「入居条件はパン屋さん」大家さんの狙いとは? 入居者も街の人もハッピーになる賃貸1階の”小さな商店街”化が進行中 東京・蒲田
おいしいパン屋さんのある街は、きっと素敵な街。そんな印象を持っている人も多いのでは。パンブームが続く昨今、おいしいパン屋さんは地元はもちろん遠方からも人を呼ぶ求心力を持ち、さらには「引越すならパン屋さんのご近所に!」なんてケースも少なくない。蒲田(東京都大田区)の住宅街にある「SONGBIRD BAKERY」は、実は大家さんが「パン屋さん限定」で募集した物件なのだ。その背景にある思いや、開店後の住宅街の変化について、大家の茨田禎之(ばらだ・よしゆき)さんと店主の本藤正敏(ほんどう・まさとし)さんに伺った。
こだわりのパン屋さんを呼び込めば、街の魅力も上がると考えて
JR・東急 蒲田駅前のにぎわいを抜け、小さな川沿いを10分ほど歩いた先にある「SONGBIRD BAKERY(ソングバードベーカリー)」。周辺はのんびりとした住宅街で、近くを流れる呑川の反対岸の児童公園の緑が目を和ませる。2021年7月、ここでベーカリーをオープンさせたのは本藤正敏さん。国産小麦を使った高加水のもちもちパンがパン好きの間でも評判となり、オープン以来、地元はもとより遠方からもお客が訪れる人気ぶりだ。
パンは約25種類。1~2人で食べきりやすい小ぶりな食パンも2種そろう(画像提供/SONGBIRD BAKERY)
看板メニューは、水分たっぷりで小麦の甘味豊かな「うるる」(右下)。「明太フランス」(左)など定番のほか、季節で具材が変わる「フリュイ」(右上)など期間限定パンも(画像提供/SONGBIRD BAKERY)
店があるのは「カマタ_ブリッヂ」という4階建てマンション。1階は「SONGBIRD BAKERY」を含む3軒のテナント用スペース、上階は1~2人用の賃貸物件だ。テナント募集にあたり、オーナーである不動産会社「仙六屋」代表の茨田禎之さんは「パン屋さん限定」という条件を設定した。
1976年築の「カマタ_ブリッヂ」。2015年に全館フルリノベーション(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
「オーナーとして、1階に何の店が入ると魅力的な物件になるかを考えてのこと。1階においしいパン屋があったら、入居者さんも街の人もハッピーでしょう?」
からっと笑う茨田さん。そのアイデアは、彼がこの界隈で行ってきた街づくりの活動がベースにある。
「当社はこのエリアにいくつか物件を所有していますが、街に波及効果のあるテナントに絞ったリーシング(商業用不動産の賃貸サポート)を行っています。この『カマタ_ブリッヂ』1階はもともと中華料理店でしたが、2015年の耐震リノベーションの際に、店は継続しつつ、残り2区画をクリエイター向けの工房併設型シェアオフィスとして開発。町工場の多いこのエリアと親和性の高いモノづくりスペースを通して、地域とつながりつつ物件の付加価値を高めようと考えたのです」
「仙六屋」代表の茨田禎之さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
多彩なイベントやプロジェクトを創出したシェアオフィスは2019年に京急梅屋敷駅高架下「梅森プラットフォーム」に移転が決定。そこに中華料理店閉業のタイミングが重なり、「カマタ_ブリッヂ」1階を再開発することに。そこで掲げたコンセプトは”小さな商店街”だ。
「シェアオフィスのクリエイティブな雰囲気は引き継ぎつつ、より対象を広げたい。職人さんがこだわってつくるパンならば、幅広い世代が日常的に親しめるし、隣の2店舗との相乗効果によって街に活気を生み出せる。物件としての魅力も上がり、住居部分の入居率向上にもつながると考えました」
「仙六屋」では周辺エリアを独自にリサーチ。競合ベーカリーの存在や、前と横の道路の通行量とその年齢層などを調べ、いかにこの物件がパン屋の新規出店に有利かをデータ化した。
「仙六屋」が作成した「周辺パン屋マップ」。半径500m以内に競合店がないことが明らかに(画像提供/仙六屋)
「1分間通行量リサーチ」。人通りが多い時間帯や年齢層の変化が分かる(画像提供/仙六屋)
「しかしコロナ禍も重なり、なかなか応募はなく……。そこで当社メンバーがそのデータをまとめた冊子を手づくりし、イメージに近いパン屋さんを回って営業も行いました」(茨田さん)
「仙六屋」の不動産チームが自作したパン屋さん募集用パンフレット(画像提供/仙六屋)
営業先では好反応もありつつ、やはり動きはないまま約1年が経過したころ、ベーカリー予定地の隣にカフェ開業希望者から申し込みが。
「当時はコロナ禍真っ最中でしたので、本当にいいの?という感じで。でも店主の30歳になるまでに独立したいとの決意を伺い、心意気を感じました。カフェとパン屋さんは相性がいいし、パン屋さんが出店を検討する時に、すでにカフェがあることが『ここで新しいお店がやっていけている』と説得力にもなるので、ありがたくて」と茨田さん。
そうして2020年6月にカフェ&バー「SSYET」が誕生。店主のセンスあふれるこのカフェはすぐ人気店に。そこから半年が経過したころ、ついにパン屋さんから応募が! それが本藤さんだった。
「住宅街で、地域の人たちに愛されるパンを」との店主の想いに合致
独立を考え、都内と神奈川県で物件を探しこちらを発見した本藤さん。「最初に内見した物件だったんですが、魅力的だったのですぐ申し込みました」と驚きの発言!
「SONGBIRD BAKERY」オーナーシェフの本藤正敏さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
「物件の条件はいくつか考えていましたが、ここはすべてを満たしていて。家賃も想定内だし、住宅街にあって、公園も近くて、隣に素敵なカフェもある。『周辺パン屋マップ』などの資料もすごく助かりました。でも最終的な決め手は直感ですね。ここで自分がお店を開いているところをイメージできたんです」と本藤さん。
川の反対岸にある児童公園(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
本藤さんが申し込みを急いだのは、ほかにも希望者がいるからでもあった。茨田さんは当時をこう振り返る。
「ずっと動きがなかったのになぜか同時に3件の申し込みをいただいて。ほかのお二方も素敵だったので悩みましたが、社内で協議を重ね、本藤さんに決めました。決め手は、実績はもちろん試食でいただいたパンがおいしかったこと。お人柄もパンも、優しくて柔らかい。この街にファンがついて、長く店をやっていただけそうだなと、いち住民としてイメージができました」
両者の「街に根付くパン屋さん」というイメージがぴたりと合致したのだ。そこに到達するまで時間はかかったが、茨田さんは「不動産は、ニーズが合うただ一人が見つかればいい。対象を絞ることで多少労力はかかっても、テナントが何度も入れ替わるよりずっと苦労は少ない」と確信している。
物件は駅から離れているが人通りが絶えない。「蒲田駅、梅屋敷駅、池上駅の3駅からアクセスできる立地も利点です」と本藤さん(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
地域に愛されつつ、遠方から人を呼び込み街の認知を高める存在に
とうとう待望のパン屋さん「SONGBIRD BAKERY」がオープン。長い間「ここにパン屋さんが入ります」と「仙六屋」のSNSなどでも告知してきたこともあり、オープン日は雨の中行列ができる反響が。
「SONGBIRD BAKERY」オープン初日の様子(画像提供/仙六屋)
本藤さんはもともと蒲田にゆかりはなかったそうだが、「お客様から『パン屋さんができてうれしい』『この街に来てくれてありがとう』とのお声をオープン以来たくさんいただいて、地域とのご縁が育っています」と微笑む。「上階にお住まいの方々もよく買いに来てくださって、懇意にしていただけています。付近は住宅やマンションが多く、30~40代の子育て中のお客様が中心。対象にしたかった層とも合致しています」
最新製法を採りつつ、住宅街の立地を考慮し、菓子パンや惣菜パン中心の親しみやすいラインアップに(画像提供/SONGBIRD BAKERY)
茨田さんも「パパ友やママ友、いろんなところで評判を聞くんですよ」とうれしそう。「上の階に『パン屋さんがあるから入居したい』という直接的な影響はまだないですが、空き部屋が出てもすぐ埋まるように」。マンション1階に毎日通いたい素敵なお店があることが、入居者の生活の質の向上にもつながっている。
「SONGBIRD BAKERY」「SSYET」ともに遠方から訪れる人が多く、彼らにこの街を知ってもらえることも茨田さんはうれしいという。「蒲田=飲み屋街の印象を持っている人には、この界隈はギャップを感じてもらえるのでは。蒲田も駅から少し離れるとこんなに落ち着いていて、新しい素敵なお店もある。発見する喜びがここにはあります」
波及効果あるテナントを集めて、街の魅力をさらに高めていく
連日行列ができる人気の「SONGBIRD BAKERY」。週末などはお昼すぎに売り切れ閉店することも。「買えない方には申し訳ないし、経営者としてもったいないとも思うので、難しい部分もありますが、生産量や商品ラインアップを少しずつ増やしていけたら」と本藤さん。
将来的には新たな展開も視野に。「イートインができるカフェも併設できたら。今のお店では少ないですが、個人的にはカンパーニュのようなハード系をもっとつくりたい。食事とともに出せば、そんなパンも受け入れられやすいかなと」
「サワードゥ」などハード系のパンも並ぶ(画像提供/SONGBIRD BAKERY)
一方の茨田さんは、現在空き店舗の「カマタ_ブリッヂ」の3つめのスペースに入るお店を見つけることが目下の課題。
「現状の2店舗さんとの相性も考えつつ、長く地域に根付いて成長してくれそうなお店を探し、お互いの希望をすり合わせる。そこをしっかりやらないと」と茨田さんが言うと、「茨田さんは入居前から親身になってくださって、信用金庫に融資を受ける際も一緒に来て口添えしてくださったりも」と本藤さん。
茨田さんは照れつつも「テナントさんは運命共同体。でも口うるさいオーナーにはなりたくないから、最初にしっかりセッティングしたら、その先は口出しなし!」ときっぱり。
茨田さんは、こんなふうに影響力あるテナントを地域に点在する自社物件に呼び込むことで、街の価値を上げていくことに取り組んでいる。「大規模な都市開発ではなく、個人単位の小さな点と点をつなげる”マイクロデベロップメント”。仲間とともにまちづくりとものづくりの企画開発を行う『@カマタ』を立ち上げて活動しています」。将来的には、この取り組みによる経済的効果も実証し、他エリアにも広めたいと茨田さんは考えている。
梅屋敷駅から続く商店街(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
京急梅屋敷駅高架下「梅森プラットフォーム」は「@カマタ」が京急電鉄に働きかけ、クリエイターと町工場が協働するモノづくり施設が実現。「仙六屋」はカフェとして入居して新たな不動産業を模索している(写真撮影/SUUMOジャーナル編集部)
「SONGBIRD BAKERY」のように魅力ある個人商店や、「梅森プラットフォーム」のようなクリエイターの創造拠点の存在は、街を変える種火となる。その種火が連なり、燃え広がってこの街にどんな上昇気流をもたらすのか。俄然おもしろくなっていく蒲田~梅屋敷に、ぜひ注目したい。
●取材協力
茨田禎之さん
・仙六屋
・@カマタ
本藤正敏さん
・SONGBIRD BAKERY
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