創刊100周年記念! 『子供の科学』創刊から終戦までの21年間のバックナンバーを振り返る

創刊100周年記念! 『子供の科学』創刊から終戦までの21年間のバックナンバーを振り返る

 1924年に創刊され、2024年で100年をむかえた子ども向け科学雑誌『子供の科学』。これを記念して発売されたのが『子供の科学完全読本 1924-1945:大正から昭和へ 100年前から読み直して学ぶ 教養としての科学史』です。同書は、創刊から空襲の影響を受けて1945年に一時休刊状態になるまでの21年間に発行された同誌の見どころを一冊にまとめた書籍となっています。

 同誌創刊号の1ページ目にある「この雑誌の役目」には、以下の言葉が書かれています。

「およそ天地の間はビックリするような不思議なことや、面白いことで満ちているのでありますが、これを知っているのは学者だけで、その学者のかたは、研究がいそがしいものですから、皆さんにお知らせするひまがありません。(中略)そのなかで特に少年少女諸君の喜びそうなことを学者のかたにうかがって、のせて行くのも、この雑誌の役目の一つです」(同書より)

 初期の誌面には「想像を膨らませた未来の都市構想」や「予想的中! 未来のエネルギー」、「現実が想像を超えた月世界旅行」といった希望に満ちた特集を掲載。当時の少年少女たちが目を輝かせて読んだであろうことは想像に難くありません。

 しかし、戦争が近づいてくると、また戦況が厳しくなってくると、誌面の様子も一変。ターニングポイントとなったのは1932年2月号で、「最新科学兵器号」と銘打たれたこの号では、半分以上が兵器の解説記事で埋められているといいます。印刷された年頭はまさに関東軍が満州全土を掌握する直前であり、誌面が当時の世相と密接に結びついていることがわかります。

 とはいえ、このころの日本社会はまだそれほど窮乏していたわけではないため、誌面に悲壮感はなく、「化学兵器で戦争に勝つ」という高揚感が伝わってくるものだったそうです。これが終戦間際になってくると、ヒステリックな記事が目立ち、雑誌自体もどんどんと薄いものに。印刷するのもやっとだったであろう中、1945年に誠文堂新光社の印刷所が被災し、再び発行できたのは戦争が終わった同年11月号からとなりました。

 ちなみに、満州国を日本の領土としていた時期には、満州移民の生活なども掲載されていた同誌。当時の少年たちにとって満州は憧れの新天地だったようです。読者投稿欄の「談話室」には満州のハルビン市や朝鮮(当時は日本領)の京城府、樺太、台湾からのお便りやプレゼント当選者が日本国内からのものと並んで掲載されていて、多くの日本人にとって満州は「国内」という感覚であったことがうかがえます。「これを目の当たりにするためだけにも本書を一読する価値があると申し上げます」と、同書の「はじめに」では記されています。

 疾風怒濤の日本の21年間が浮かび上がってくる同書は、科学の分野が好きな人はもちろん、歴史好きな人も興味をそそられるはず。月刊誌だからこそ見える当時の人々の思いを同書からぜひ読み取ってみてください。

[文・鷺ノ宮やよい]

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