という意味となります。
その点が「相碁井目」に通ずるのではないでしょうか。
まとめ
「相碁井目」はもともと囲碁用語として使用されていた言葉です。
転じて、現代では実力差が人それぞれあることを表す言葉として使用されています。
実際に実力の有無は人によって変わってきます。
たくさん練習しても一向にうまくならない人がいれば、逆にちょっと練習すればすぐにうまくなる人もいるのが現実です。
「相碁井目」はそういった人の実力差を表す四字熟語なので、ぜひ覚えておきましょう。
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