豪雪地帯・十日町の古民家に魅せられたドイツ人建築家の10年。カール・ベンクスさんが移住して10年、古民家再生を続けて今起きている変化 新潟

廃村の危機にあった山奥の限界集落が、「奇跡の集落」と呼ばれるようになった理由は1人のドイツ人が訪れたから!?

豪雪地帯としても知られる新潟県十日町市。ここに、次々と若い人々が移住してくることから「奇跡の集落」と呼ばれている竹所(たけところ)集落があります。

山奥の限界集落という言葉のほうがふさわしいような竹所が、なぜ「奇跡の集落」と言われるようになったのでしょうか。その奇跡は、ドイツ人の建築デザイナーであるカール・ベンクスさんが、偶然訪れたことから始まりました。

朽ち果てそうな古民家を自宅へと再生した

建築デザイナーのカール・ベンクスさん。現在は日本の仕事が忙しすぎて、母国ドイツには古民家再生の材料を買い付けに、年に2~3週間帰る程度だそう(撮影/中田洋介)

建築デザイナーのカール・ベンクスさん。現在は日本の仕事が忙しすぎて、母国ドイツには古民家再生の材料を買い付けに、年に2~3週間帰る程度だそう(撮影/中田洋介)

新潟県十日町市の中心街にある十日町駅から車で約40分、住民の念願がようやく実って開通した北越急行ほくほく線の、最寄駅であるまつだい駅からでも約20分。竹所は、自然豊かな山中にある小さな集落です。

まつだい駅から竹所集落に行く途中の道。どんどん緑が濃くなっていく(撮影/中田洋介)

まつだい駅から竹所集落に行く途中の道。どんどん緑が濃くなっていく(撮影/中田洋介)

小さいながらも、竹所には昭和30年代に30軒以上の家がありました。しかし、全国に点在する他の山間部の集落同様、少子高齢化と人口流出の波にあっという間に飲み込まれ、カールさんが訪れた平成5年(1993年)には、わずか9軒にまで減っていました。

そんな廃村の危機に見舞われていた竹所に、お米の買い付けに行くという知人に誘われて訪れたカールさんは、1軒の廃屋に一目惚れしました。中に入った時に骨組み(柱と梁)やケヤキが使われている材料の良さにも魅了されただけでなく、廃屋からの景色も含めて目を奪われたそうです。

「目の前の山々がとても優しかったんです」。そんなふうにカールさんは表現します。

ドイツの旧東ベルリンに生まれたカールさん。彼が生まれる2カ月前に第二次世界大戦で戦死した父は日本美術に高い関心を寄せていたそうです。建築家のブルーノ・タウトが日本建築に関して記した著書も、父の遺品の1つでした。

それもあってでしょう、幼いころから日本に興味がありました。若いころには約7年間日本で生活したこともあります。やがて建築デザイナーとして活躍するようになると、当然のように日本の古民家に強くひかれ、ドイツに日本の古民家を移築する仕事に携わります。そうした中で訪れたのが竹所でした。

竹所集落。右の木々に隠れているのが、人気のカフェ「イエローハウス」(撮影/中田洋介)

竹所集落。右の木々に隠れているのが、人気のカフェ「イエローハウス」(撮影/中田洋介)

ですから、訪れた理由には仕事に繋がる古民家を見つけることもありましたが、日本での活動拠点も探していました。さらに、この時カールさんは51歳。引退後の終の住処について、国際線のCAだった妻のクリスティーナさんとよく話すようになっていたころでした。

終の住処の候補については、アルプス山脈が横たわるドイツの南側もありましたし、妻のクリスティーナさんが国籍を持っているスイスもありました。

「でも、アルプスの山はとても険しい。ここ(竹所)の山とは違います」(カールさん)

しかも、朽ち果てそうとはいえ、日本の古民家が残っていました。カールさんは、すぐに廃屋の所有者に連絡を取り、購入を即決。

ひと言の相談もなく買ったことに対して最初クリスティーナさんは腹を立てたそうですが、初めて竹所を訪れると、その美しい景色にやはり一目惚れ。こうして見つけた古民家を「双鶴庵(そうかくあん)」として再生しました。

カールさんが初めて日本で再生した古民家「双鶴庵」は、現在でもカールさん夫妻の自宅(撮影/中田洋介)

カールさんが初めて日本で再生した古民家「双鶴庵」は、現在でもカールさん夫妻の自宅(撮影/中田洋介)

かつての「双鶴庵」(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

かつての「双鶴庵」(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

双鶴庵が出来上がるやいなや、もう1軒の空き家を「もったいない」と自腹で購入し、同じように再生。それが今とても人気のカフェになっている「イエローハウス」です。

カールさんが2軒目に手がけた「イエローハウス」。近くの古民家が取り壊されるかもしれないと聞き、カールさんが自腹で購入して再生した(撮影/中田洋介)

カールさんが2軒目に手がけた「イエローハウス」。近くの古民家が取り壊されるかもしれないと聞き、カールさんが自腹で購入して再生した(撮影/中田洋介)

かつての「イエローハウス」(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

かつての「イエローハウス」(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

カールさんが初めて竹所を訪れてから、もう31年が経ちました。今や竹所には13棟、竹所の最寄駅「まつだい駅」のある松代の商店街には12棟、全国で70棟近くの古民家がカールさんによって再生されています。

現在、竹所の世帯数は15世帯。決して多くはありませんが、子育て世代の若い移住者が増えたことで、人口の半分以上が65歳以上を占める、いわゆる限界集落を脱しています。

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日本の古民家は、世界一の技術と、世界一の材料でできている

それにしても当時、崩れかけた茅葺き屋根や、外張りされた板が至るところで剥がれ落ちてボロボロになった土壁が露出しているような、廃屋寸前の小さな古民家を、なぜ即決で購入したのでしょうか。白川郷にある茅葺き屋根の家屋とまでは言いませんが、外国人はもとより、日本人でさえも「古民家」と言えば、つい最近まで人が暮らしていたかのような、もう少しキレイな古民家を頭に浮かべそうなものですが。

「幾度も日本家屋をドイツに移築していましたから。日本で古民家をバラして、柱や梁などをコンテナに積んで輸送し、ドイツで組み立て直していたので、日本の古民家は簡単にバラせることや、再び組み立てられることを知っていました。ですから、見た目はボロボロでも、日本家屋は再生できると分かっていました」(カールさん)

カールさんによれば、ドイツでも少し郊外に行けば、日本家屋と同じく柱と梁を用いた木造軸組工法の家々が当たり前のようにあるそうです。またバルト海に近い北の地域には茅葺きの屋根の家もたくさん建っているのだそう。

「ただ、技術や材料は日本が世界一です」(カールさん)

例えばドイツでは柱と梁を繋ぐ際に大きなボルトなど、金物を使います。しかし日本の古民家は、釘を使わずに建てる技術があるほど、基本的にはドイツよりも金物を使いません。

「ドイツでは曲がった木材は製材してまっすぐにします。ところが日本の職人は曲がった木材でさえ、巧みに梁として利用します。ブルーノ・タウトも『日本の職人は芸術家だ』と言っています。
ですから、たとえ見た目はボロボロでも『世界一の材料』を『世界一の技術』で組み直せば、見事に復活できるというわけです」(カールさん)

改修中のカールベンクスハウス「三井屋」(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

改修中のカールベンクスハウス「三井屋」(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

現在、売り出し中のカールベンクスハウス「三井屋」。松代の商店街にあった元和菓子屋を再生した古民家(撮影/中田洋介)

現在、売り出し中のカールベンクスハウス「三井屋」。松代の商店街にあった元和菓子屋を再生した古民家(撮影/中田洋介)

カールベンクスハウス「三井屋」の外観。床面積245.14平米で、価格は6272万円(撮影/中田洋介)

カールベンクスハウス「三井屋」の外観。床面積245.14平米で、価格は6272万円(撮影/中田洋介)

カールベンクスハウス「三井屋」の玄関まわり。ドアを囲むように備えられた大きな木は、もともと火鉢のある一枚板のテーブルとして使われていたものを再利用したそう(撮影/中田洋介)

カールベンクスハウス「三井屋」の玄関まわり。ドアを囲むように備えられた大きな木は、もともと火鉢のある一枚板のテーブルとして使われていたものを再利用したそう(撮影/中田洋介)

時代に合わせて機能を向上させ、間取りを変える

しかし、単に“組み直す”わけではありません。
「今の時代の生活に合わせる必要があります。傷んだ所を接ぎながら使い続ければ平気で100年くらい保つ日本の家屋が、なぜ今捨てられているのか。それは今の時代に合っていないからだと思います」(カールさん)

例えば断熱材の無かった時代に建てられた古民家は、夏は暑く冬は寒いのが家の中でも当たり前でした。また以前の日本家屋では食料を腐らせないように、台所は日の当たらない北側につくられるのが一般的だったため、どうしても暗くなりがち。もちろん、現在の耐震基準にも対応していません。

カールさんが古民家を再生する場合は、まず使える柱や梁の部材を見極め、必要に応じて新しい木材に変えます。また壁に筋交いを入れて構造を補強。

さらに断熱材をたっぷりと使います。日本の古民家の多くは薄い土壁と板、窓は薄いガラス1枚で、外の空気と隔たれていました。一方カールさんは厚い断熱材を組み込み、窓にはドイツから輸入した複層ガラスを用いた木製サッシを使います。さらに床暖房も採用。

カールベンクスハウス「三井屋」の改修前の写真(撮影/中田洋介)

カールベンクスハウス「三井屋」の改修前の写真(撮影/中田洋介)

2階に設けられたベッドルーム。断熱性の高いドイツ製の窓が備えられている(撮影/中田洋介)

2階に設けられたベッドルーム。断熱性の高いドイツ製の窓が備えられている(撮影/中田洋介)

厚い断熱材を壁に入れるため、柱の太さより壁のほうが厚くなり、本来は家の外に柱が見えることはありません。そこでカールさんは、デザインとして“付け柱”を備えます。

もちろん間取りも“今”の生活に添った間取りに変更します。自由に間取りを変えられるのは、木造軸組工法の良いところの1つです。

例えばカールさんの自宅、双鶴庵の場合、屋根裏にロフトを設置。葺き直した茅葺き屋根に近いため、茅の香りがするこの特別な空間に、カールさんはクリスティーナさんのための書斎と、寝室を設けました。また妻のクリスティーナさんがお気に入りの景色を眺めながら調理できるように、キッチンの前に大きな窓を備えています。

日本の伝統色とは異なる、カラフルな古民家

もう一つ。カールさんの再生する古民家には大きな特徴があります。それは色。「イエローハウス」と名付けられた古民家をはじめ、双鶴庵は妻のリクエストでバラ色ですし、十日町市のシェアハウスはグリーン……。日本の伝統的な色とはまったく異なる、色とりどりの古民家です。

イエローハウスのオーナー、吉田えり子さん。カフェの運営は友達が代わる代わる東京方面からやってきて、手伝ってくれるそう。取材日は吉田さんのお孫さんもお手伝いに来ていた(撮影/中田洋介)

イエローハウスのオーナー、吉田えり子さん。カフェの運営は友達が代わる代わる東京方面からやってきて、手伝ってくれるそう。取材日は吉田さんのお孫さんもお手伝いに来ていた(撮影/中田洋介)

20年以上前に「イエローハウス」を購入した吉田えり子さんは、やはりその色に誘われた1人と言えるかもしれません。東京で暮らしていた吉田さんですが、昔から同世代の友達と集えるような場所が欲しかったそうです。そんなある日、たまたま本屋さんで日本全国の再生された古民家が掲載されている本を手に取り、購入。

しかしページをめくる度に「日本の古民家は素敵だなと思いましたが、どこかさびしい感じがしました」とのこと。

ところが唯一、ページをめくる手が止まった古民家がありました。それがカールさんの手がけた「イエローハウス」です。

「和洋折衷のモダンな、温かい感じがあったんです」(吉田さん)

しかも、購入者を募集している、なんて書かれていました。もう居ても立っても居られず、すぐさま竹所へ。実際の建物を見て、そしてカールさんにも会い、その場で購入を決めました。

すぐにでもここに暮らしたいと思ったそうですが、購入したころはまだ東京で仕事をしていたため、しばらくは休みの日などに友達を誘って訪れていたそう。やがて、友人のひと言でカフェを開くようになり、ついに昨年仕事をリタイアしてカフェの経営に本腰を入れることに。今年の秋からイエローハウスで暮らすことになりました。

大きな吹き抜けのあるイエローハウス。屋根の内側には茅葺きが残されている(撮影/中田洋介)

大きな吹き抜けのあるイエローハウス。屋根の内側には茅葺きが残されている(撮影/中田洋介)

竹所集落の食材をメインに使った「丹保さんのごはんセット(1800円)」(撮影/中田洋介)

竹所集落の食材をメインに使った「丹保さんのごはんセット(1800円)」(撮影/中田洋介)

冬になれば一面を白い雪が覆う竹所は、これまで「銀世界」や「モノトーン」という言葉がぴったりでしたが、今は冬でもカラフルです。

むしろ、真っ白なキャンバスに色とりどりの古民家が並ぶ景色は、とても日本とは思えない風景。まるでモノクロ映画しか上映されなかった映画館に、カールさんが初めてカラー映画を持ち込んだような、そんな竹所の冬の光景です。

竹所の小正月イベントの様子(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

竹所の小正月イベントの様子(写真提供/カールベンクスアンドアソシエイト)

カールさんが初めて日本で再生した古民家「双鶴庵」 古民家 カールさんが2軒目に手がけた「イエローハウス」

(撮影/中田洋介)

カールさんのもとに、若い人たちが自然と集まってくる

平成22年(2010年)、カールさんは竹所から車で約20分の松代の商店街にあった老舗旅館を「まつだいカールベンクスハウス」として改修。古民家の良さをたくさんの人に知ってもらおうと、1階にカフェ「澁い-SHIBUI-」をオープンし、2階に自身の事務所を開設しました。

まつだいカールベンクスハウス。1階はカフェ「澁い-SHIBUI-」で、2階が事務所になっている(撮影/中田洋介)

まつだいカールベンクスハウス。1階はカフェ「澁い-SHIBUI-」で、2階が事務所になっている(撮影/中田洋介)

ほどなく日本各地から古民家再生の依頼が来るようになり、やがて総務省の平成28年(2016年)度「ふるさとづくり大賞」では、夫妻で内閣総理大臣賞を受賞。受賞理由は「普通なら古民家を昔通りに戻すが、カールさんは色も形も変える。それが地域にインパクトをもたらし、移住してきた人もいる。なるほどこういう使い方もあるのか、という外国人ならではの視点」が評価されたようです。

このように建築デザイナーとして日本で活躍する上で、カールさんに欠かせないのが、腕のいい地元の工務店です。

とはいえ、昔から見れば腕のいい大工さんは年々減っているそうです。一方で「最近は若い人でも、こういう仕事をしたいと思う人が増えてきました」(カールさん)とうれしそう。

「澁い-SHIBUI-」店内。和洋折衷の重厚なインテリアだが、写真手前の梁をよく見ると、傷んだ部分に徳利やお猪口の形の埋木で補修されているなど遊び心も(撮影/中田洋介)

「澁い-SHIBUI-」店内。和洋折衷の重厚なインテリアだが、写真手前の梁をよく見ると、傷んだ部分に徳利やお猪口の形の埋木で補修されているなど遊び心も(撮影/中田洋介)

まつだいカールベンクスハウスの1階にあるカフェ「澁い-SHIBUI-」のキッシュ(1400円)はベンクス家のレシピを使用(撮影/中田洋介)

まつだいカールベンクスハウスの1階にあるカフェ「澁い-SHIBUI-」のキッシュ(1400円)はベンクス家のレシピを使用(撮影/中田洋介)

例えば竹所では、双鶴庵を手がけた地元の工務店には、親方と棟梁とともに、一緒に働いている親方の息子さんがいるそう。また、埼玉県で1棟手がけた際、周辺で手伝ってくれる工務店を探していたところ、日本家屋を積極的に手がける若い人ばかりの地元の工務店を見つけたそうです。「日本の技術を学びたいという若い人は、結構いるのだと思います」(カールさん)

現在、一級建築士の小野塚良康(おのづか・よしやす)さんに設計を外注し、二級建築士の彼の妻が夫の仕事を手伝っています。もともと東京で働いていた小野塚さんですが、子育てにぴったりな環境で暮らしたいと良い場所を探していたそうです。そんな中で見つけたのが、カールさんが再生した古民家「梨の木ハウス」。移住を決めただけでなく、ちょうどカールさんも設計ができる人を探していたこともあり、小野塚夫妻は古民家再生に携わることになったそうです。

「日本の古民家は芸術品」と言うカールさん。彼と同じように、古くても良いものを大切にしていこうと思う若い人たちが、この先も古民家再生を推し進めていきそうです。

●取材協力
カール・ベンクスさん
建築デザイナー カールベンクスアンドアソシエイト有限会社 取締役。
1942年、ドイツ・ベルリン生まれ。絵画修復師の父の影響を受け、日本文化に関心を持つ。
ベルリン・パリで建築デザインオフィスに勤務。1966年、空手を学ぶために日本大学に留学。以降建築デザイナーとしてヨーロッパや日本で活動。特に日本の民家に強く惹かれ、ドイツに移築する仕事に携わる。1993年、新潟県十日町市竹所で現在の自宅(双鶴庵)となる古民家を購入、再生に着手する。1999年、カールベンクスアンドアソシエイト(有)を設立。
2010年、歴史ある旅館を買い取り再生。『まつだいカールベンクスハウス』と名付け、事務所を移す。2021年時点で、日本での古民家再生数60 軒に。
カールベンクスアンドアソシエイト有限会社

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