恩田陸『spring』の天才の世界に魅了される!
推したくなる対象を発見してしまった時の「キターッ!」という胸の高鳴りが、永遠にこの人を見ていたいという締め付けられるような願いに変わっていった。心の中に灯ってしまった小さな炎を、読み終わった後も鎮火できずにいる。
唯一無二の存在感を持つ天才を追うドキュメンタリーを見ているような気持ちにさせられるが、これは小説である。正直、フィクションでよかったと思う。彼が実在の人物であったら、その活躍を全てこの目で見たいという欲望に、人生を支配されてしまったかも知れない。
主人公の名は萬春(よろずはる)。親譲りの運動神経を持ち、動物や植物を身近に感じながら、たくさんの書物や音楽に触れることのできる環境で育った。偶然に指導者と出会ったことからバレエの世界に入り、ワークショップでその特異な才能が認められ、15歳でドイツに渡る。振付家としての感性が、そこで出会った師と優れた能力と個性を持つ仲間たちによって、刺激され磨かれていく。ダンサーとしても振付家としても高みに向かっていく春の姿が、彼の身近にいる3人の人物と彼自身の視点で語られる。
理想的な体型と高い身体能力、両性具有的な容姿と美しい指先、規格外の感性と類いまれな観察力……。春は、それらを持って「この世のカタチ」を表現し、バレエの神に自分のすべてを捧げようとする。彼の進む道を閉ざそうとする大人も、理不尽に蹴落とそうとするライバルも、登場しない。彼にしか作り出せない世界を、誰もが見届けたいと願わずにはいられず、才能のある者たちは、彼と一緒にその世界の扉を開けようとするのだ。
恩田陸氏は、『チョコレートコスモス』(角川文庫)『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎文庫)でも、天才と呼ばれる人物を読者の前に連れてきてくれた。主人公たちに魅了されてしまうのは、言葉では表現できないと私たちが思い込んでいるものが、映像を見ていると錯覚してしまうほどの迫力で描かれていくからではないだろうか。一つ一つの表現の臨場感、緻密で美しい心理描写、膨大な知識に裏打ちされたリアリティが、それを可能にしている。
天才を書く天才、と呼ばせていただきたい。恩田陸氏という小説家がこの世に存在することの喜びに、改めて心が躍っている。
(高頭佐和子)
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