古書のページに挟まれた、時の迷宮を記した栞
古書ディーラー(店舗を持たずに通信販売で営業している)のエメット・リーは、ロンドンにある古書店が閉店に際して放出した在庫から一冊の詩集を掘りだした。『時ありて』と題され六十五の詩を収め、ただ著者名がE・Lと記されているほかは、出版社名や発行年などの情報はいっさいない。ページのあいだに挟まっていた手紙が、すべてのきっかけだった。
第二次世界大戦のさなかのエジプトで、トムという差出人が友人のベンに宛てた秘密めいた一通。
興味をそそられたエメットは、手紙の内容からトムとベンの来歴を調べはじめる。はじめは細い糸口だったが、何人かの専門家や情報提供者の協力を得ることで、しだいに情報が集まっていく。決定的だったのは、二冊めの『時ありて』の発見だった。その本はパリの古書店の棚にあり、驚いたことに、そこにも手紙が挟まっていたのだ。こちらは、ベンからトムに宛て一九三七年の南京で書いたもので、日本軍による大虐殺の様子が綴られていた。
いくつものピースが組みあわさり、歴史の彼方に浮かびあがるふたりの実像。トムは詩人であり、ベンは科学者である。彼らの足跡は十九世紀から二十世紀を貫いているが、その姿があらわれるときはかならず戦争の影がある。
時間の迷宮でつかのま巡りあい、また離れていく運命。その運命をつなぎとめようとする、古書を媒介した交流。この物語はきわめてビターなロマンスである。そして、語り手のエメットもたんなる傍観者にとどまらず、迷宮のなかへ深く足を踏みいっていくのだ。
(牧眞司)
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