戦後世界に刺さったまま抜けない原爆
柞刈湯葉はウェブ発の『横浜駅SF』が注目され、メジャーデビューを果たしたライジングスターである。これまで順調に作品を送りだしており、本書は『人間たちの話』(書評はこちらhttps://www.webdoku.jp/newshz/maki/2020/04/28/104611.html)につづく二冊目の短篇集だ。短めの作品が多く、全十四編を収録。
この作家の持ち味は、ある種のネットカルチャー特有の少し引いた視点と、ときに悪ノリ気味まで振れる理屈の重ねかたである。ただし作者はあくまでクレバーで、ストーリーテリングに危なげはない。
表題作「まず牛を球とします。」は、培養肉の製法やその文化的な意味を蘊蓄たっぷりに語っていくが、途中でいきなり奇妙なファーストコンタクト(侵略と言えるかどうかは微妙だ)が起こり、物語がシフトチェンジする。培養肉のエピソードとエイリアンのエピソードは当初、関係がない。しかし、両者がつながっていくなか(その結びつけかたが非常に巧い)、生命倫理や人間性の根拠というテーマが浮き彫りになる。
この短篇集への書き下ろしがふたつ。
ひとつは「令和二年の箱男」。その題名から察せられるとおり、安部公房『箱男』を現代のシチュエーションで扱った作品だ。パロディではなく、シリアスなアプローチがある。主人公は引きこもりのエンジニア。まず、直方体のアバターによるバーチャル箱男を動画サイトに投稿する。反響はほとんどない。しばらくして通販品が送られてきたダンボール箱を見て、「ぼくの身体だ」と直感する。リアルな箱男の誕生だ。そこから先の展開に大きなひねりがある。町を箱男になって歩いた姿が、だれかに撮影されそれがネットにアップされたのだ。それによって、主人公の心にいままでと違った感情が生まれる……。ネット文化を背景にしながら、テーマ面では元の安部公房作品と共通する境地まで踏みこんでいく。
もうひとつの書き下ろし作品「沈黙のリトルボーイ」は、広島に投下された原爆が不発におわった”もうひとつの戦後”を描く。長崎の原爆は計画通りに市街を壊滅させ、日本は無条件降伏をした。悩ましいのは、広島の建物に刺さったままの不発原爆だ。処理に派遣された主人公(マンハッタン計画からかかわっていたアメリカの科学者)は、こう考える。
ほんの二週間前には、この小さな爆弾が、戦争を終わらせる救世主だった。
それが今や、戦後の秩序を揺るがしかねない忌み子と化している。
淡々とした情景のなかにかすかな狂気をにじませる物語は、予想を超えた皮肉な結末へいたる。
作者があとがきのかわりに書いたエッセイ「新タマネギの不在を乗り越えるために」で、すべての作品にコメントを付している。楽屋話的でなかなか楽しい。
(牧眞司)
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