それぞれに流れる日常を描く連作小説集〜江國香織『川のある街』
同じ題名の3つの短編が収録された連作小説集である。舞台も登場人物も違う。共通するのは、街に川が流れていることだけだ。
最初の短編「川のある街」に登場する望子は、小学3年生の女の子だ。3年前に両親が離婚して、母親の生まれ育った街に引っ越してきた。住んでいるマンションのベランダからは川が見える。学校から帰ると、近くに住んでいるおばちゃん(望子の母親の叔母)の家に行き、新宿にある美容室で働く母親の帰りを待つ。駅の向こうには祖父母が住んでいて、週に一度くらいごはんを食べに行く。時々父親と会って、一緒に映画に行ったりもする。
何か特別なことが起こるわけではない。喫茶店やスーパーで耳にする大人たちのおしゃべり、母親が仕事に行く支度をする時の手順、母親の妹が語る子どもの頃の姉妹の思い出、一緒にテレビで大相撲を見ている時のおばちゃんの姿勢と言葉、毎年夏になるとワンピースを作ってくれる母親との会話……。望子の目と耳を通して、大人たちの暮らしぶりや親友の美津喜ちゃんとの日常が描かれる。そこにはなんとも言えないおかしみや哀愁や温もりがあって、ちょっとした言葉に、それぞれの心の揺れや人生観、望子に対する愛しさが滲み出る。
親族や友人の子どもと話をしている時や、電車の中などで知らない親子の会話を何気なく聞いていると、子どもって面白いことを聞いてくるなあ、よく観察しているなあ、と感心することがある。だがよく考えてみると、私も数十年前は子どもだったのだ。思ったことをなんとなく大人や友達に言うと、面白がられたり困惑されたりした。忘れていた細かい記憶がよみがえってきて、当時はわからなかった大人たちの事情を想像したり、心の中に巡っていた説明できない気持ちを、思い出したりしてしまった。
「川のある街Ⅱ」の舞台となる街の川には、遊覧船が運行されている。人と人との結びつきが強い土地で、無関係に思われる登場人物たちが、本人たちも気がつかない形で繋がっていることが次第にわかっていく。街に生息しているカラスたちの動向が、人間たちと同じくらい熱心に描かれるところが興味深い。
「川のある街Ⅲ」は、運河のあるヨーロッパの街で暮らす日本人女性・芙美子が主人公だ。同性の恋人と暮らすために、性的マイノリティに対して寛容なこの街に引っ越してきてから四十五年ほど経つ。結婚した恋人とは死に別れて今は一人暮らしだが、認知症が進行しており、心配した姪が日本からやってくる。噛み合わない会話に戸惑いながらも、芙美子は自立したひとりの大人として暮らしている。ぼやけていく記憶の中に残る大切な思い出と、彼女を見守る人々の自然な温かさが、静かに描かれる。
同じ題名の3枚の絵画が並んでいるようだと思った。描かれているのは違う街だけれど、どの絵の中にも川が流れていて、さまざまなできごとに心を揺らしながら、たくさんの人々が暮らしている。気がつくと私もそれぞれの絵の中に入っていて、彼らの日常をどこかから眺めている。読みながら、そんなイメージが広がっていった。人が生きていることは尊いと、穏やかに思う1冊だった。
(高頭佐和子)
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