ピーター・スワンソンの勝負作『8つの完璧な殺人』

ピーター・スワンソンの勝負作『8つの完璧な殺人』

 私どもにできるものは全部ここに詰め込みました。お客様、どうぞご覧ください。

 そんな作者の声が脳内に再生されるのであった。もちろん妄想で。できれば上の行は夢グループ社長の声で読んでいただきたい。

 ピーター・スワンソン『8つの完璧な殺人』(創元推理文庫)は作者がすべてを出し切った作品である。つまりは勝負作。

「店のドアが開き、FBI捜査官の足がドアマットを踏む音がした」という書き出しから始まる。店とは、語り手のマルコム・カーショーが共同経営しているボストンのミステリー専門書店〈オールド・デヴィルズ・ブックストア〉、FBI捜査官の名前はグウェン・マルヴィである。彼女は来店の五分前に電話をかけてきた。捜査上の案件で相談したいことがあるのだという。

 十年前マルコムは、もっとも巧妙かつ成功確実な殺人が登場する犯罪小説を八作選び、ブログにリストとして掲載していた。何者かがそのリストの作品内で起きる事件を模倣する形で人を殺している、というのがグウェンの仮説だ。ブログの完璧な殺人リストをなぞっているのだとすれば、マルコムは何か捜査のために役に立つ手がかりを提供できるのではないか。もちろん彼に犯人の心当たりなどないが、協力は惜しまないと約束した。

 捜査官が感謝して帰っていったあと、マルコムは彼女に言わなかった事実があることを思い返す。犠牲者の一人、エレイン・ジョンソンを彼は知っていたのである。エレインは〈オールド・デヴィルズ・ブックストア〉の常連で、彼や店員を困らせる困った客だった。グウェンによれば、選ばれた被害者はみな、自己本位な行動で他人に迷惑をかけるような嫌われ者であったという。たしかにエレインもそういう人間だった。

 開幕早々マルコムが、聞かれるまでは知っている情報を出さないといった形で自分の真意を人に見せないタイプの語り手であることが明かされる。探偵にとっては信頼しきれない協力者であり、読者にとっては信用ならざる語り手なのである。なんらかの思惑があることがほのめかされるものの、マルコムは殺人犯狩りへの協力を開始する。読者は連続殺人犯が何者かという謎と同時に、マルコム・カーショーという謎も抱え込むことになるだろう。彼は何を考えているのか。そして、なぜ「回顧録」と名付けられた手記を綴っているのか。

 絶対に気になっているはずなので、完璧な殺人が行われる犯罪小説とはどんな作品なのかを書いておく。以下の八作である。

『赤い館の秘密』A・A・ミルン(創元推理文庫他)、『殺意』フランシス・アイルズ(アントニイ・バークリー。創元推理文庫他)、『ABC殺人事件』(アガサ・クリスティー。クリスティー文庫他)、『殺人保険』ジェイムズ・M・ケイン(新潮文庫他)、『見知らぬ乗客』パトリシア・ハイスミス(河出文庫他。小説及び1951年版の映画にも言及される)、『The Drowner』ジョン・D・マクドナルド(邦訳なし)、『死の罠』アイラ・レヴィン(戯曲。邦訳なし。1982年版の映画化題名は『デストラップ 死の罠』)、『シークレット・ヒストリー』(別邦題『黙約』)ドナ・タート(扶桑社ミステリー他)。

 これらの作品については真相についての言及があるので未読の方は注意が必要である。とはいえ、犯人が視点人物になる、いわゆる倒叙ものの『殺意』や、殺害方法よりもそれ以外の部分にミステリーとしての眼目がある『見知らぬ乗客』については、ネタばらしを受けてもそれほどのダメージはないかもしれない。いちばん気を付けなければいけないのは『ABC殺人事件』で、長篇の最も大事な仕掛けがあっさりと明かされる。同書をこれから読もうと楽しみにしている人にだけは本書をお薦めしない。『赤い館の秘密』の仕掛けも暴露されているので、こっちもご注意。私見では、あれは犯人を知っていて読んでも楽しい作品だと思うのだが、やはり未読の人は避けたほうが賢明だろう。

 ピーター・スワンソンは2014年のデビュー作『時計仕掛けの恋人』(ハーパーBOOKS)が本邦初紹介作だが、第二作『そしてミランダを殺す』(創元推理文庫)で一気にその名が広まった。あらすじ紹介が困難なスリラーを書く人で、これまで邦訳された作品では複数視点が採用されていることが多く、叙述そのものを疑ってかからなければならない作風が話題を呼んだ。先行する心理スリラーや犯罪小説を意識した作品構造になっていることが多く、ミステリーを知っていればいるほど楽しめる作家だとも考えられてきたのである。『8つの完璧な殺人』はマニアをこじらせたような内容でまさに本領発揮、この作家なら絶対こういうものを書くだろう、と大いに納得させられる。

 あまり情報を出してしまうと読者の興を削いでしまいそうなので、ぎりぎりの記述に留めるが、上に挙げた八作の中に、他の作品よりも重視されているものが一つある。その作品に寄りかかった形でプロットが構築されているのである。このへんがスワンソンらしい。ある程度ミステリーに詳しい人ならば、もう一作重要な作品が意識されていることにすぐ気づくはずだ。その二作をどう掛け合わせているかについては巻末の千街晶之解説に詳しいので本文読後にご覧いただきたい。私も作者の意図はそういうことではないかと思う。

 あまりトリックやプロット周りに触れられないので、推理と関係ないことだけを最後に書いておく。こじらせミステリーマニアらしく、本作では多くの有名作品への言及が行われる。マルコムはミステリー・犯罪小説全般のファンらしく、謎解きからノワールまで全般にわたる読書体験が語られる。たとえばこんな感じに。

――気がつけば、わたしがいちばん惹かれるのは、十二、三のころ初めて読んだ一連の作品だった。アガサ・クリスティーの小説、ロバート・パーカーのもの、グレゴリー・マクドナルドのフレッチ・シリーズ。わたしはローレンス・ブロックの『聖なる酒場の挽歌』を一気に読み、最後の一行に泣いた。

 おまえは俺か、私か、と言いたくなる読者がたくさんいるはずである。この人、なかなか趣味がいいのだ。〈オールド・デヴィルズ・ブックストア〉の共同経営者はブライアン・マーレイという作家で、彼はエリス・フィッツジェラルドという女性の私立探偵が登場するシリーズをずっと書き続けているという設定だ。なぜ女性の探偵なのかというと、第一作を書いたときにエージェントが「いい作品だが、なんとなくどこかで読んだような感じがする」と言ったので、他の点は一切いじらず、主人公の性別だけを変えて再提出したら、売れたからなのだそうだ。このエリス・フィッツジェラルドものに関するくだりがおもしろいのだけど、読んでのお楽しみということで。

(杉江松恋)

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