一部の人に押しつけて考えないようにしていないか? なぜか日本人が知らない世界の「屠畜事情」

一部の人に押しつけて考えないようにしていないか? なぜか日本人が知らない世界の「屠畜事情」

 牛肉・豚肉・鶏肉など、私たちは日常的に肉を食べている。もちろんアレルギーの問題や宗教上の理由などで肉を食べない人もいるだろうが、スーパーなどではごく普通に食肉のパックが販売されている。

 では、牛や豚などはどのようにして食肉となるのだろうか。食肉にするために、誰かが何らかの方法で処理をしているはずである。内澤旬子氏の著書『世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR』(KADOKAWA)では、そのプロセスが詳細に紹介されている。

 まず牛や豚などの家畜を食肉や皮革用に解体することを「屠畜」という。「屠殺」とも言われ、こちらの言葉のほうが馴染みがある人もいるだろう。ただ同書では、著者はあえて「屠畜」という言葉を使っている。

「私は『屠殺』ということばはなるべく使わずに、「屠畜」という馴染みの少ないことばを使っている。
ただ殺しただけでは肉にならないのだということを、わかってもらいたくて『屠畜』ということばを使った」(同書より)

 「動物を殺す」と聞くと嫌な気分になる人も少なくないはずだ。動物愛護という理由もあるだろうが、そこには歴史にこびりついたもっと根深い理由もある。「生き物を殺す」という行為は穢れたこととされており、かつて屠畜作業に従事していたのは身分制度の最下層の人々だったという。当然これらの身分制度はすでに撤廃されており存在しないが、その名残が今もなお色濃く残ってしまっている部分もある。

 同書でもこれらの差別意識に対する疑問はたびたび記述されるものの、著者はその問題に深く切り込むことはしていない。その前にまず「屠畜」についてのさまざまな情報を伝えることを目的としている。

「差別を受けた側の立場に成り代わって被差別の歴史をくわしく書くよりも、まず屠畜という仕事のおもしろさをイラスト入りで視覚に訴えるように伝えること」(同書より)

 この点にこそ、同書の最大の魅力がある。差別意識の有無にかかわらず、動物が解体されていく様を自ら進んで見学したい人は少数派だろう。しかし著者はまさにその少数派であり、さまざまな国のさまざまな屠畜の現場に臆することなく飛び込んでいく。もちろん邪魔をしないようにという配慮のうえで、実際に作業に参加していたりもする。

 単に資料映像や写真を見るだけではなかなか伝わりにくい現場の声や温度感などが、主体的な体験を通して描かれることでよりイメージしやすくなるのだ。さらに屠畜作業の説明などには、イラストレーターでもある著者自身のイラストが随所に挿入されている。細部まで丁寧に描かれていながらも実物がもつ生々しさを抑えたイラストは、とても見やすく分かりやすい。

 同書は『世界屠畜紀行』のタイトル通り、韓国、バリ島、エジプト、チェコ、モンゴル、インド、アメリカといった諸外国の屠畜事情について描かれている。屠畜作業の工程はどこも似ていることが多いが、屠畜やそこに従事する人々に対する考え方はさまざまだ。同じ国の中でも地域や宗教によって異なっている。

 ところで、当然ながら日本にも屠畜作業を行っている屠畜場がある。屠畜場は全国にあるが、東京都港区という都心にも「東京都立芝浦と場」という屠畜場があるのをご存じだろうか。利用者数の多い品川駅から徒歩数分という立地にありながら、そこでどのような作業が行われているかを正しく知っている人は多くないだろう。同書では「東京都立芝浦と場」で行われている屠畜作業についても詳しく紹介している。著者が懸念しているのは、「牛や豚などの家畜」と「食事としての肉」との関係が乖離してしまうこと。

「屠畜を屠畜場だけに閉じ込めていくことで、なんだかどんどん屠畜という行為が元気をなくして、食べることから遠く離れていってしまう気がしてならない」(同書より)

 人間は、牛や豚などの肉を食べる。それは今後もしばらく変わらないだろう。そうである以上、私たちは自分が食べるものがどのようにして食卓まで届くのかということから目を背けてはいけないはずなのだ。

「これまで私たちは動物の食利用について、一部の人にその過程を押しつけて、考えないようにする歴史と文化を引きずってきている」(同書より)

 「食」は人間が生きていくうえで必要不可欠な要素である。ということは、「屠畜」も人間の基本的な営みの1つといえるだろう。「自然や命に感謝して丁寧に食べる」と言葉にするのは簡単だが、そこまでの過程を知っているかどうかでその説得力は大きく違ってくる。同書を通して、なかなか触れることのできない屠畜の世界を覗いてみてはいかがだろうか。

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