巨大病院としての都市、罹患した宇宙〜韓松『無限病院』
韓松(ハン・ソン)は中国SFの四天王のひとりと目される実力派。これまで短篇は紹介されてきたが、本書は待望の長篇邦訳である。英訳からの重訳だが、元の中国版よりも作者の意図が深く反映されたテキストだ。そのあたりの経緯は、巻末に付された「英語版訳者(マイケル・ベリー)あとがき」に詳しい。
そのマイケル・ベリーは、『無限病院』を”異常きわまりない中国共産党政治局のまっただ中に設定された、フランツ・カフカのストーリーのテリー・ギリアム版”と形容している。ご存知のとおり、テリー・ギリアムは、悪夢と滑稽とが入り交じったディストピア映画『未来世紀ブラジル』の監督だ。
『無限病院』は、仏陀を探すため火星へ赴いた〈孔雀明王〉号が、巨大な赤い十字をいただく病院を発見するプロローグからはじまる。地球外文明の建築物を、なぜ病院と断定できたかはわからないが、物語の流れは有無を言わさず、太陽系(あるいは宇宙全域)にあまねく病院の廃墟が存在することを示し、それらと仏陀との関係に思いを巡らせていく。読者はいやおうなく、作品にみなぎる異様な雰囲気に引きこまれてしまう。
本篇では、舞台が地上へと変わる。仕事でC市に訪れた楊偉(ヤン・ウェイ)は、ホテルのミネラルウォーターを飲んだとたん激しい腹痛に見舞われ、病院へ搬送された。重く澱んだ空気のホールで列をつくっている病人たち。予約を取るため延々と待機する時間。言われるがままにいくつもの検査室を行ったり来たりさせられ、医者に「どこが悪いのか?」と訊ねれば、「そんなことは患者が知る必要はない」とはねつけられる。個人の意思を超えた病院という巨大システム。院内には死と汚穢にまみれたグロテスクな光景がひそみ、突然、テロと思われる爆発まで起こる。
いたるところ不条理で、どことなくスタニスワフ・レム『浴槽で発見された手記』を彷彿とさせる。評論家のなかには、フィリップ・K・ディックを引きあいにする声も多いという。
さて、否応なく入院するはめになった楊偉は、院内の展望タワーから街を俯瞰し、C市全体が巨大な病院だと気づく。いくつもの医療関連施設、医療とつながりのあるビジネスやインフラ、それらのネットワークなのだ。ここから、プロローグで示された宇宙全体に存在する病院というステージまでは、まだ、いくつもの階梯がある。しかし、楊偉の体内から響いてきた奇妙な声をきっかけに、その階梯をすっとばして、事態はいきなり宇宙規模へと繰りあがってしまう。韓松の急峻な物語進行は、豪腕と言うほかない。めくるめくヴィジョンが行きつく先は、まるでグノーシス神話(狂った神が宇宙を支配する)の変奏のようだ。
『無限病院』は三部作の第一部で、のこる二作も邦訳が予定されている。いったいどんな続きになるのか、想像もつかない。
(牧眞司)
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