封印していた過去と純粋な思い〜川上未映子『黄色い家』
いつの時代にも、罪のない人から何かを奪って良いという考えの人間はいる。その手口がどんどん巧妙になっていることをニュースなどで知ると、恐ろしく思う。軽い気持ちでそういう犯罪に関わるなんて、愚かなことだ。そんなことをする度胸があるなら、もっと社会に役立つことをすればいいのに。そんなことを思ってしまうのは、自分が奪う側になることを考えもしないからだ。この小説の主人公は、若くして犯罪に加担した女性だ。読み進めるほどに、強く思う。この女性を愚かで浅はかだと、私に言えるのだろうか。彼女と私との間に、どれほどの距離があるというのだろうか。
物語の始まりは2020年だ。惣菜屋の販売スタッフとして働く花は、あるネット記事に目を止める。60代の女性が20代の女性を長期間部屋に監禁し、重傷を負わせたというものだ。容疑者の名は黄美子。主人公が、20年ほど前に同居していた女性である。その家に一緒に住んでいた旧友の蘭に連絡をすると、あの頃のことは忘れたい「黒歴史」で、黄美子さんたちはおかしな大人だったのだから、もう関わるべきではないと言う。20年前に、本当は何があったのか。花は封印していた記憶をよみがえらせていく。
花は古くて小さな文化住宅で育った。母と二人暮らしで、家には母のホステス仲間や知り合いがよく泊まりに来るが、心を打ち明けられる友達もなく孤独だった。中学時代、恋人ができてあまり帰って来なくなった母親の代わりに、家に出入りしていた母の友達の一人である黄美子さんが面倒を見てくれる。一緒にいると楽しい気持ちになれて、誰にも言えない気持ちを打ち明けられるただ一人の相手だったが、ある日どこかに行ってしまった。高校生になってからは、ファミレスのアルバイトに明け暮れて自立を目指していたが、貯金を全て母の交際相手に奪われてしまう。希望を失った花の前に、再び黄美子さんが現れる。
黄美子さんが知人から引き継いだスナックで働くことになった花は、売上の管理を引き受けるようになる。経営は順調で、出会った大人たちは花にやさしかった。初めてできた友達である蘭と桃も店を手伝うようになり、4人で暮らす家を花が探した。全てがうまくいっているように思えたが、未成年で身分を証明する物すら持たない花と、普通の大人のように社会に適応できない黄美子さんの暮らしは、薄い氷の上を歩いているようなものだった。ある事故でスナックを失った花は、皆を守りたいという思いで、黄美子の友人男性に紹介された相手から、危険な仕事を引き受けるようになる。さらに追い詰められた花は、蘭と桃もそこに巻き込んでいく。
個性的な魅力のある容姿と人懐っこさがあるが、現実的な問題に対応できない黄美子さんには、手を差し伸べたくなるような頼りなさと安らぎがある。責任感が強く働き者の花は、自分の居場所と黄美子さんを守りたい一心で仕事に熱中し、変貌していく。その心境の変化が読む者も追い詰めるほどに、細やかに描かれていく。夜の世界の壮絶さ、そこで結ばれた大人たちの絆、花と暮らすようになった少女たちの事情……。全てがリアルで、苦しい。
多くの人が当たり前のように受け取る武器や防具を、何一つ与えられないまま世の中に放り出され、必死で生きていた花に、かけるべき言葉を私は見つけることができない。長い時間を経て全てを忘れたはずだったのに、消えることのなかった純粋な思いが、最後に描かれる。その心が痛くなるような美しさを、決して忘れることはできない。
(高頭佐和子)
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