先の見えない今を生きる〜角田光代『方舟を燃やす』

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 これは、私たちの物語だと読みながら思った。過去から現在への時間の流れと、そこで生きている人々の暮らしが、とてつもなくリアルに描かれている。かつて私が親しかった人たちや今も身近にいる人たちまでも、物語の中で生きているように感じてしまう。それだけでなく、どんな時代や地域にいてもきっと経験するであろうことが、この小説には書かれていると思うのだ。

 第一部は、1967年からスタートする。主人公は二人いるが、どちらも隣に住んでいてもおかしくない、ごく普通の善良で堅実な人物である。飛馬は、物語の始まりと同時に、鉱山のある山間の小さな町で生まれる。祖父は、地震を予知し命をかけて皆を救った立派な人だった、と父は言う。飛馬と兄は、その功績に恥じることのない男になれと、言い聞かされて育った。飛馬が小学校6年生の時に、病気で入院していた母が亡くなる。ある事情から、飛馬はそれを自分のせいかもしれないと考えている。地元の高校を卒業した後、東京の私立大学に進学するが、アルバイトに忙しく華やかな遊びには縁がなかった。バブル景気に浮かれる空気が苦手だったため、公務員試験の勉強に力を入れ、東京の区役所の職員となる。

 もう一人の主人公である不三子は、1967年に東京の高校を卒業して製菓会社に就職する。がんばれば国立大学にも進学できる成績だったが、父親が亡くなったので断念した。母は最低限の家事しかしない人だったので、マナーなども知らなかったが、会社で先輩社員たちが一般常識を教えてくれた。4年後に上司の紹介で見合いをして結婚退職し、夫と二人で暮らし始める。第一子を妊娠中に、区民センターで行われている料理教室に参加し、講師である勝沼沙苗の「私たちが幸せになるか否かはすべて料理にかかっている」という言葉に心を動かされる。自分のように経済的にも文化的にも貧しい環境で子を育てたくないという思いと、沙苗の人柄への信頼から、不三子は玄米菜食を実践する。夫や義母はそれを理解せず、やがて娘とも距離が生まれてしまう。

 二人の人生と共に描かれるのは、同じ時代を生きた人なら、見聞きし経験してきたはずの出来事だ。口さけ女、コックリさん、恐怖の大王などの都市伝説、育児に関する神話、オカルト、新興宗教……。人々は情報に左右され、何かを信じる人と信じない人の間には分断が生まれる。文通からSNSへと、他者とつながる方法は急速に進化していく。

 2016年から始まる第二部で、飛馬と不三子は地域の子ども食堂での活動を通して知り合う。二人とも思い描いていた幸福や充足感を得られずにいるが、そこでのボランティア活動にやりがいを見出していた。ところが、コロナウイルスの流行により日常は大きく変化する。ここ数年間で私たちが体験したことが、物語の中でも次々に起こっていく。まだ過去になりきっていない記憶や整理し切れていない気持ちが、物語に刺激されてしまう。不三子の母が隠していたことや、飛馬の母が遺した言葉がそこに重なり、形にならない感情が溢れてきた。

 小説の中の人々も私たちも、先の見えない今を生きているのだとあらためて思った。望んでも望まなくても、生活していれば次から次へとさまざまな情報が入り、誰かと繋がりたい、共有したいという気持ちが芽生る。未来が見える人はたぶんおらず、正解は誰も教えてくれない。何を正しいと思い、誰に対してどうふるまうかは自分で選ぶしかなく、きっと誰もが私と同じように、いくつもの後悔を抱えて生きている。すでにこの世を去った人々も、皆そうだったのだ。そんなことを思いながら、家族の歴史を辿る『ツリーハウス』(文春文庫)と『タラント』(中央公論新社)を、もう一度読み返したくなった。

 三編の小説のことを、私はこの先も何度も考えるだろう。角田光代氏と同時代に生きていられることを、ありがたく思わずにいられない。

(高頭佐和子)

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