ヒロインの強い眼差しが心に残る〜桜木紫乃『谷から来た女』
桜木紫乃氏の描く女性たちは、いつも心の深い部分に残る。小説の展開は詳しく覚えていなくても、彼女たちの背負ったものの重さ、何かを選び取るときの潔さ、読んでいる時にイメージしていた佇まいを、ふとした瞬間に思い出すのだ。関わった時間は短くても、なぜだか忘れることのできない人たちのことを考えている時のように、懐かしかったり、心が痛くなったりする。
この本に登場する赤城ミワは、そんな桜木ヒロインの中でもひときわ鮮烈な印象を持つ女性だ。職業は、デザイナー。自身のルーツであるアイヌの紋様を、現代的にアレンジして生活空間に取り入れる仕事が注目を集めている。赤いワンピースが似合うエキゾチックな風貌を持つ。右肩から左腰にかけて、父親の手による細かいアイヌ紋様が色鮮やかに刻まれている。6篇の短編の主人公はさまざまだが、容易に人に打ち明けたり頼ることのできない何かを抱えている。ミワとの関わりによって、彼ら自身の内面に変化が起きる。
最初の主人公は、大学教授の滝沢だ。研究は高く評価され学者として成功しているものの、妻との離婚で傷ついたプライドは回復できていない。テレビ局の番組審議会で有名なデザイナーであるミワに出会い、凛々しく迷いのない言葉と、誇り高く強い生き方に惹かれていく。短い恋は、ある出来事と言うべきでなかったひとことで終了する。ミワの前には見えない壁が存在する。滝沢には、その壁を乗り越えることはできない。
時代は、ミワが専門学校を卒業しデザイナーとして活動し始めた頃へと戻る。夢見ていたデザインの仕事を半ば諦めて夜のすすき野で働く千紗は、際立った才能と技術を持っていた同級生のミワに再会する。ある事情から、逃げるようにミワの工房に居候するようになり、親から受け継いだものと自分で身につけたものを融合させて「自分」を作ろうとするミワの覚悟を知る。
学校でいじめられている弟を思い、ダム建設の反対運動をする父親に複雑な感情を抱いていた少女時代、デザイナーとして有名になってからの恋、生まれる前の出来事が描かれ、最後の短編では、ドキュメンタリー番組を制作するテレビ局員の視点で、札幌の工房から生まれ育った「谷」に戻り、大きな仕事を手がけるようになったミワの姿が描かれる。
出自を背負い、強さと誇りを持って生きるのミワの姿に魅了されるような気持ちで読んでいたが、気がつくと登場人物たちと同じように、私自身も彼女の強い眼差しに晒されていた。彼女の前に立てるだけの「自分」を持たず、ただ目を伏せることしかできない私は、「自分の背中と向き合う」ということの意味を、赤城ミワという人に考えさせられている。これからも、きっと何度も思い返さずにいられない主人公だ。
(高頭佐和子)
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