現代人が「古典」に触れる意味とは
なんのために生まれてきたのか。
死ぬとはどういうことか。
本当の自分を見つけたいけれど、どうしたらいいのか。
こんな人生の悩みや疑問は今も昔も変わらない。これらの悩みはおそらく完全に解決することはない。しかし、少しでも気持ちを楽にしたり、悩みを束の間忘れたり、相対化するのに、大いに役立てることができるのが、古典や哲学だ。
■現代人が古典を読む意味
『扉をひらく哲学 人生の鍵は古典のなかにある』(中島隆博、梶原三恵子、納富信留、吉永千鶴子編著、岩波書店刊)では、親との関係、何のために勉強するのか、本当の自分とは何か、昔の本が今役に立つのか、といった疑問を 古今東西の書物をひもといて、11人の古典研究者が答えていく。
そもそも時代も社会状況も違う現代を生きる自分たちに古典は役に立つのか。
しかし、そこは安心していい。古典を読むとは、時代も社会も状況も異なる人が、現代を生きる自分と同じように与えられた一つの運命をどのように受け入れ、格闘したかを知るということなのだ。
古典は自分自身を見る映し鏡であり、そこに映し出される自分の姿を省みることで気づきが得られる。その気づきが多様で豊かであればあるほど、その後の人生の指針となる。現代の人が古典に触れる意義はそこにあるのだ。
では、「人はなんのために生きているのか」という疑問を古典からどのように解決するのか。なんのためにという問いは、選択と決断を迫るものであり、その答えを自分自身で追求していくしかない。重要なことは「なんのために生きているのか」ではなく、「どのように生きていくか」だ。
このことを考える手がかりになるのが、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの思想だ。ニーチェは「自分自身を一個の運命のように受けとること、自分が別のあり方であれと望まぬこと」、すなわち「運命愛」によって今の自分自信を全面的に肯定することを促している。与えられているのは、現に生きているこの人生だけであり、ほかには何もない。そこで何を成し遂げるかは自分自身の生き方によって確認していくしかない。「どのようにしてこの自分を生き抜くか」ということを、ニーチェは問いかけているのだ。
人生の悩みを解決するためのヒントを哲学や古典から得てみてはどうだろう。何か新しい発見があるかもしれない。
(T・N/新刊JP編集部)
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