河﨑秋子『ともぐい』の強烈さに度肝を抜かれる!

 体内に入り込んでくる凍ったように冷たい空気。銃から放たれる乾いた破裂音。息を止めたくなるようにきつい獣臭。まだ体温のある動物の内臓から漂ってくる生臭い匂い。

 河﨑秋子氏の小説を読んでいると、今いる場所の空気が一変するような気がする。経験したことはないはずなのに、五感が反応してしまう。決して心地良いわけではないのだが、臨場感がクセになり新刊が出るたびに読んでいる。今までの河﨑作品だって充分すごいと思うのだが、この最新作『ともぐい』の強烈さには度肝を抜かれた。

 舞台は、明治時代の北海道東部の山である。主人公の熊爪(人名である、念のため)は、山奥に一人で住み、犬を連れて猟をし、時々町に降りては撃ち取った動物の肉や皮を売って暮らしている。この地方で、猟のみで暮らしているのは熊爪だけだ。入浴の習慣がないため獣臭く、動物の毛皮を纏った屈強な髭面の姿は、そこにいるだけで町の人をギョッとさせる。腕の良さは知られているが、誘われても集団で猟をしないので一方的に罵られることもある。唯一交流があるのは、獲物を買い取ってくれる「かどやのみせ」の人々だ。顔見知りの番頭から金を受け取った後は、店主で町一番の金持ちである良輔に挨拶にいく。良輔はいつも熊爪に妙な頼み事をしたり山の話を聞きたがるのだ。彼の妻は熊爪に冷たくいつも嫌な気持ちになるが、誘われるままに普段はありつけない食事をし、風呂に入って一夜を過ごし、また山に帰っていく。

 じわじわと春が訪れる頃、熊に襲われ酷い怪我を負っている男を山中で発見する。男は離れた集落の住民で、冬眠をせず人里を襲うようになった「穴持たず」の熊を撃つために追って来たのだが、逆に襲われてしまったのだという。熊爪は男を助け、町に連れて行き良輔に託すが、それは善意からの行動ではない。手負いの熊が人間の死体を食べて味をしめると、自分の身にも危険が及ぶと判断したからだ。

「俺は食いたいもの、金になるものを殺し、生きる。変わらなくていい」

 町で起こる出来事とも、日本中が巻き込まれていく戦争や開発とも無関係に生きていくはずだった熊爪の運命は、この「穴持たず」に対する強い怒りと「かどやのみせ」に漂い始めた不穏な空気、良輔が面倒を見ているという盲目の少女に欲望を感じたことで、大きく変化していく。

 熊と猟師のガチな戦い……。その圧倒的な迫力に、思わずヒエーッと声が出た。自分が生きるために動物を殺し、その肉を口にして毛皮を纏う。優れた身体能力と闘争心を持った熊を、獲物というよりは対等なライバルのように捉え勝負をしようとする。猟に連れていく犬は唯一の相棒といえるが、その間にあるのはやわらかで温かみのある愛情ではなく、生きるために互いを必要とし合うことから生まれる強い絆だ。町に出れば町のルールに従うが、山では自身の倫理観で誇り高くふるまう。そして、自分に与えられた運命を静かに受け入れる。

 猟師というより、鉄砲を持った野生動物のようだと思った。今の私たちの暮らしからはあまりにかけ離れた生き方である。だがその鮮烈な人生は、人間も動物であるということ、誰もが最後はいくつかの残骸をこの世に残して朽ち果て、いずれは生きている人々の記憶からも消えていくのだという当たり前の真実に、正面から向き合わせてくれる。野生動物との距離が問題になる今、読まずにいるのは、あまりにもったいない衝撃的な一冊である。

(高頭佐和子)

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