エルビラ・ナバロ『兎の島』に感覚を乗っ取られる

エルビラ・ナバロ『兎の島』に感覚を乗っ取られる

 現実がいつも不安と恐怖に侵食されている、という人へ。

 エルビラ・ナバロ『兎の島』(国書刊行会)は、1978年生まれのスペイン作家初の短篇集だ。訳者あとがきによればナバロのデビュー作は2004年にマドリード市若手作家コンクールで最優秀賞を獲得した短篇「贖罪」(本書未収録)で、2007年に初長篇『冬の街』を出版し、以降スペイン語圏でも注目される存在になっているという。

『兎の島』には十一篇が収録されている。表題作は小舟で島に渡って一人の時間を楽しむのが好きな男の話だ。「グアダルキビル川にできた小さな染みのような」その島に渡った男は、隙間なくテントを張ったはずなのに、寝ている間に体中を虫にたかられて慌てるようなこともありながら、島で過ごす時間を楽しむようになっていく。ただし不快なことがあった。島には正体不明の鳥が何千羽も棲みついていたのだ。枝に居場所を見つけようとして彼らが大騒ぎする声が残響となって、島にいる間は不快な唸りが耳から消えない。考えあぐねた末に男は、二十羽の兎を購入する。兎たちに鳥を追い出させようというのだ。

 外見は可愛いが、兎は気性の荒い動物だ。また、繁殖力も強い。飼い主が放置したせいで異常に増えてしまい、動物保護団体が対策に乗り出した、という報道を見たことがある方も多いだろう。ここで描かれるのはそうした兎の姿である。兎たちが島を埋め尽くし、男は自らもその一員なのではないかという錯覚に駆られるようになる。最後の一文で描かれる情景は夢のように美しいが、同時に吐き気がするほど醜くもある。

「兎の島」の主人公は似非発明家である。いかさまな発明品を他人に売りつける男、ではない。男は「すでにあるものを一から作るのに何が必要か、自分で見つける」。仕様書やマニュアルをいっさい使わずに物を作り上げるので、自分を発明家と見做しているのである。一見奇矯な設定のようだが、そうした人間だからこそ、島に兎を連れてくることを思いつくのだろう。この場合は思考法の問題だが、存在そのものが奇異な者も本書には登場する。

 題名からしてすでに興味をそそられずにはいられない「冥界様式建築に関する覚書」は、主人公の〈彼〉と年の離れた兄の物語だ。語り手が幼いころ、兄は時たま家に戻ってきてプレゼントをくれるサンタクロースのような存在だった。どうやら精神の疾患が原因であるらしい。〈彼〉は長じて大学の建築科に入る。建物の写生をする課題を与えられた〈彼〉は、病院にいるはずの兄が、足繁く教会に出入りしていることに気づき、監視を始めるのである。課題もやらなければならないが、兄も気になるではないか。仕方なくその場で写生を続けることにするが「まるで教会が勝手に移動して、その輪郭をとらえさせまいとするかのよう」なあやふやさを建物が備えていることを〈彼〉は知る。

「後戻り」は街の情景が強く印象に残る一篇だ。夜明けに首のない鳥が現れるという都市伝説のある森〈ラ・カラベラ(しゃれこうべ)〉、海に続く悪臭芬々たる排水路で二分された古い街区〈エル・カナル〉。語り手の〈彼女〉は少女時代のある日、友人のタマラに連れられて彼女のイアイア(ばあちゃん)を訪ねる。エル・カナルにある家を訪ね、中に入って〈彼女〉は仰天する。おばあちゃんが宙に浮いていたのだ。その足にはたっぷりと脂肪がついて「床から見上げると、垂れ下がった肉しか見えなかった」。その体験が元で〈彼女〉はタマラと仲違いをしてしまい、六年もの間口もきかない関係になってしまう。

 各篇には実在感のある日常と、それを歪ませる特異点が描かれる。その特異点は日常から隔絶しているように見えるが、根底のところではおそらくつながっている。拠って立つ大地を割って顔を出す混沌とでも言うべきか。人々が普段意識下に押し込めているくろぐろとしたものが雌伏の果てに結晶化し、異常な形をとって現れたようにも見えてくる。「ストリキニーネ」は女性の心の中に生まれた不安の物語だ。〈彼女〉の耳には第三の肢が生えていて、それが次第に大きくなっていく。しまいには隠し通すことができなくなり、〈彼女〉は首に巻くスカーフを買おうとする。物語の初めに彼女が「赤の他人であるかのように、三人称で語るつもりでいる」と宣言するのは非常に示唆的だ。作家が自らの中に生成されるものを外科手術の正確さで取り出し、客観的に観察することで本編の収録作は成り立っているように思えるからだ。

「ストリキニーネ」は最後の一行が実に印象的である。そこまで気怠く語られてきた小説が、一気に速くなる。このように叙述形式にも技巧が凝らされた短篇集であり、「ミオトラグス」という短篇では断絶に驚かされる。レストランでカップルがロースト肉を食べるが、女性のほうが「これ、子山羊じゃない」と言い出す。二人はおそらくそれほど長い付き合いではないのである。ウェイターは、それは間違いなく子山羊肉だと保証するが彼女は聞き入れず、持って帰ってしかるべき検査をする、と言い出す。気まずい雰囲気になっただろう。彼女は「一人でいる時間があまりに長すぎた」「だからぴりぴりしてしまって」と打ち明ける。神経質な恋人の話かと思いきや、次の行からとんでもないことを作者は語り始める。「子山羊じゃない」問題とその語りがどう結びつくのかは読んでご確認いただきたい。恐ろしく長い時間の先で、二つの話は交錯する。

 夜の情景が不安を掻き立て、まるでこの世の果てにいるような気持ちにさせられる「ヘラルドの手紙」は、収録された中でもっとも幻想的な要素が少ない一篇だ。ここでは支配的な男から逃れたいと考える女性の潜在意識が耐え難いホテルの情景として描かれる。「歯茎」はその延長線上にあるような一篇で、正式な結婚をするかどうかを棚上げした二人が、もうその話をしたくないという理由で偽結婚式を挙げ、カナリヤ諸島のランサローテ島でバカンスを過ごす。その過程で男の体に異変が起き、生じた変化に女は悩まされる。軟体動物の臭いや感触が効果的に用いられ、読者は文章によって生理的感覚を操作されるのである。

 一口で言えば、全身を使って読む小説だ。『兎の島』を片手間に読むことはあまりお勧めできない。読めば小説に感覚を乗っ取られるからである。人によっては嗅覚までも変化してしまうのではないか。小説の文章が持つ恐ろしさをひさびさに思い知らされた。

(杉江松恋)

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