「竜頭蛇尾」とはどんな意味の四字熟語?その成り立ちや「画竜点睛」との違いは?

最初は勢いがあるのに次第にその勢いが衰え、最後は振るわなくなることを「竜頭蛇尾」と表現することがあります。
これは文字通り、龍の頭と蛇の尾の姿を形容した言葉となっています。に
ここでは「竜頭蛇尾」という言葉について、その意味や用い方、雰囲気が似ている「画竜点睛」という言葉との違いについて見ていきましょう。
「竜頭蛇尾」とは
まずは「竜頭蛇尾」がどのような言葉なのかその意味や用い方を見ていきましょう。
「竜頭蛇尾」の意味
「竜頭蛇尾」とは、初めは勢いが良いものの終わりになる頃にはすっかり振るわなくなってしまっていることを意味します。
竜のような立派な頭を最初の勢いに、蛇のように細い尾を衰え振るわなくなった状況に例えた四字熟語です。
前と後との釣り合いが取れないことや、よかったのは最初だけという皮肉で用いられることもあります。
「竜頭蛇尾」の用い方
「竜頭蛇尾」は、最初の勢いとは裏腹に、しょうもない結果を迎えたことを指す時などに用いられます。
そのため、期待外れの結果に終わった際などに使用されます。
類義語は「虎頭蛇尾」や「尻切れとんぼ」
ここからは「竜頭蛇尾」の類義語を見ていきましょう。
類義語としては、「虎頭蛇尾」「尻切れとんぼ」などがあげられます。
虎頭蛇尾
「「虎頭蛇尾」とは、龍の代わりに虎が当てられた形となる語句です。
意味合いは全く変わりません。
古代中国において、龍と虎は勢い盛んなものの象徴とされており、双対を成す存在とされていたからこその語句とも言えます。
尻切れとんぼ
「尻切れとんぼ」とは、物事が中途で終わり、後が続かないことを指します。
その昔、踵の部分が切れたように見える「尻切草履」という草履がありました。
そして、この草履は鼻緒がトンボに似ていたことからのようなので、「とんぼ草履」と呼ばれるようになりました。
この「とんぼ草履」の表現が変化し、「尻切れとんぼ」となり、さらに熟語としても用いられるようになったとされています。
「竜頭蛇尾」の成り立ち

「竜頭蛇尾」はどのようにして生まれた言葉なのでしょうか。
出典は古代中国の仏教書からとも
「竜頭蛇尾」は、古代中国の仏教書「碧巌録」の中の一節から来た言葉です。
「碧巌録」とは全10巻から構成される古代中国の仏教書のことです。
1125年に、宋の雪竇重顕という人物がまとめ、圜悟克勤という人物が注釈などを加えたとされる書物で、臨済宗では最も重要な書のひとつとされています。
「画竜点睛」との違い

最後に同じく龍が入る四字熟語に「画竜点睛」がありますが、意味は全く異なります。
その違いを見ていきましょう。
「画竜点睛」とは
「画竜点睛」とは、物事を完成するために最後に加える大切な仕上げのことを言います。
物事の最も大切な部分を指すこともあります。
「画竜点睛を欠く」という表現がされることもあり、こちらは仕上げが不十分なことを指します。
「画竜点睛」に由来する伝説
その昔、梁の時代に張という絵師がいました。
彼は龍の絵の達人と言われており、安楽寺から依頼を受けて壁に四頭の龍の絵を描きました。
その絵は実に素晴らしく、まるで本物の龍のようで今にも飛び出してきそうな作品でした。
しかし、この龍の絵には、その目には瞳が描かれていませんでした。
なぜ瞳が入っていないのかと人が聞けば、張は「瞳を描き入れると、この龍は空に飛んで行ってしまうからだ」と返していました。
しかし、張の言うことは誰も信じず、寺院側から瞳を入れてくれるように懇願までされました。
そこで、2頭の龍に瞳を付け足すと・・・、張の言う通り龍が空へと飛んでいってしまいました。
そして、そこに残されたのは瞳を付け加えられていない2頭の龍だったのです。
この伝説から、「画竜点睛」という言葉が生まれました。
まとめ
「竜頭蛇尾」は最初は勢いが遭ったのも関わらず、最後にはその勢いがすっかりなくなっていることを例えた言葉です。
最初の勢いだけだったことを揶揄する際にも用いられます。
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