共同体の恐るべき秘密を暴く〜S・A・コスビー『すべての罪は血を流す』

共同体の恐るべき秘密を暴く〜S・A・コスビー『すべての罪は血を流す』

 その要素とそれが合体するか。

 S・A・コスビーの邦訳第三作『すべての罪は血を流す』(加賀山卓朗訳/ハーパーBOOKS)を読んでいて、気持ちよく部品が嵌まった感じがした一行があった。カチリと音が聞こえたほどにそれは小気味よい感触だった。そうか、そういう小説か。

 コスビーは暴力と憎悪を描く作家として読者の前に登場した。暴力、は理性で制御しきれない感情の奔流と言い換えてもいい。社会的存在である人間は、感情のすべてを解放することなく生きている。それをしたら、自分が社会にいられなくなるということを理解しているためである。しかし時としてその制御が効かなくなることがある。そのときに生じるのが暴力だ。暴力は理性の否定である。

 憎悪は他者の否定と言っていい。他の人間にも自分と同じだけの魂があるということを無視する者は、憎悪の感情に呑まれる。他者を破滅させるという大義のためなら、手段を択ばなくなってしまうのだ。憎悪は人を人以外の何かに変える。

 これまで邦訳された二作、『黒き荒野の果て』『頬に哀しみを刻め』はいずれも、主人公が暴力という手段を選択するまでの過程が綿密に描かれた長篇だった。前者は元強盗専門の運転手だった男が主人公で、やむなき状況に陥った男が暴力の誘惑に身を任せるのか否かが興味の焦点となった。後者は自分の息子がヘイトクライムの犠牲になってしまった父親二人が主人公で相棒小説の要素もある。彼らは怒りを爆発させるだけの正当な理由を持っているのだが、作者はそのための導火線をできるだけ長くとろうとした。爆発物に向けて火は走っていく。その灯りが状況を照らし出し、人種やLGBTQといったさまざまな差異をないがしろにしようとする者たちの悪意を暴き立てることになったのである。

 両作とも外形は新しいのだが、中心にあるプロットは昔ながらのものと言っていい。『黒き荒野の果て』はアンチヒーローの帰還、『頬に哀しみを刻め』は復讐を主題とするように見せかけて、実は主人公たちが贖罪を行う物語である。そうした古い物語を新しい器に盛るのがコスビーは巧い作家なのだ。

 では『すべての罪は血を流す』は何だ。どんな物語に今度は新しい命を吹き込もうとしているのだろうか。期待しながら私は本を手に取った。

 舞台になっているのはヴァージニア州のチャロン郡という架空の町である。はじめに作者は、チャロン郡に血塗られた歴史があることを紹介する。南部州の多くがそうであるように、人種差別を伴う階級の問題があり、それを解消しようとした近代精神が保守層の抵抗とぶつかり、血が流されたのである。しかし現在のチャロン郡は穏やかであり、住人たちは言う。「チャロン郡でそんな事件が起きるわけがない」と。しかし、主人公であるタイタス・クラウンは、それが偽りであることを知っている。

 タイタス・クラウンはアフリカ系アメリカ人である。人種差別意識が根強いチャロン郡で、初めての黒人保安官となった。彼は元FBIの肩書を持つ優秀な捜査官なのである。FBIをタイタスが辞めた経緯には彼の心を破壊した事件があることがほのめかされるのだが、それが何かは中盤過ぎまで明かされることがない。神経質なほどの整理癖があり、亡くなった母・ヘレンを侮辱されると烈火の如く怒る、盤石の如き遵法精神の持ち主。そういう風に理解しながら物語を読み進めることになる。

 タイタスの保安官就任後、最大の事件が発生する。ジェファーソン・デイヴィス・ハイスクールにライフルを持った男が侵入し、乱射しているという通報があったのだ。現場に急行したタイタスは、その男がかねてより薬物依存の問題があったラトレル・マクドナルドという黒人青年であり、殺されたのが内外で人望の高かったジェフ・スピアマンという教師であったことを知る。投降を呼びかけるが、タイタスの部下が先走ったためにラトレルは射殺されてしまう。謎めいた一言を残して。

 その一言が新たな導火線になるのである。ここからは書かずにおこう。ラトレルの言葉を元にスピアマンの遺留品を調べたタイタスは醜悪な事実を知ってしまう。それこそ、世界の見え方が一回転し、白が黒に、黒が白になってしまうほどの驚きを伴う秘密だ。タイタスはチャロン郡の秘密を暴くために動き始める。

 物語の中盤、保安官事務所の部下が、自分たちの知っている誰かがそんなことをしたなんて、と恐怖を表明するくだりがある。それに対してタイタスはこう言うのだ。

—-「いや」タイタスはきっぱりと言った。「おれたちが知ってるつもりでいた誰かだ」

 この町の誰かが。
 おれたちが知っているつもりでいた誰かが。

 これは典型的なスモールタウン・ミステリーである。スモールタウン・ミステリーとは、一つの事件がきっかけで、共同体の中に眠っていた、時にはその構成員の工作によって隠されていた秘密が暴かれていくという形の物語である。そうかコスビーは、今度はスモールタウン・ミステリーを書きたかったのか。ここでカチリとパズルのピースが嵌まった気がしたのである。秘密が隠されるのは、それが表沙汰になれば困る者がいるからだ。共同体そのものが嘘の上に成り立っていれば、秘密が暴かれればすべてが瓦解することになるだろう。何をしても嘘を守ろうとする者と、それと対決しようとする者の間では緊張関係が生まれる。時にそれは取り返しのつかない事態、すなわち憎悪に作り出された混乱と、破滅的な暴力を招くのである。

『すべての罪は血を流す』とはそうした物語だ。上に紹介したあらすじはごく一部である。語りの密度は高く、読みながら圧を感じるほどだが、事件の連続によって牽引されるため、読み心地は重過ぎるというほどではない。質量の高いものが加速しながら飛んでくるような迫力のある小説だ。犯罪小説とは、暴力の小説とはこうやって書くんだぜ、というコスビーの声が聞こえてくるようである。学ばせてもらったよ、コスビー。さすがだ。

(杉江松恋)

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