怪獣、時間跳躍、吸血鬼、ゾンビ

怪獣、時間跳躍、吸血鬼、ゾンビ

 久永実木彦は2017年、「七十四秒の旋律と孤独」で第八回創元SF短編賞を受賞してデビュー。同作を表題とする第一短篇集は、宇宙もしくは異星を舞台としたロボットSFが収録されていたが、こんかいの第二短篇集は、全四篇とも身近な日常世界(もしくはそれに地続きの領域)を扱っている。

 表題の「わたしたちの怪獣」は、短篇にしてはじめて日本SF大賞の候補になった話題作だ。自動車免許を取得したばかりのわたし(語り手)が自宅アパートに帰ると、妹が父親を殺していて、テレビでは東京湾に出現した巨大怪獣が報道されている。ちなみに父はろくでなしで、殺されてもしかたない男だった。

 殺人と怪獣とは別々の事件だが、わたしに降りかかった異常事態という点でかわりがない。わたしは怪獣のどさくさにまぎれて東京湾に父の死体を遺棄すべく、国道254号をえんえんとクルマで走る。その過程でいろいろなできごとがあり、私のイメージのなかで父と怪獣がダブっていく。ほとんど不条理とも言えるシチュエーションのなかでの、わたしの精神のうつろいが冷たく描かれる。

「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」は、過去への時間跳躍が実現した世界。利己的な歴史改変は犯罪として厳しく摘発されるいっぽう、人道的見地から、自然災害による死者に対しては時間を先回りして〈声かけ〉をおこなう措置がとられている。時間局は多忙をきわめ、〈声かけ〉要員を非正規雇用でまかなうようになった。主人公のぼくはその非正規職員のひとりである。

 ぼくは同僚に唆されて、過去におこった災害の動画撮影・配信をはじめる。〈声かけ〉職務を私的に利用する行為は許されることではなく、あくまでも匿名の仮面をかぶったやましい楽しみだ。平凡な青年だったぼくが、ネットの闇にまぎれてじわじわと変わっていくさまがおぞましい。

「夜の安らぎ」は、孤独な女子高校生であるわたしの物語。そもそものきっかけは中学生のとき、学校でおこなわれた血液検査の隙をついて、美しい従姉妹の血を盗んで味わったことだった。家族にも学校にも馴染めないわたしは、吸血鬼になって永遠に夜にいたいと願っている。

 わたしはその風体や行動から吸血鬼とおぼしき男を見つけるが、男はまったく取りあってくれない。わたしの願望が青春期にありがちな気の迷いなのか、それとも実際の吸血鬼が存在するのか……。読者が宙ぶらりんのまま読み進むと、作品途中で語りの視点が変わり、事態は意外な方向へと動きだす。

「わたしたちの怪獣」も「ぴぴぴ・ぴっぴぴ」も「夜の安らぎ」も、主人公が若く、抑鬱的な日常をすごしている点で共通する。怪獣の出現、時間跳躍、吸血鬼といったシチュエーションは、その抑鬱の壁に空いた針穴だ。しかし、穴からすべてが抜けて解放が得られるわけではない。漏れでた毒気が世界を染めていく。

 巻末を飾る「『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を観ながら」では、語り手のぼくが映画館に入ると、たまたまZ級ホラーの伝説的作品『アタック・オブ・ザ・キラートマト』が上映されている。しかし、上映開始から三十分ほど経ったとき、大震動があって映画が中断してしまった。ほとんどの客が帰ってしまい、八人だけが館内に残る。ぼく以外はかなりの映画マニアだ。濃い会話が交わされるなか、スマホ経由の情報で外の状況がわかってくる。豊島区で大爆発があってゾンビが発生し、ひとびとを襲っているのだ。外へ出るのは危ない。ぼくたちは映画館に立てこもって救援を待つことに決めた。そして、ひとりが「こんなときだからこそ『アタック・オブ・ザ・キラートマト』を観よう」と言いだす。

 途中まで明示されないが、この作品のぼくもどんよりとした生活を送っている。映画館に入ったのも、とある事情で両手に怪我をしたのだが、病院には行きたくないし優しい母が待つ家にも帰りたくないので、ただ薬局で消毒薬だけ買い、どこかで時間をつぶすだけの目的だった。

 ほかの三作品に比べると、この物語は映画マニアの連中のトボケたやりとりのおかげで、だいぶユーモアへ寄っている。もっとも、彼らを取り巻く状況はかなり悲惨であり、スティーヴン・キングばりの非情さでひとが死ぬのだが。

 どの作品も客観的にみれば暗澹とした世界だが、結末では夕凪のように諦観へたどりつく。久永作品の不思議な魅力だ。

(牧眞司)

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