人々のあたたかさと「日常」を描く旅〜小林眞理子『タイのひとびと』
観光地をめぐり、通り過ぎるような旅も楽しいが、一つの場所に留まって、日常を覗くような旅が私は好きだ。それはもしかすると書店員だった頃に、支店の立ち上げのために出張し、国内のさまざまな地域で過ごした経験から来ているのかもしれない。短くても数日、長ければ3週間にも及んだそれは、地元の人と知り合い、気に入ったお店を見つけるのに十分な時間だった。海外へ一人旅をする時も同様で、本屋を覗きスーパーで買い物をし、街中をただひたすら歩くのが楽しかった。
そんな気持ちを思い出したのは、本作で描かれる旅があまりにも「日常」だったからだろう。イラストレーターとして働く著者は、タイの各地でiPadを片手にノマドワークをしていたという。帰国するたび、現地で体験した面白い話を友人に話してみるも、タイの魅力を伝えきれた気がしない。しかしマンガという形にすれば「現場の背景も、タイのひとたちのあたたかさも、絵にして伝えられる!」と気づいた著者は、コミックエッセイを執筆。SNS上で発表し、後日WEBマガジン「WANI BOOKS NewsCrunch」にも連載され、今回の刊行へとつながった。版面は二色カラーで、すっきりとした絵柄も相まって読みやすい。
著者が滞在先にタイを選んだきっかけは、今のところ描かれていない。だが、タイとそこに住む人々にどっぷりハマった理由は、そこかしこから十分に読み取れる。たとえばある日の食堂で、メニューがまったく読めず、隣のテーブルに出ている料理を指して注文した時の店員さんの反応。屋台で買ったザクロジュースの美味しさに感動し、日本語で御礼を伝えたところ、「ありがとう」のひと言がなぜかツボった店員さんの笑顔。いずれのエピソードも微笑ましく、著者の驚きと喜びがまっすぐに伝わってくる。
タイの「ふつう」を切り取るのもうまい。人々は仏教への信仰が厚く、殺生を嫌う。だから蚊を避ける時も線香は使わず、別のもので代替する。また、誕生日を用いた曜日占いが知れ渡っていて、周囲の人が何曜日生まれなのかを知っているのが常識といった話もあり、文化の違いを実感した(つい気になって、その後自分の曜日を検索してしまった)。
著者のどんぐりまなこに映るタイは、やさしさに満ちている。言葉や作法がわからずビビりながらも、翻訳ソフトやガイドブックに頼ることなく、自身の勘で挑み続ける著者はどこか眩しく見える。もしかするとこの感覚は、RPG(ロールプレイングゲーム)の勇者を見守るのと似ているかもしれない。コロナ禍で中断された旅は、ようやく再開された。その冒険の先に何があるのか。今後の更新も楽しみにしている。
(田中香織)
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