傷ついた心が少しずつ回復していく山本幸久『花屋さんが言うことには』

傷ついた心が少しずつ回復していく山本幸久『花屋さんが言うことには』

 花はよいものだ。カレーライスや大谷翔平選手といった人気者であってもアンチは存在するわけだが、花に関しては「嫌い」という人にはいまのところ出会ったことがない。

 とはいえ、当然ではあるけれども、日頃から花のような美しいものに触れていれば悩みもないなどという単純な話でもない。本書の舞台は、東京西部にある鯨沼駅近くの川原崎花店。主人公の君名紀久子が、職場で横行するハラスメントに耐えかねて退職願いを出したのは10日前。それ以来、出勤はしていない。しかし、慰留を目論む課長補佐がわざわざ紀久子の住まいの最寄り駅まで出向いてきたうえ、「いまからきみのアパートにいってもいいかな」などと電話してきた。紀久子はやむなく自宅近所のファミレスに出向くことに。なんとか言いくるめようとしてくる課長補佐を撃退してくれたのが、知り合いの披露宴からの帰りで、白くて大きな花の髪飾りを付けていた外島李多だった。川原崎花店の店長である李多とすぐに意気投合した紀久子は、翌朝飲み過ぎによる軽い頭痛を抱えた状態で目を覚ます。右手の甲には、自分が書いたものではない〈川原崎花店 ヒル一時 リレキショ〉の文字が。「ウチでアルバイトしない?」と李多に誘われたのを、紀久子は思い出す。

 めでたく採用となった川原崎花店では李多の他、190cm近い長身で体格のいい農大研究助手・芳賀泰斗や、元高校国語教師であらゆる時代の短歌や俳句を暗唱できる丸橋光代が働いていた。花屋の仕事は、一般人がイメージするよりもずっと重労働で苦労も多い。光代さんの「花屋さんになりたいですぅ、勉強させてくださぁいとかいう子に限って、さっさとやめちゃうのよ」「要するに花屋という職業に幻想を抱いちゃってるのね。好きな花に囲まれて、華やかで美しい仕事だと勘違いしてるわけ」という言葉には説得力がある。現実を知ったうえでそれでもやってみたいと思える人材こそが、その仕事にほんとうに向いているということだろう。

 紀久子にはもともとグラフィックデザイナーになりたいという夢があり、そのために美大のデザイン科に入学した。新卒時の就活でもデザインの仕事ができそうな事務所を受けたものの全滅。食品会社1社からしか内定を得られず、しかもそこがブラック企業だったのである。2年と2か月足らずで辞めたその職場で上司からかけられる言葉といえば、「罵倒か嫌み、そうでなければ下品なジョーク」という劣悪な状況だった。一方川原崎花店では、花の名前を覚えればほめられるし、仕事の一環として行ったことでも感謝される。花屋は、花を取り扱う仕事であるのはもちろん、人と人とが向き合う接客業でもある。個性的ではあるが親切な店主や同僚やお客たち、デザイナーを目指すきっかけを作ってくれた親友、自分を信頼して見守ってくれる母、謎の人物(?)などなど。時に彼らの苦しみを知って胸を痛めたりもするが、周囲の人々とのふれあいによって傷ついた紀久子の心が少しずつ息を吹き返していく様子に、読んでいるこちらの気持ちも明るくなる。

 花言葉というものがこんなにも充実しているという事実も、本書を読んで初めて知った。花言葉には恋愛にまつわるものや希望を感じさせるものが多いが、意外と後ろ向きだったり怖ろしげだったりするものも目に付く。花に自分の思いを託す。これもまた、花が人々に広く愛されていることの現れではないだろうか(私の知る限り、カレー言葉や大谷翔平言葉といったものは世に出ていない)。

 ラストは、「え~っ、ここで終わってしまうの!?」という感じ。いい結果が出ていれば喜ばしいけれど、そうなると続編は難しい…? いや、そこはなんとか著者の山本幸久さんに腕をふるっていただいて、花とともにある人生の物語をもっと読むことができたらうれしいです!

(松井ゆかり)

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