近未来のチェ・ゲバラ、あるいはポストヒューマンの胎動〜藤井太洋『マン・カインド』
藤井太洋の新作。〈SFマガジン〉に2017年から21年にかけて連載され、22年には星雲賞長編部門を受賞している。ちなみに単行本化をまたずに、同賞長編部門を獲得するのは、この作品がはじめてである。
本書は、大幅に加筆修正をしたファン待望の単行本版だ。
舞台となるのは2045年。世界は大きく変わっている。たとえば、紛争・戦争のありようだ。自動機械による殺戮応酬の横行した2030年代への反省により、投入する部隊の数を制限したうえ、その位置も秘匿せず、あらかじめ話しあいによって勝利条件を設定する「公正戦」がおこなわれるようになった。もちろん、この場合の公正とは一種の欺瞞で、けっきょくは技術と資本の差によって趨勢は決する。
いま、新しい公正戦が火ぶたを切った。導火線となったのは、農業ベンチャー〈テラ・アマソナス〉の主導による、ペルーとブラジルに広がる農園を含む地域の、国家としての独立宣言である。これを容認できないブラジル政府は、ペルー政府とコロンビア政府と調整のうえ、アメリカ最大の民間軍事企業〈グッドフェローズ〉に、〈テラ・アマソナス〉の武装勢力の排除を依頼する。この動きに対し、〈テラ・アマソナス〉は腕利きの公正戦コンサルタント、チェリー・イグナシオを呼びよせた。これまで世界各地で輝かしい戦績をあげ、「少佐」の異名をとり、チェ・ゲバラのイメージをまとった人物である。
公正戦で〈テラ・アマソナス〉が勝利し、〈グッドフェローズ〉のジョーンズ分隊六名はイグナシオの前に投降する。捕虜は正当な待遇がされるはずだった。しかし、イグナシオは六人のうち、五人を無慈悲にも撃ち殺す。イグナシオへのインタビューのため、その場に立ちあっていたジャーナリストの迫田城兵(さこだじょうへい)は戦慄する。これは戦争犯罪ではないか。
迫田は事態を報道しようとするが、システムによって配信拒否されてしまう。フェイクニュースや根拠薄弱な情報を制限するため、AIによる事実確認スコアが設けられており、迫田の記事はそのスコアが低いと判定されたのだ。しかし、ジャーナリストとして充分な経験を積んだ迫田の目からみて、記事に瑕疵などない。イグナシオが配信を妨害したわけでもない。それどころか、イグナシオは迫田以上に、この配信拒否を悔しがっているのだ。彼はどいういう理由か、自分の所業を世界に伝えたがっている。
イグナシオは残虐な人間ではない。自分が射殺した五人は「不本意ながら死なせてしまった」のであり、その遺族に対しかなりの額の慰謝料を払うと言う。イグナシオは迫田に、次のように依頼する。ジョーンズ分隊のただひとりの生き残りであるレイチェル・チェン軍曹(彼女は当然だがイグナシオを激しく憎悪している)とともに、アメリカを回って遺族に慰謝料を届けてほしい。そして、一人ひとりの人生を掘りさげ、彼らを雇った〈グッドフェローズ〉を調べてみろ。そして、記事が配信できなかった理由を探れ。
迫田とレイチェルに、量子コンピューティング企業(迫田の記事を弾いた事実確認スコアは同社製のアルゴリズム)の天才エンジニア、トーマ・クヌートが加わり、アメリカの旅がはじまる。それは謎への接近の過程であると同時に、命すら狙われるトラブルを呼びよせる引き金であった。
いくたびかの死線をくぐり抜けながら、迫田はアメリカに特別な資質を備えた人間が混じっていることに気づく。赤外線を感知する視覚を持ち、通常人ではありえないほどの数のインプラント(知覚や運動を強化する人体通信の端末)が扱え、死や暴力を直視できる安定した精神を備えている。彼らの共通点は、体外受精によって生まれたこと、両親と違った人種的特徴を持っていること。
明らかに、イグナシオはこうした新しい人間の秘密を知っている。問題は、なぜ迫田にわざわざその秘密を探らせようとしているかだ。イグナシオは何を狙っているのか?
新しいテクノロジーのディテールとそれが社会にもたらす影響を描きこみつつ、それがストーリーを停滞させることなく、これからの時代の方向や人間の本質を検討するテーマを惹起する。藤井太洋ならではの力作。『Gene Mapper -full build-』『オービタル・クラウド』級の本格SFを待望していた読者にとって、これほどの贈りものはない。
(牧眞司)
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