男女差、学歴、ルッキズム……日本人が根深く抱える「階級意識」を考察
人間というのは、他人と自分を比べずにはいられない生き物なのかもしれません。これまで『負け犬の遠吠え』や『下に見る人』などで序列や格差について深く掘り下げてきたコラムニストの酒井順子さんが、新著『消費される階級』でテーマにするのは、日本人の「階級意識」についてです。
日本には現在、旧来のようなわかりやすい階級は残っていません。そして昨今のポリコレやSDGsの流れにより、「さまざまな違いを持つ人々が横並びで生きていきましょう」というムードはより強まっています。しかしその分、人を上に見たり下に見たりという欲求は水面下へと潜り、「華族だの士族だのといった明確な身分差があった時代よりも複雑で巧妙な見えない階級があちこちにあって、私たちはしょっちゅうその段差に蹴つまずいている」(同書より)と酒井さんは言います。同書では、そんな表面上は消え去ったように見える日本人の階級意識を掘り起こし、21の視点から考察しています。
たとえば、そのひとつが男女の関係性。「男高女低神話のゆらぎ」という章で取り上げているのは、夫婦における階級差について。昔の日本では、夫の成功のために女性は内助の功に徹し、「男高女低」の状態をキープするのが常でした。しかし時代の変化とともに、女性の学歴や年収などが上昇したことから、この男高女低神話にはゆらぎが生じるようになりました。
酒井さんは「結婚する人が減り続け、子供の数が減り続け、そうして日本の人口が減っていくのは、制度上の平等と精神的平等の乖離から日本人が目を逸らし、放置し続けているから」(同書より)と指摘し、「民主主義をうたう国となったからには、もう男高女低の世に戻すことができないのだとしたら、そろそろその痛みを棄ててもいい頃なのではないか」(同書より)と記します。また、「稼ぐ女と、使う女」の章では、今後は経済活動も消費活動も旺盛におこなう女性たちが増えることで、「性別に関係なく、仕事も家事も育児も担うようになっていけば、女性同士の間の分断も、そして夫婦間の分断も、薄れていくのではないかと思うのです」(同書より)と推察します。
現在もSNSなどでは毎日のように、男女差の問題や専業主婦論争などが繰り広げられていますが、それは旧来の男高女低神話にゆらぎが出ているからだと考えるとわかりやすいかもしれません。今が過渡期であり、将来的にはこうしたゆらぎがなくなっていくことに期待したいところです。
ほかにも「五十代からの『楢山』探し」ではエイジズムについて、「東大礼賛と低学歴信仰」では学歴について、「まぶた差別と日韓問題」や「反ルッキズム時代の容姿磨き」では容貌について、「世代で異なる、斜陽日本の眺め方」では若い世代とバブル世代の日本の見方について、階級という切り口から考察。酒井さんによると、「表面的な格差や差別は、今後も減少し続けるであろう日本。そうしてできたつるつるした世の中は歩きやすいけれど、滑って転んでしまう人もいるに違いありません。つるっとした世では、段差の多い世よりもずっと、立つ時も歩く時も力が必要」(同書より)とのことで、これはこれでなかなか大変な世の中を歩んでいく必要がありそうです。同書はその力を養うための絶好の一冊となるのではないでしょうか。
[文・鷺ノ宮やよい]
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