「自分は損をしている」と感じた時に思い出したい仏教の教え

「自分は損をしている」と感じた時に思い出したい仏教の教え

社会生活には悩みがつきもの。人間関係の悩み、お金の悩み、健康の悩みなどなど、一つの悩みもない人はいないはず。それは大昔も今も変わらない。

そんな苦しむ人間に普遍的な教えを授けてくれるのが仏教だ。『日々抱える苦労の救済処置 おすくいぶっきょう』(幻冬舎刊)は、女子高生の華と僧侶の凡ちゃんの会話を通じて、仏教の教えをわかりやすく解説するコミック。

今回は著者の世良風那さんに、現代において仏教に触れることの意味についてお話をうかがった。その後編をお届けする。

世良風那さんインタビュー前編を読む

■「自分だけが損をしている」と思いやすい時代

――「いいことも悪いこともすべて自分に返ってくる」という感覚は、日本人は多くが持っている印象があります。ただ、「誰かにとってのいいことは、別の誰かにとっての悪いこと」ということも多々あるかと思います。このあたりの「善悪の判断」についてのお考えをお聞きしたいです。

世良:親鸞上人すら「何が良くて何が悪いのか、自分にはもうわからない」と言っておられるくらいですから、これも難しい問題です。

ただ、欲が絡んでくることなのではないかと思います。私欲絡みで行ったことは、本当の意味での「いい行い」ではないので、その時は良くてもいずれ悪い結果が返ってくる。一つ知っておいていただきたいのは、俗世間は欲にまみれているということです。だからこそ「誰かにとってのいいことは、別の誰かにとっての悪いこと」が生まれてくるんです。

――欲のお話が出ましたが、人間の持つ5つの欲は、なかなか切り離すことができない気がしましたが。私たちはこれらの欲とどう付き合っていけばいいのでしょうか。

世良:最初に言っておきますが、欲から切り離されることはできません。

――修行をしてもダメですか?

世良:修行をしても欲自体から切り離されることはできません。お釈迦様が飲まず食わずの苦行を行っても悟りを得ることはできませんでした。やはり人間には本来的な生理的な欲があって、そこから逃れることはできません。

ただ、あらゆる欲が悪いということではないですし、欲から解放されるというよりは、いかに欲に執着せず、私欲にとらわれることなく生きられるか。自分ばかりという思いではなく、利他の心を持ちながらいかに生きられるかを考えるべきではないかと思います。

――現代を生きる私たちが仏教の教えに触れる意味はどんなところにあるとお考えですか?

世良:現代は「自分だけが損をしている」という気持ちになりやすい時代だと思います。ただ仏教の世界観を頭に入れておくと、そういった理不尽さの感情にはとらわれにくくなるのではないかと考えています。

いい条件、いい環境で暮らしている人と自分を比べてしまうこともあると思うのですが、それは人それぞれ持って生まれたカルマの違いですから、比べても仕方がないわけです。仏教に触れることで世界観が広がり、思考が自分を苦しくする方向に向かわない効果はあるのではないでしょうか。

――仏教の教えに触れなくても幸福に生きている人もいます。宗教を必要とする人とはどのような人なのでしょうか。

世良:仏教の教えを知らないと幸せになれないということはありませんし、私自身も仏教だけが人を悟りに導く教えだとも思っていません。

たとえば、よく風邪を引く人とまったく引かない人がいて、よく風邪を引く人は風邪を引かない方法を学ぶ必要があります。宗教も一緒で、苦しみにとらわれやすい人はそうならない方法を学ぶ必要がある。その一つの方法が仏教なのかもしれません。風邪をまったく引かない人(苦しみにとらわれない人)は仏教の教えに触れなくても幸せに生きることができる人です。そういう人は自力で悟りを得られるのではないかと思います。

――最後に、読者の方々にメッセージをお願いいたします。

世良:本書を手に取ってくださる方々にはまずお礼を申し上げます。こうして仏教の教えを描いた本書に触れてくださることも何かの縁だと思います。この本が人生を前向きに生きるきっかけになってくれたら嬉しいです。

(新刊JP編集部)

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