藤巻博士一家の温かな日々〜瀧羽麻子『博士の長靴』

藤巻博士一家の温かな日々〜瀧羽麻子『博士の長靴』

 これはほんとにいい本。まだ読まれていない方は、ぜひお手にとっていただきたい。

 連作短編集である本書のタイトルの「博士」とは、気象学を専門とする藤巻博士のこと。時系列に沿って並べられた物語の冒頭、彼はまだ大学の研究室勤めの三十路手前の若者である。最初の短編「一九五八年 立春」の語り手は、藤巻家の女中であるスミ。通いの仕事を始めて、まだ1週間だ。もとは4人家族だった藤巻家では、一昨年父親が亡くなり、喪が明けた昨秋に娘が嫁いだ。現在は母親と息子のふたり暮らし。母親である「奥様」は、きっちりとしていて少々近寄りがたいところはあるものの、親切で文句のつけようのない雇い主。息子の方にはいまだ対面するチャンスがないままだった。翌日、雨の中をおつかいに出たスミは、自分のすぐ前を歩いていた男が藤巻家の門のところで立ち止まる場面に出くわす。天候はいよいよひどくなっているというのに、その人物は黒い傘を下ろして雨に打たれ始める。ずぶ濡れになった男は再び傘を戻すと、門をくぐり玄関をあけて「ただいま」と言った。

 彼こそ、「坊ちゃま」の昭彦だった。初対面のスミに、坊ちゃまは自分の部屋の窓を拭いてくれた礼を言う。彼の部屋は、本やらノートやらメモやら大きな地球儀やら使い方もわからない器具やらで足の踏み場もない。掃除のしようがないのでせめて窓だけでもきれいにと思ってスミがしたことだったが、坊ちゃまは「やけに空がくっきり見えるなあと思った」と笑顔を見せる。

 さらに半月あまり、坊ちゃまとはまたしばらく顔を合わせる機会がなかったが、奥様とは会話も増えて打ち解けてきたスミ。研究にしか興味がなく、人の心の機微といったものに気を配るのがいまひとつ苦手な息子を、奥様は心配している様子だ。

 本書でとてもいいなと思ったのが、藤巻家では「二十四節気のほぼすべてについて、この日はこれをする、という決まりごとがある」こと。二十四節気は一年を二十四の季節に分けたもので、夏至や秋分などもそう。立春は二十四節気の最初で、お正月のようなもの。すき焼きとお赤飯でお祝いし、お年玉のかわりに家族同士で贈りものをしあってきたという。子どもたちから両親への贈りものを用意していた「お嬢様」が家を出てしまい、「今年は省略かしら」と奥様。それでも立春の食事は支度するとのことで、お祝いの席に誘われたスミは「こういう日は親子水入らずの方が」と固辞するが、「すき焼きなんて、ふたりきりで食べてもおいしくないもの」と改めて引き留められる。早めに帰宅した坊ちゃまは、四角い箱を手にしており…。

 藤巻博士の存在を軸に、昭和から令和の現在に至るまで一冊を通して、登場人物たちが過ごしてきた日々の様子が綴られている。彼は不器用なところはあるものの、決して他者の気持ちがわからないわけではないことも、丁寧に描かれる。特に印象に残ったのは、最終話となる「二〇二二年 立春」。博士とひ孫の心の交流が胸を打つ短編だが、ふたりを取り巻く他の家族たちも素晴らしい。関係がぎくしゃくしているように見えても、自分の気持ちを素直に言葉に表せないときがあっても、心の奥底では相手を思いやっていることってあるよなと胸が熱くなる。誰かが好きなことを続けていけるよう応援する気持ちが、すなわち誰かを尊重することが、当人や周囲の人を心優しくひたむきにさせるものなのかもしれない。飾らない言葉の中にも温かさはあるのだと、藤巻家の家族と彼らを取り巻く人々に教えられた。

(松井ゆかり)

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