“異なる存在”の孤独を綴る〜君嶋彼方『夜がうたた寝してる間に』
デビュー作『君の顔では泣けない』で、突然体が入れ替わってしまった高校生の男女の15年の軌跡を描いてみせた新進気鋭の作家・君嶋彼方。2作目となる本書においても、自分ではどうしようもない状況に置かれた者の孤独を鮮やかに綴っている。
主人公・冴木旭は高校2年生。子どもっぽい榎本芳樹やスポーツマン”風”の毛利智英、すべてに抜きん出て「王子」と呼ばれる幼なじみの赤崎天などの友人たちに囲まれ、充実した高校生活を送っている。そんな旭がどうしても憂鬱な気分になるのが、土曜4時間目のロングホームルーム。その1時間だけは、自分が他の生徒たちとは異なる存在だと思い知らされてしまうから。
ロングホームルームを別教室で受けなければならないのは、旭が「特殊能力保持者(能力者)」であることが理由だ。旭と篠宮灯里と我妻蒼馬、学校内の能力者の生徒3人は、全員2年生。違うクラスの彼らがひとつの教室に集められるのは、「この学校へ在籍するための義務」なのである。
全世界の能力者の割合は、「およそ一万人に一人」。所持している能力は、個人によって異なっている。例えば旭は「時間を停止させることができる」し、篠宮は「人の心の中を読むことができる」。ちなみに、彼らのロングホームルームを担当する岡先生も能力者で、「周りの能力者の力を封じ込めることができる」。能力は、生まれつき備わっている場合もあるし、後天性の場合もある(急に失われることもある)。旭と篠宮は前者、我妻は後者だ。旭の能力は、父から受け継がれたもの。
能力者が生きていくうえで、「能力を持たない一般の人々とできるだけ変わらぬ生活ができるよう支援されている」ということになってはいる。しかし、能力者に明らかな敵意を示す者も少なくない。ひとたび何か通常と変わったことが起きれば、”能力者のしわざなのではないか”と疑念を向けられがちなことも事実だ。能力者であるなしにかかわらず、大多数の人間は真面目にやっていて、中にごくわずか犯罪に手を染めるような輩もいるというだけの話だというのに。
主な住人が能力者と能力者の家族に限られた区域、すなわち「特別支援地区(特地区)」というものが、国内の一定の地域にいくつか存在している。前述のような事情もあるので、特地区に住めば一般の人々との間に生じるリスクを減らせると期待されているのだ。能力者が18歳になると、特地区に行くかどうかの決定権は保護者ではなく本人に与えられるようになる。しかし旭は、「特地区なんて、普通の環境でうまく生きていけなかった奴らが集まる場所だ。俺はそんな負け犬なんかにはならない」と考えていた。自分は誰とでも話ができて、友だちも多くて、人間関係においても何の問題もないのだと。しかし、ある日事件は起きた。2年生の机だけが、教室の窓から投げ捨てられていた。能力者の生徒が3人とも在籍する、2年生の机だけが。
相手の立場に立って考える。それって、「言うは易く行うは難し」の見本のような行為ではないだろうか。篠宮でさえ、「人間の感情って一方通行なわけじゃないし、結構複雑でわけ分かんないもんだよ」と言うほどに、他者の心中を推しはかることは難しい。誰かの心のうちを完全にわかることなど不可能なのだ、私たちはこんなにもひとりひとり違っているのだから。だけど、だからといって相手を理解しようとすることをやめてしまったら? 理解し合えないどころか、心理的な距離は離れていってしまう一方だろう。能力があろうがなかろうが、相手が誰であろうが、わかりたいという気持ちがなければ何も始まらないのだ。
旭が抱えていたのは例えば、篠宮や我妻に対して能力者であるがゆえに踏み込めずにいた戸惑い。「普通の人」である友だちに抱く複雑な思い。能力者の父への反発と、能力者でない母親への苛立ち。周りを大切に思えば思うほどそうした感情でがんじがらめになるけれど、相手の心に近づこうとするなら勇気を出すしかないということを、旭に教えられた。結局みんな一人ぼっちなんだよ。それでも、一人ぼっち同士で一緒に進んでいこうよ。
(松井ゆかり)
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