潮谷験の最高作登場!〜『伯爵と三つの棺』

潮谷験の最高作登場!〜『伯爵と三つの棺』

 今度は歴史ものかっ。

 潮谷験『伯爵と三つの棺』(講談社)はフランスで起きた革命運動に揺れる18世紀後半のヨーロッパを舞台とした長篇ミステリーである。

 第63回メフィスト賞を『スイッチ 悪意の実験』(講談社文庫)で受賞して2021年にデビューを果たした潮谷験は、1作ごとに設定のすべてを入れ替え、常に新しいことに挑戦し続けている書き手である。壮大なSFの要素を取り入れ、新型コロナウィルス蔓延に起因する社会不安を描き、と各作品の間に似通ったところはほとんどない。ミステリーの型でいっても、第4長篇『あらゆる薔薇のために』(講談社文庫)で警察捜査小説の展開に挑戦したかと思えば、続く『ミノタウロス現象』(KADOKAWA)ではファルス、滑稽小説の要素が強い展開を書いている。外形を見ただけでは潮谷の作風を言い表すことは不可能だが、ミステリー作家としての芯はちゃんとある。どんな物語を書いても、必ず犯人当ての謎解き小説になることだ。

 本当に何を書いてもそうなる。絶対これはならないだろう、と思っていてもなる。たとえば第2作の『時空犯』(講談社文庫)は、同じ1日が延々と繰り返されているというタイムループ現象を巡る話で、これはSFだろう、ミステリー展開にはなるまい、と思っているとそうなる。しかも日本ミステリーのある古典的な様式美さえ取り入れて謎解きが行われる。いわば魔球だ。ハイジャンプ魔球だろうが大回転魔球だろうが分身魔球だろうが、絶対にストライクゾーンを通る。100%ストライクになる。それが潮谷験という作家だ。

『伯爵と三つの棺』の舞台は継水半島と呼ばれる「中欧からスカンジナビア半島に向かって、角のように突き出ている」地域だ。そこにある「現在のベルギーより少し大きいくらい」の王国で、貴族の次男坊として育ったのが、物語の語り手である〈私〉ことクロである。ある日〈私〉はナガテという同世代の青年と知り合う。そっくりな顔をした三つ子の次男で、上に長兄・スタルディオ、下に三男・オルシーダがいる。〈私〉は彼らと親しくなるのである。

 この時代貴族の家では、相続者である長男以外の男性は軍人か官僚になる以外に生きる術はないと説明される。〈私〉は官僚になることを選び、栄達の道筋をつけてもらうため、有力者のD伯爵の政務書記として働き始める。D伯爵は放置されて荒れた城を防衛上の拠点として改修することを考えており、〈私〉は適任者としてナガテら三つ子を紹介する。三兄弟によって、その名も四つ首城として生まれ変わった居館で事件が起きるのだ。

 実は三つ子は、不名誉な秘密があった。貴族の娘だった母親と吟遊詩人の父親の間に生まれたこどもだったのである。その父親アダロは出奔したままだったが、フランス革命動乱の中で出世して、継水半島に出張してくることになった。心優しいD伯爵は、親に捨てられたも同然の三兄弟の心情を思い、憂う。その心配は本当になってしまった。何者かがアダロを射殺したのである。殺人の瞬間の目撃者は複数いた。ただし、犯人の名を言うことができる者は皆無であった。銃を撃った人物は、同じ顔をした三つ子の誰かだったからだ。

『伯爵と三つの棺』は、潮谷のどの過去作よりも正攻法で犯人当てに取り組んだ作品である。容疑者の顔は目撃されており、疑いの余地はない。あとは三つ子の誰であるかを論理的に指摘すればよい、というのが第一段階である。ところがそれでは終わらず、とんでもないワイルドカードが投げ込まれてくる。ここは説明してしまうと読者の興趣を削いでしまうからぼかさなければならない。図形の証明問題を解くために、一見関係ないところに引かれた補助線と言っておこう。その要素を検討するのが第二段階だ。

 王国の司法・警察制度においては、憲兵以外に貴族とその配下も刑事捜査の任を担う。自分の領土で起きた事件なので、D伯爵は自ら探偵役を買って出るのである。当然だが、その書記である〈私〉がワトスンだ。この二人は主従であると同時に、若者同士の友情で結ばれている。D伯爵は、自身の臣下でもある主席公偵から探偵術を教わったのだが、まだまだ未熟である。この主席公偵が中盤から登場してきて、自身の推理を述べる人数が増える。このへんから話は第三段階に入っていき、そこまでに明らかにされた事実に基づいた仮説が検証される。

 だいたい全体の60%ぐらいのところで探偵が「犯人はわかっている」と宣言する。おっと、それは少し早くないか。あと40%もページは残っているのに。これが潮谷が今回試した技巧の一つで、推理が多重解決、つまり複数の解が導き出される場合、物語のどこで謎解きを始めれば読者の興味を逸らさずに結末まで連れていけるか、ということだ。最大限にぼかして書くが作者は、読者の意識を拡散させ、物語の進路がどこに向かっていくかわからない状態を作り出すことで推理の進行速度を誤認させている。第五章から第七章にかけては目まぐるしい展開で、読者も事の次第を見極めるために登場人物と伴走することを求められる。その間に最終章へ向けての準備が行われるのである。

 潮谷作品では常にそうであるように、真相につながる手がかりはすべて目に見える場所に呈示されている。逆の言い方をするなら、小説に書かれたことで後の伏線にならないものはないのである。たとえば、本作が18世紀ヨーロッパを舞台にした歴史ミステリーであることにも重要な意味がある。しかもかなり早い段階でヒントも与えられる。全311ページ中の183ページで主席公偵がある発言をする。物語の終盤まで引きずることになる重要な発言なのだが、真意はずっと後までわからない。

 極端な言い方をすると、自分以外の人間がなぜそういう行動をとったかについて、複数の人間が推論を述べる小説である。事象そのものはごく単純なので、登場人物全員が柱の周囲をぐるぐる回りながら自論を述べているように見える。柱があるという事実は動かないのだ。見えているものをどう解釈するか、という問題とも言える。

 どう見えるか、どう解釈するかのミステリーであるということが、作者が準備した仕掛けのうち最大のものに関わってくる。これはさすがに少しでも書けばネタばらしになってしまうので口を閉じておくしかないが、最終ページまで行ったときに全体の設計図に感心させられる作品である、ということは書いてもいいだろう。ミステリーの技巧の中には、驚きを演出することができて便利である一方で、濫用すれば作り物めいた印象を作品に与える危険が伴うものもある。潮谷はそのことを十分にわきまえた上で、当該の技巧が用いられるための最善のお膳立てを考えた。なるほど、だからそうなのか、と本書を読み終えた人は言うはずである。感想について話し合うために、読了した仲間を探したくなることは請け合い。

 潮谷験、なんとも凄い作品を書くものだ。これまでだって一つも失敗がなかった過去作の、さらに上を行く。『伯爵と三つの棺』は現時点での最高作である。これだけアイデアが詰まっていながら小説として読みやすいというのもすごいことで、歴史ミステリーだからとしり込みをしている方には、恐れずにぜひお手にとってみるようお薦めしたい。間違っても読み残しなきよう。絶対後悔する。

(杉江松恋)

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