推し活時代の心理をリアルに描き出す〜尾崎世界観『転の声』 

 転売という行為が嫌いだ。憎んでいると言ってもよい。頑張っても取れなかったチケットが、定価の数倍で売られているのを見るとブチ切れたくなる。ファンの熱意を利用して不当に利益を得るという行為が、まかり通る世の中でいいのか。どんなに観たい公演であっても、不正な高額転売チケットは絶対に買わないということだけが、私にできる抵抗だ。アーティストや制作する人たちはきっともっと怒っているはずだし、ファンのためにもより良い対策を考えてくれていると当たり前のように信じてきたのだが……。自分のチケットが高値で取引されることに喜びを感じる主人公の小説を、人気アーティストの尾崎世界観氏が? それってどういうことなわけ? 複雑な気持ちで読み始めたが、いたたまれなさと奇妙な爽快感がに交互に押し寄せてきて、心が忙しくなる小説だった。

 転売専門のマネジメント会社【Rolling→Ticket】の台頭により、ライブチケットの転売に対する世論は変わってきていた。代表のエセケンこと得ノ瀬券はメディアに露出しまくっており、契約しているアーティストにはメリットのある転売をしていることや、カリスマ転売ヤーたちの活動を宣伝している。その効果で「誰かが欲しいものこそ欲しい」という気持ちで転売を利用することを、隠さない人々も増えてきた。【Rolling→Ticket】に所属しているバンド「LIVE IS MONEY」のライブチケットの取引価格は、驚異的な数字を叩き出し、社会現象を起こしていた。

 主人公の以内右手は、バンド「GiCCHO」のボーカルだ。地道なライブ活動で少しずつ力をつけ、ようやく地上波音楽番組に出演した。番組終了後は、エゴサーチが止まらない。人気の広がり方に喜びつつも、心が傷ついていく。以内はいつからか喉の不調に悩んでおり、声が出ていないことへの反響も多く見られるからだ。【以内 声】【ギッチョ 歌】など、様々な組み合わせで検索を重ねる以内が痛々しく、誰か止めてあげてと言いたくなる。そんな自分を癒すように、チケットの発売日にはまたエゴサーチである。表向きは転売に反対の立場をとっており、ファンには買わないようにと呼びかけているが、自分のチケットにプレミアがつくと喜びや安堵を感じてしまうのだ。同じ番組に出ていた「LIVE IS MONEY」が羨ましくてならないし、大型フェスに出れば観客の反応に焦りを感じずにいられない。ついに、以内はエセケンに声をかける。「俺を転売してくれませんか」

 エセケンの主張も、彼が実現しようとしている「無観客ライブ」なるものも、冷静に考えてみれば意味不明としか言いようがないものである。しかし、多くの人が当たり前のように「推し活」をし、グッズ収集やら投げ銭やら配信に資金を投じ、チケットやグッズがフリマアプリやチケット交換サイトに出品され、ファンがカジュアルにSNSで発信をする世の中では、あり得ない未来ではない気がしてきてしまう。不正転売を許さない気持ちに濁りはないが、自分が入手したチケットが高騰した時にほのかな優越感を感じたことがないわけではない。売れていなかったり譲渡されまくっているのを見て、心配になってそわそわしたりしてしまうこともある。情報と運でチケットを入手するということ自体が、エンタメ化しているのではないかと思うこともある。そんな気持ちも、この小説に見透かされているようだ。現在の転売をめぐる状況やそういうファン心理のありようが、あきれるほどリアルに描き出されているからこそ、エセケンから目が離せなくなる。そして、身勝手なファンの行動や発信にイラついたり喜んだり、転売を心の支えにしようとする以内の姿に、気持ちがヒリヒリしてしまうのだ。

 私は推しに何を求めているのか。推される人々はファンに何を求めているのか。私たちが購入しているものは何なのだろうか。そんなことを冷静に考えながらも、私はきっと次の公演のチケットを入手するために手を尽くし、喜んだり悔しがったりするのである。以内も私も、清々しいほどに滑稽だ。そんな人間たちの心の暴走を、見事に描き切った尾崎世界観氏に、今後も期待したい。

(高頭佐和子)

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