何故私は狂った猿のように1000万円分の書籍を切り刻んだのか
光景がものすごくリアルに目に浮かびます。うちの会社にも同じような症状の方がいるようです。今回はやねうらおさんのブログ『やねうらお-よっちゃんイカを食べながら年収1億円稼げる(かも知れない)仕事術』からご寄稿いただきました。
何故私は狂った猿のように1000万円分の書籍を切り刻んだのか
id:yaneurao:20091001(http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20091001)で『FUJITSU ScanSnap S1500(FI-S1500)』を買って書籍を裁断してスキャンした話を書いた。
「もうどうせ残りの本は売ってもたいしたお金にもならないし」と書いたが、取り込んだ書籍の数は3,000冊強。総スキャンページ数、26万2845枚。消耗品のパッド交換4回。ローラー交換2回。1冊の平均価格は3000円程度。全体でおおよそ1000万円。今回は、気がついたらこれだけの本を切り刻んでいた。id:yaneurao:20060131(http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/20060131)の本棚に換算すると14個分である。たぶんアマゾンで売れば、その1/3ぐらいのお金にはなっていただろうから、ちょっともったいない気もする。私も当初はそこまで本を徹底的に切り刻む気はなかったのであまり気にもかけてなかった。
そこで、どうしてこんなことになったのか、つらつら考えてみた。
■ 切り刻まずに取り込んではいけなかったのか?
ATIZ(http://www.atiz.com/ )の手動ブックスキャナの購入は以前から何度も考えた。このブックスキャナ、発売当初は$3000ぐらいだったのだが、モデルチェンジと価格改定を繰り返し、いまや$6000ぐらいになった。あと、昨年ぐらいから日本から購入するには日本の販売代理店を通さないと購入できなくなり、日本の販売代理店に見積もりをとってみるとカメラ2つセットで100万円ぐらいの見積が返ってきた。しかもページめくりは手作業の上、1時間に最大でも700ページ程度しかスキャンできないので、2冊ぐらいしか取り込めない。アルバイトを時給1000円で雇っても1冊取り込むためのコストは500円 + α(消耗品etc……)またアマゾンで売却する手間もバカにはならない。アルバイトにやらせるとしても1冊あたり数百円分の手間が発生すると思う。結局、こういうコストを考えると素直に切り刻んで一気に処分してしまうほうが手っ取り早いし、値段的に見ても大差ないんじゃないかと思う。
■ 裁断機は何故必要だったのか?
「裁断機がなくてもカッターでいいんじゃね?」と思っている人がいるかも知れないが、以前私はカッターで切りながらスキャンしたが、これだと大変手間がかかった。きれいに裁断するのに1冊につき10分ぐらいかかる。6冊で1時間。時給1000円としても200冊ぐらいで元がとれる計算である。200冊以上スキャンするつもりなら裁断機を買わないのはどうかしていると言わざるを得ない。あとカッターナイフで裁断すると紙のくずやチリが出るのでこれがドキュメントスキャナーに詰まってローラーを痛める原因や重複紙送りの原因になる。とてもお勧めできない。
■ 私が狂った猿のように1000万円分の書籍を一気に切り刻んだ本当の理由
まず、本は買いそろえるときには、「物事を完全化する」という願望を満たす。これがコレクション願望の根源にあるのだと思う。全巻そろっているととても気持ちいい。それと同時に、知識を充足しているという一種の知的好奇心や知的欲求を満たす。なんだか賢くなったような錯覚をする。では、それらのコレクションが切り刻まれて失われていくときはどうなのか?そのような喪失体験には何の快楽もないかのようだが、実際はそうではない。
本棚から本がなくなると、これまたとても気持ちいいのだ。部屋が片付いたときに山登りで頂上に達したときのような達成感が得られるが、あれと同じ快楽がある。本がみるみるうちになくなっていく。これがとても気持ちいい。アマゾンのマーケットプレイスでいつ売れるのかわからない、1、2、3、4巻のうち3巻だけが売れて、残された1、2、4巻が本棚にあるのがとても気持ち悪いのとは正反対である。このように切り刻まれた本は完全な形で本棚から消失していく。それと同時にパソコン内のハードディスクを占拠し、フォルダをあけたときにずらっとサムネールが並ぶ。(Windows7ではpdfのサムネールが表示されるのだ)これがさきほどの本を買いそろえたときのような快楽を同時にもたらすのだ。
そして、私はpdf化された書籍を使っているうちに、その便利さに気づく。
pdfファイルは、1000ページもの本のように物理的な重さもなく、また、文庫本サイズの本でもスキャンすれば大画面で閲覧できるのでとても読みやすく、そして同時に文字列で検索でき、見たい本をイスから動かずに出してくることができる。デスクトップ画面(1920×1200×3画面)が許す限りどれだけでも本を同時に開くことが出来る。外出先でもリモートデスクトップで家のパソコンに接続し、好きな書籍を閲覧することができる。pdf化された書籍に対して、オンラインゲーム上の仮想通貨のようにそれは確かに実在するのだというような錯覚を感じはじめる。これは、現実世界を捨て、『ラグナロクオンライン』を狂ったようにやり続けた私だから余計にそうなのかも知れない。(「Ragnarok廃人伝説」: http://d.hatena.ne.jp/yaneurao/searchdiary?word=Ragnarok%c7%d1%bf%cd%c5%c1%c0%e2 )
ともかく、pdf化されている書籍のほうが、価値があるのだという錯覚が芽生え始めると、今度は、手にとりたい書籍が本棚に存在することに激しい苛立(いらだ)ちを感じはじめる。何故この本はパソコンのなかにないのだ?パソコンのなかにあればキーワード検索ですぐ出てくるのに!イスから動かずに取りにいけるのに!2秒で出てくるのに!重たくないのに!読みやすいのに!何故本棚なんかに入れてあるんだ?本棚なんていらないのに!本棚なんて邪魔なだけなのに!
特に、シリーズものを1冊切り刻んでスキャンすると、もう止まらなくなる。パソコンのなかに残りの本がないのがとても悔しい。パソコンのなかの不完全なコレクションを見るのがとても悲しい。そして、どの本を持っているのかをチェックしてそのシリーズの新刊をアマゾンで買おうにも、本棚のほうはとても検索性が悪く、間違えて既に持っている本を買ってしまったりする。本棚なんかに本をおいておくから、こんなことになるんだ!こん畜生!
もうこうなってくると末期症状であり、本棚自体が憎らしく思えてくる。本棚自体が悪の権化であり、悪存在であり、悪の巣窟(そうくつ)で、悪の化身であり、悪の悪の悪である(自分でも何を言っているのかよくわからないが)!
シリーズものに限らず、例えば数学の本を1冊スキャンすると、他の数学関係の本が本棚にあることが耐え難くなってくる。他の数学の本が本棚にあったら、また間違えてアマゾンで買っちまうだろが!この野郎!
数学関係の本をすべて切り刻んだあと、物理現象の数学的諸原理—-現代数理物理学入門なんて本を見つけて、この本のジャンルは数学なのか?物理学なのか?とか考え出すと、次は物理学関係の本もスキャンしないと気が済まなくなる。物理学をやったなら理学関係全部スキャンするだろJK!とか言って、そのスキャンが終わると、次は、どうせなら大学関係のは全部スキャンしてしまおうと思い、経済や電気電子関係の本も全部解体してスキャンである。
気がつくと1ヶ月間ずーっと本を切り刻んでスキャンして過ごしていた。これだけスキャンするつもりなら最初からアルバイトを雇ってやらせたほうが良かったと思うが、当初はこんなに徹底的にするつもりはなかったのである。
執筆: この記事はやねうらおさんのブログ『やねうらお-よっちゃんイカを食べながら年収1億円稼げる(かも知れない)仕事術』より寄稿いただきました。
文責: ガジェット通信
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