圧倒的占領軍に立ちむかう、わずか六人と超兵器
アメリカSF黄金期を支えた巨匠ハインラインの、初期長篇としては唯一これまで未訳だった作品。
アメリカ合衆国は、圧倒的な軍事力を有するパンアジア帝国(日本と中国を中心に形成された独裁国家)の前に膝を屈した。ワシントンは完全に破壊、マンハッタンは廃墟と化し、いまや残っているアメリカ軍はロッキー山脈の隠された要塞にいる六人の専門家だけだった。一縷の希望は、要塞で開発中だった超兵器である。しかし、数百万にもおよぶ占領軍に対し、たった六人でどうやって反撃しようというのか?
東洋人が西洋世界に仇をなすという黄禍論(イエロー・ペリル)は古くからある人種差別的発想だが、本書は、それをSFのシチュエーションに移植したものだ。ハインラインはパンアジア帝国の占領が終わったところから語りはじめ、抵抗と独立の物語に仕立てている。作品構造としては、代表作『月は無慈悲な夜の女王』に似たところがあるが、ずっと荒削りだ。それもそのはず。『月は~』は1965年に雑紙連載され、66年に単行本刊行。本書はそれに先立つこと四半世紀近く前の1941年に雑誌連載、単行本化されたのは49年である。
もともとは掲載誌〈アスタウンディング〉の編集長ジョン・W・キャンベルが自作用に温めていたアウトラインがあり、それを有望な新人作家ハインラインに託した。そのあたりの経緯は、本書巻末の解説で高橋良平さんが詳しく紹介している。一部を引用しよう。
ハインラインは、その”イエロー・ペリル”物語を”Six Against the Empire”と題し、キャンベルのアウトラインを残したまま、人種差別的問題を社会学用語を使って文化的差異の問題にシフトさせ、二世の登場人物を非劇的・英雄的に描きもした。
引用文中にある二世の登場人物とは、パンアジア人とアメリカ人のどちらの血も継いだキャラクターだ。彼はどちらの側からも偏見を受ける。また、”Six Against the Empire”は執筆中の題名であり、脱稿後に”Sixth Column”と解題された。雑誌掲載も初刊単行本もこちらの題名である。
高橋さんが指摘する「文化的差異の問題にシフト」に加え、ハインラインらしい工夫は主人公アードモア少佐を広告業界の出身者としたところだ。つまり、アメリカのパンアジア帝国に対する反撃の要点は、超兵器の威力そのものよりも、マスとしての人間(敵も味方も)をいかに誘導するかにある。また、少佐の右手として活躍するトーマス二等兵は、法曹界から社会行政の仕事を経て、放浪者(ホーボー)の生活に入った異色の人物。放浪者としての経験やネットワークが、諜報活動に発揮される。こうしたキャラクターの立てかたは、さすがハインラインだ。
いっぽう、「文化的差異の問題」が逆に「人種差別的問題」へとシフトしてしまう危うさも、この作品は含んでいる。エンターテインメントとして読み流すだけではおわらない、物議を喚起する一冊。
(牧眞司)
- ガジェット通信編集部への情報提供はこちら
- 記事内の筆者見解は明示のない限りガジェット通信を代表するものではありません。