創元SF短編賞受賞作を含むアンソロジー
東京創元社編集部によるオリジナル・アンソロジー《Genesis》の第五巻。収録されているのは六作品。
トップバッターの八島游舷「応信せよ尊勝寺」は、第九回創元SF短編賞受賞作「天駆せよ法勝寺」とおなじシリーズ。執筆中の『天駆せよ法勝寺[長編版]』の序章をなし、佛教と物理を止揚した佛理学が社会の基礎をなす未来を舞台として、巨大塔の宇宙駆動実験の顛末を描く。[法珠とは、因陀羅網(いんだらもう)と結縁(けちえん)し、情報の処理・通信・表示・操作を行う球形の佛理機器である。五色(ごしき)に瞬くそれらは、摩尼機関や検知機器の動作状態、温度、佛子密度、祈念炉の結佛(けつぶつ)状態などを忙しく知らせ、作業僧たちの顔にその色が照り映えている]といった、独自の語法が繰りだされ、濃厚な雰囲気を醸す。
つづく宮澤伊織「ときときチャンネル#3【家の外なくしてみた】」は、天才科学者の超発明を動画配信するシリーズ《ときときチャンネル》第三話。こんかいのガジェットは、空間が自動生成される家だ。事態がどんどん収拾つかない方向へころがっていき、視聴者からのリアルタイムのツッコミが入る。軽快なユーモア作品。
菊石まれほ「この光が落ちないように」は、〈タイジュ〉に守られた〈階層〉での物語。視点人物は、頭に角を持つ〈トマリギ〉のイカルだ。火が存在しないはずの〈階層〉で突然の火災が発生し、運命の歯車が激しく動きだす。イカルの知識がきわめて限定されているため、読者は世界の成り立ちそのものがわからない。秘められた歴史と人類がおかれた状況の謎が明らかになっていく過程がスリリング。
水見稜「星から来た宴」は、土星の衛星タイタンで、外宇宙からの信号を観測しつづける主人公レネとその同僚サリナの物語だ。この時代、地球は度重なる自然災害とそれに起因する経済崩壊、社会不安によって疲弊していた。そのため、宇宙観測にかけられるリソースも限定されている。孤絶した環境でレネは考える。知的生命体からシグナルが届くとしたら、それは論理や科学を記述する言葉ではなく、音楽のようなものではないか。彼自身はギターを弾き、サリナはバイオリン奏者だ。ここにはほかに、パートナー犬のショーン、レネのAIバディである陳老師(囲碁の名手)、サリナのAIバディであるファッツ(ダンスが好きなラテン系中年)がいる。それぞれのキャラクターを対照しながら、音楽の普遍的な意味を探っていく。静かな余韻が印象的な一篇。
空木春宵「さよならも言えない」は、いかに適切な衣装を選ぶかがスコア化され、それが個人の信用につながる星系〈アマテラス〉が舞台。社会システムを司る〈服飾局〉に勤務するミドリは、ある日、クラブでとてつもない低スコアの娘ジェリーに遭遇する。本人はまったく恥じる様子もないのだ。ジェリーの存在は、ミドリの信念「人は何よりもまず装いによって作られる」を根本から揺るがす。ふたりを中心とした生々しい人間関係を通じて、多様性の問題、個人が個人であることの意味が前景化される。
巻末に置かれた笹原千波「風になるにはまだ」は、第十三回創元SF短編賞受賞作品。選考経過および選評が付されている(選考委員は山田正紀、酉島伝法、小浜徹也の三氏)。
物語の舞台は、仮想世界へのデジタル移民が実現している近未来。「あたし」(二十歳、大学生)はアルバイトで、情報人格の楢山小春(四十二歳、アパレルデザイナー)に肉体感覚を貸す。小春は受動的に「あたし」のすることを感じるだけで、肉体を自由にできるわけでない。仮想世界にも風景・生活・感覚はあるが、小春はそのテクスチャに不満を感じていた。物語のさまざまな局面で身体性と現実についてふれられているのが興味深い。「あたし」と小春の語りが交互になる構成も効果的だ。
さて、アンソロジーとしての《Genesis》はこれが最終巻となる。今後は雑誌〈紙魚の手帖〉のSF特集号(年一回)というかたちで継続する由。創元SF短編賞もそちらが受け皿になるらしい。
(牧眞司)
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