「とにかく始めてみれば必ずできるようになる」Interview with Saya Gray about “19 MASTERS”
リナ・サワヤマやビーバドゥービーと同じ〈Dirty Hit〉に所属し、昨年発表したデビュー・アルバム『19 MASTERS』が話題を集めたサヤ・グレー。カナダと日本にルーツをもつアーティストで、両親の影響で幼い頃から楽器を学び、世界のさまざまな場所で演奏を重ねてきたという彼女。ウィロー・スミスやダニエル・シーザーのサポートを務めたこともあるグレーだが、そんな彼女がつくる音楽は、多様なアートやカルチャーに囲まれて育ったバックグラウンドを物語るようにボーダーレスでジャンルレス。繊細な心の揺れ動きが吐露されるフラジャイルなムードのなか、ニュアンスに富んだアコースティックのみずみずしくも張り詰めた音色が印象的だ。そのアルバムや音楽の話を含めて、子供時代のことやこれまでの来歴について、久々の“帰京”となった昨年末の12月、原宿のマンションでグレーに話を聞いた。
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――今回、日本に来られた目的は何ですか。
サヤ「アニエスベーのクリスマス・コレクションでホログラムを使ったショーをやって。そのキャンペーンで日本に来ました」
――日本に来るのはいつぶり?
サヤ「2019年のフジロック以来ですね。その時はダニエル・シーザーと一緒で。すごく雨が降っていたけど、とても美しい光景だった。ただ、パンデミック以降は来れていなくて」
――今回のインタヴューにあたり、好きな日本の音楽やカルチャーを挙げたリストをいただいていて。そのリストには藤井風やmillennium paradeも入っていましたが、そうした日本のポップ・ミュージックもよく聴くんですか。
サヤ「そうですね。かれらは素晴らしい。椎名林檎も大好きです。あと、まふまふ、バンプ・オブ・チキンも本当にかっこいい(笑)。80年代のカルチャーが好きで、私にとってのクラシックのようなものですね」
――今のサヤ・グレーの音楽からすると意外な印象も受けますが、かれらの音楽から影響を受けている部分もあると思いますか。
サヤ「100パーセントそうですね。私の母は家ではいつも日本の音楽をかけていて、テレビも日本のものしか観ませんでした。だから、自分が幼い頃に触れるものはすべて日本のもので。それと日本の学校に通っていたので、J-POPの影響も受けています。日本の音楽って、フュージョンというか、メタルやロック、ファンクの影響が融合しているでしょう。いろいろなものが一つに盛り込まれていて、全体がひとつになっているところは、私の音楽についても言える特徴だと思う。何かひとつの影響を受けている、というのではなくてね。それと父は、オペラ歌手の宮本さん――フルネームは忘れてしまったけど、彼女と一緒に日本中をツアーしていたこともあるんです」
――グレーさんはご両親が長年アートや音楽に携われてきた方で、自身も幼い頃からさまざまなアートや音楽に触れてこられたと思いますが、そうした環境から影響を受けたことのなかで一番大きかったこと、これは重要だったと思うことを挙げるとするなら、それは何でしょうか?
サヤ「私の母は、RCM(Royal Conservatory Music)という音楽メソッドに基づいた、とても厳格なクラシック・ミュージックを教えていて、彼女は独自の音楽のストラクチャーを大事にしているひとでした。対して、父はビバップのジャズ・ミュージシャン(※エラ・フィッツジェラルド、アレサ・フランクリン、トニー・ベネットなどのために演奏してきた熟練のトランペット奏者、作曲家、プロデューサー)で。なので、一方で規則に基づいた約束事があり、一方で完全な自由があるという、その両極端の性格の影響を受けていると思う。“これだけは守らなければならない”というものと、“これだけはやめておこう”というものの両方があった。そして私自身、今は即興で演奏しています。だから、母の厳しさと父のゆるさ、それとクラシックやジャズなどの音楽が私を形作っている。日本の文化よりも、トロントにいたことよりも、そうした正反対のものがある環境に育ったことが何よりも大きかったし、そのことに一番影響を受けていると思います」
――たとえばプロのミュージシャンとして活動するにあたって。ご両親からアドバイスとか何かいただいたものはありましたか。
サヤ「私の母はかなりの反骨精神の持ち主で、彼女は何でも自分でやってきました。父もそうですが、上司に仕えたことがないタイプというか、誰のためにも働かない、そしていつも自分たちのことは自分たちでやるという、常に自立しているひとたちで。だから、特別何かアドバイスをくれたということはなかったけど、ただ、そうした両親の姿を見てきて育ったんです、私は。かれらはやりたいことを何でもやってきて、そんなふたりを見ていて影響されたということはあると思う」
――へえ。
サヤ「私の母は、どんなことであれ私をいつも後押ししてくれました。彼女は達観しているようなところがあって、だから家でも、やるんだったら100パーセントか、やる気がなければまったく何もしないか、そういう感じでした。ただ、それはアドバイスというものではなかった。それに、そもそも私は聞く耳を持たないことを知っているので、かれらはアドバイスをしてこないんです(笑)」
――グレーさんは2歳でピアノを始めて、それ以降もいろいろな楽器を習い、世界中で演奏を重ねてこられたわけですが、自分で曲作りを始めたのはいつ頃ですか。
サヤ「5歳か6歳ぐらいです。楽器を習うのと同じような感じですぐに始めて」
――それは歌詞とヴォーカルをのせたものですか。
サヤ「そういうのを始めたのは13歳かそこらだったと思う。詩を書いたのがきっかけで、それを音楽にしました。初めはピアノやギターでアコースティックなものをたくさん書いていて。それで14歳の頃、コンピュータを手にするとすぐにGaragebandでレコーディングを始めました。それ以来、そのやり方が今も変わらない自分のフォーマットになっています」
――自分で曲を作り始めたのは、どこかで発表したり誰かに聴かせるために? それとも、自分のために曲作りを始めた?
サヤ「完全に自分のためだけのものでした。というのも、私が住んでいた家は、つねに14人から20人の学生がリサイタルやパフォーマンスのための練習をしているような環境だったので、家のなかで流れている音楽が完全なクラシックかジャズかっていう感じで。なので、そうではない、そういうものに縛られない自分の世界に入り込むための音楽を持つ必要があったんです」
――そうして幼い頃からたくさんの音楽に触れてきたなかで、サヤ・グレーというアーティストを形成する上でもっとも影響や刺激を受けたアーティストを挙げるとするなら、誰になりますか。
サヤ「答えるのが難しいけど、アリス・コルトレーンのようなスピリチュアル・ジャズを聴かされたことは大きかったかな。あとはニルヴァーナみたいなパンクだったり、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとか。そうした全然違うものが一緒になった感じが自分であり、自分のサウンドだと思う」
――ちなみに、リアルタイムで聴いていたアーティストでいうとどうですか。いま挙げてくれたアーティストはグレーさんの世代的に上のような感じがするので。
サヤ「いや、うーん、自分って、中身が100歳くらいの人間なんで(笑)。実際、10歳の時に『50歳みたいだね』って言われることがあって。だからソウル自体はとても歳をとっているんです(笑)」
――音楽の趣味的にマセた子供だった?(笑)
サヤ「冗談じゃなくて、本当にそう。私の友達はみんな60歳くらいで、年上ばかりなんです(笑)。だから本当にマセていたし、かなり変わっていたと思う」
――今年の夏にリリースされたデビュー・アルバム『19 MASTERS』は多くの反響を呼びましたが、ご自身としてはどのような手応えを感じていらっしゃいますか。
サヤ「結局一人でやることになったので、自分への信頼が生まれたのだと思います。面白いことに、私が一緒に仕事をしたいと思ったひとたちは、みんなこれに触れたがらなかった。私がやっていることは、他の誰にも影響されるべきでないという想いがあったんだと思う。だから、エンジニアリングやミキシングのやり方、ストラクチャーの作り方など、すべてを学ばなければならなかった。プロデュースの方法は知っていましたが、完成まで持っていく過程、最初の楽器のレコーディングから最後の仕上げるところまでの方法は知らなくて。だから、すべてを早く学ばなければならなかった」
――なるほど。
サヤ「実際に自分にはどれだけのことができるのか、あるいはできないのか、それを知ることは得難い経験です。そして、たとえそれが自分の能力からかけ離れたものであったとしても、とにかく始めてみれば必ずできるようになる。それが、このアルバムから得た最大の成果でした。そもそもアルバムをセルフ・プロデュースしようとは思っていなかったんです。いつも誰かと一緒に仕事をしようと思っていたし、私の友人には素晴らしいプロデューサーがたくさんいます。けれどみんな『自分でやるしかない、あなたならできる』って言ってきて。最初は『どうやって?』という感じだったけど、結果的にはとてもよかったです」
――アルバムを聴かせていただいて、なかでもピアノやストリングス、ギターといったアコースティック楽器の音色に耳を引かれました。そうした楽器のオーガニックでやわらかな音の響きが、ジャンルレスに混じり合ったサウンドを結びつけ、あるいは痛みや孤独、不安といった自分のなかにあるダークな部分と向き合った歌詞の内容を優しく包み込んでいるような印象を受けたのですが。
サヤ「正直なところ、音楽を作るときはまったくの無心でした。このときばかりは、頭の中が真っ白で。楽器をどう重ねるか、ベースをどう操作してギターのように聴かせるか、といったテクスチャーについて、言葉を必要とするまでもなく自分のなかで掴めた感覚がアルバムを作っている時にはあって。自分の感情を表現するために、時には多くを語る必要はないのかもしれない。今にして思えば、あのアルバムを作ったときは何も考えず、意識の流れに身を任せていたようなものだった。でも、それがよかったんだと思う。逆に、今は自分がやっていることについて、より意識的に、意図的に臨んでいるという感覚がある。だって、今は自分のチームがあるし、当時の私にはマネージャーも誰もいなかった。あのアルバムを作った時は、まさに『ただ進むだけ』だったんです」
―― 一方、アルバムからはスペインのフラメンコやブラジルのボサノヴァ、ジャマイカのレゲエ、ニューオリンズのドラムラインなど、音楽にのせてさまざまな文化や歴史の息吹も感じられます。
サヤ「そこは、私の演奏家としてのバックグラウンドが生かされているんだと思う。私が一緒に演奏してきたアーティストや、父が一緒に演奏してきたアーティスト、そして私の兄もそうです。私は若くして世界中を旅することができ、ニューオリンズのEssence Music Festival(※主にアフリカ系アメリカ人の女性を対象とした雑誌「Essence」の 25 周年を祝うイベントとして1995 年に始まった音楽祭。アメリカで最大のアフリカ系アメリカ人の文化と音楽のイベントとして知られる)やさまざまな場所で開催されるフェスティバルに参加することができました。私の音楽からさまざまなジャンルやカルチャーが感じられるのは、そうしたバックグラウンドの影響があるのは間違いないと思う。実際、これまでストレートなポップスも含めていろいろなジャンルの音楽を演奏してきました。そういうところからきているんだと思います」
――“TOOO LOUD!”という曲では、日本語によるモノローグ、ポエトリーが使われていますね。
サヤ「私は毎日、友人のクレア・ウチマが運営するアラントン聖地(Allanton Peace Sanctuary)で祈りを行なっていて。クレアは素晴らしいひとで、私の親友の一人です。彼女がこの、半分が“祈り”で半分が“詩”のようなポエトリーを作りました。そして私はそれを聞いて、大切にしたいと思ったんです。スピリチュアリティは、私という人間の大きな部分を占めていて。だから彼女と一緒にやりたいと思ったんです。彼女がこの詩を思いついたとき、私にとって特別なものだと感じたので、それを曲につけました。詩を朗読しているのは彼女なんです」
――そういえば、先ほどの好きな日本の音楽やカルチャーのリストで、宇多田ヒカルさんの名前も挙げていましたね。ちなみに、今年のコーチェラで行われた88risingのステージでの宇多田さんパフォーマンスはご覧になりましたか。
サヤ「いえ、私はふだんオフラインで過ごしている人間なので、誰かが教えてくれないと世のなかで何が起こっているのかわからないんです。何かあったら教えてください(笑)」
――今年一年、個人的にアジアにルーツをもつ女性のアーティストに話を聞く機会が重なって。あなたと同じ〈Dirty Hit〉に所属するビーバドゥービーとか、ジャパニーズ・ブレックファストとか。で、そこで彼女たちが、ここ数年世界の音楽シーンのなかでアジア系のミュージシャンが注目を集めていることについて、そうした状況を歓迎している反面、そういったルーツやバックボーンだけにスポットが当てられ、ある種の役回りを期待されたり、ステレオタイプな見方をされることに窮屈さを感じる、と話していたのが印象的で。
サヤ「ほんとそう。というか、『19 MASTERS』のヴィジュアルはまさにそうした状況を象徴しているんです。あのジャケットのパッケージは、餃子の包み紙を撮影したもので。つまりこのパッケージは、私がミュージシャンとして採用されるとき、“アジア人である”ことがまず評価され、それが理由で採用されることが多かったことを表している。過去にはイギリスのアーティストのために、文字通りアニメのキャラクターのコスプレを頼まれることもありました。同じ業界の私の友人たちも、『女子高生のような格好をしてほしい』と言われたりとか、とても似たような経験をする人が多いんです。それはとても暗鬱とした気持ちにさせることで、自分から声を上げない限り、いまだに起こっていることなんです。“アジアのアーティスト”というのは、やはりいまだに目新しい存在なのだと思う。自分もこうしてカナダからやってきて、アメリカを回っていると、やはり異国の文化なのだと感じる。多くの人々にとって、アジアの文化に触れる機会がまだ少ないんです。だからアジアのアーティストにとって、自分たちのルーツを表現し、あるいはそのルーツに触れることは重要だと思います。『19 MASTERS』のイートイン・パッケージのヴィジュアルは、そうした私の経験をとてもよく表していると思う」
photography Satomi Yamauchi(IG)
text Junnosuke Amai(TW)
Saya Gray
『19 MASTERS』
Now On Sale
(Dirty Hit)
<トラックリスト>
1.1/19
2.I FOUND A FLOORBOARD UNDER THE SOIL!
3.CERVICAL CEDRIC
4.SAVING GRACE
5.WISH U PICKED ME…
6.EMPATHY 4 BETHANY
7.GREEB APPLE (EVERY NIGHT I RIDE NIGHT MARES)
8.2019 WAS AN EMPTY CARB
9.9/19
10.TOOO LOUD!
11.11/19
12.N’SUFFICIENT FUNDS (THIS SONGS SOUNDS LIKE MY WINTER)
13.SADNESS RESIDUE (ERASER ROOM)
14.S.H.T (silent hot tears / send hot tempura)
15.PAP TEST
16.LITTLE PALM
17.SEEDLESS FRUIT(S OF MY LABOUR)
18.LEECHES ON MY THESIS!
19.IF THERE’S NO SEAT IN THE SKY (WILL YOU FORGIVE ME???)
Saya Gray
カナダ、トロント出身、日本とカナダのハーフというバックグランドを持つマルチインストゥルメンタリスト、シンガー・ソングライター。父親はミュージシャン、サウンドエンジニアとして活躍しアレサ・フランクリン、テンプテーションズ、ジェフ・ベックなどの作品に参加。サヤは2歳でピアノを習い始め、幼少期は兄と一緒にトランペットやピアノ、トロンボーン、サクソフォーンなどなどあらゆる楽器を習得。10代なるとバンド活動を始め、その後セッション・ミュージシャンとして活躍。14歳からジャズ・フェスティバルをはじめジャマイカのペンテコステ教会で演奏し、国際的なアーティストのベーシストや音楽監督として世界中をツアーしました。The 1975やリナ・サワヤマ、ビーバドゥービーなどが所属するレーベル、Dirty Hitと契約すると2022年にデビュー・アルバム『19 MASTERS』をリリース。
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