「思春期」の時間を丁寧にすくいあげる〜はやしわか『変声』
ふだんはすっかり忘れていても、何かの拍子に浮かぶ思い出がある。むろん既に長い時間を経ているそれらには、美化も記憶違いも多々あるだろう。一方で、ある種の生々しさと気恥ずかしさ、もどかしさだけは変わらない気がして、心に残るやわらかい部分が遠慮なく刺激される。
本書はまさに、その刺激のかたまりといえる。物語としては決して声高ではなく、むしろ静かですらあるのに、当時の一所懸命だった気持ちと、常に一杯一杯だった自分が湧いてくるのを止められない。特に10代の頃の時間が、これでもか、というほどに。
中学3年生の棚橋優征(たなはしゆうせい)は、成績優秀でスポーツ万能。機転も利く彼の周囲には、男女を問わず人が集まる。人気者である彼に悩みなどないように見えるが、内心では自身と周囲のありように違和感を覚え、とあるラジオ番組をこっそり聞いては、孤独を癒していた。
優征がその番組を知ったのは、中学1年の時にクラスメイトだった中川がきっかけだ。当時、クラスで一番背の低かった優征は、背の順で真後ろに並んだ中川にライバル心を抱く。後日、音楽の授業で起きたある出来事により、優征は中川に反発しながらも強い憧れを持つ。友人の誰にも本音を吐けない優征にとって、教室に貼りだされた中川の自己紹介シートに並ぶ「深夜ラジオ」や「古い昭和の歌」「時代遅れの小説」といった彼を構成する項目も、自分が自分でいられる秘かな手段となった。
著者は2021年後期・第80回ちばてつや賞の一般部門において、『しかたなしの極楽』で準大賞を受賞した。舞台は昭和十年の上越。病での失明を機に瞽女(ごぜ)にならざるをえなかった少女と、彼女に想いを寄せる幼馴染の少年が主人公。太平洋戦争下に生きる二人の成長と別れを描いたこの作品は、2024年6月現在、web上で公開されている。機会があれば読んでほしい。デビュー作とは思えぬ筆致に目を見張る。
そして本書の表題作は、2022年に同人誌の形で発表され、のちに電子書籍となり配信された。ただ私は今回、紙の本として出版されるまで、表題作の存在に気づいていなかった。「もっと早く読みたかった!」と地団駄を踏むとともに、単行本化によって2年越しに出会えたことを幸運に思う。なお本書には描き下ろし2作のほか、「モダンにめしませ」という短編が収録されている。そちらもとても良い。
さて、すっかり縁遠くなった中川と優征の縁がふたたび繋がったのは、2年後の雨の日だった。傘を盗まれ学校の玄関でたたずむ優征に、突然現れた中川は相合傘を提案する。帰り道、2年分の憧れをうまく言葉にできない優征に対し、中川は「言いたいことがあったんだ」と心中を吐露する。そして二人は、互いに居心地の良い時間を過ごし始める。
自分のことは自分にしかわからない。でも時に、自分でもつかみきれない感情があり、ひとりでは気づけない視野がある。著者の筆は少年から大人へ変わっていく二人と、その周囲、そして誰もが過ごす/過ごした「思春期」という時間を、丁寧にすくいあげていく。何より、ラジオのパーソナリティであり、作中唯一の大人として登場する「桂子ちゃん」の、見開きでつづられた言葉が胸を打つ。私もこんな大人になりたかったし、こんな言葉を聴きたかった。
なお本作の発売と同日に、著者音最新連載『銀のくに』(発行 ヒーローズ、発売 小学館クリエイティブ)の1巻も刊行された。こちらも続きが楽しみ。
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