共感の功罪
今回はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
共感の功罪
「自分がおかしいと思うことは、他の誰かも必ずおかしいと思っている」 2013年04月17日 『BLOGOS』
http://blogos.com/article/60403/
「自分がおかしいと思うことは、他の誰かも必ずおかしいと思っている」と強く伝えたいです。
ウェブをうまく活用すれば、必ず、共感する第三者とつながることができます。その主張や思いや、どれだけ異質のように思えても。
まあ、悪い話ではないんだけどね。ただ考えが中途半端なんだよね。共感するのは結構なんだけど、共感してどうするのか?まで考えないと。
こんなに同じ考えの人がいるんだから、正しいんだと主張するのか、みんなで何が正しいかを考えようというのか、あるいは共感しただけで満足なのか。
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多くの人が同じ事を考えるからと言って、それが正しいとは限らない。「アインシュタインの相対性理論は間違っている!」と主張する人たちがいる。これは結構共感を呼ぶ。なぜって?日常生活では時間の進み方が変わるなんて場面は体験できないので、相対性理論の否定のほうが受け入れやすい。
「実は実験ミスしてたんだよ!」とかそれっぽい理屈をつけて説明すると、「やっぱりそうか!」と思ってしまう人が少なくない。無数にあるけどその一つ、窪田登司の説。
「20世紀最大の事故 相対性理論の謎を解く」窪田 登司 (著) 『amazon』
http://www.amazon.co.jp/dp/4873024641
1993年にNHK出版の雑誌「エレクトロニクスライフ」で発表されるやいなや、大反響を呼んだ。日本で一般の人達が目にする「相対性理論は間違っている」と主張する記事は、これが初めてではなかろうか。それだけに人々に免疫がなく、日本人からすごい学説が発表されたと思い込んだ人もいたように思う。
当時パソコン通信などでも話題になった(インターネットはまだ一般化してなかったので)。疑似科学を列挙したと学会の「トンデモ本の世界」が出版されたのが1995年だからその2年前ですな。
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内容はというと、すごく大雑把に説明すると光の経路をcosθで補正さえすれば、時間の遅れとかわけの分からないものを導入しなくても、シンプルに説明できるという話。
「#6. 窪田氏の主張その2」 『窪田先生と愉快な仲間たち』
http://www.big.or.jp/~isaacrc/superscience/kubota/part6.html
上記は窪田登司に反論しているサイト(つまり「やっぱり相対性理論は正しい」と主張しているサイト)だが、窪田登司の主張の部分だけ読むと「もしかしてそうかも」と思ってしまう。
自分で考えようとする人ほど、引っかかると思う。中途半端に賢い人が一番疑似科学に引っかかりやすい。というか疑似科学というのは、素人にはどこが間違ってるか見破るのは無理。
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ネットが社会の隅々まで普及して、一般の人達同士が意見交換できるようになったのは素晴らしいことだ。しかし反面、騙されやすい素人が「みんなもそう思うよね」と、疑似科学を広めるようになったのは困ったものだ。
でもインターネットはパンドラの箱で、もう閉じるわけにはいかない。素人同士が「俺もそう思う」「俺もだ」と徒党を組むのを防ぐことはできないし、防ぐべきでもないと思う。
ただ「ではどうすればいいのか?」が問題。相対性理論など例に挙げなくても天動説で十分かもしれない。多くの人は天動説が正しいと思うと思う。自分が立っている大地が猛スピードで動いているなんて、直感的には受け入れるのは無理だろう。
それはむしろ日常生活から離れた専門家の研究によって、「どうしてもそう考えなければ辻褄が合わない」と導き出されたこと。直感に反するのは百も承知なのだ。
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やっぱ共感することではなく、「考える」ことが大事だと思うのだよね。そうでないと真理に辿りつけない。ここまで語ってきたのは自然科学のことだけど、社会規範にも同じ事が言えることが多い。子供の目には「直感的に受け入れられない」ものが少なくない。それは長年の試行錯誤の末に人間が編み出した仕組みだからだ。あえて不自然になっているのには理由がある。
で、まあイケダハヤトが本気で社会の変革を考えるなら、こういう事も含めて、どうあるべきか、どうするべきか、を考えないとね…。まあ今は反発するのに精一杯のようで、その先には頭がまわらないっぽい。
ようするにイケダハヤトの考えが既存の常識に反するから未熟だと言われてるのではなく、考えが浅いから未熟だと言われる。「若者同士で共感したい」という段階で止まってるのが未熟と言われる所以。そこから先まで考えるなら、未熟とは言われないだろう。少なくとも俺は言わない。
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まあ共感重視の社会も一度行き着くところまで行かないと、次の段階に進めないのかもしれないけどね。このまま放っておいても日本は、共感重視(=同調圧力)の社会になりそうではある。
イケダハヤトは多様性を維持するために共感が必要だと考えているようだ。それは半分正しい。同調圧力に対抗するには群れる必要がある。集団を作り、異なる考えの集団から防備を固める。
しかしそれは同時に集団内に新たな同調圧力を生む。結束しなければ外敵(より大きな集団)に対抗できないからね。個人の意志を尊重すればいいんだと思ってるかもしれないが、個人の意志というのはそもそも教育に強く依存する。生まれた時から「これが正しい」と教育されてきた人間は、疑うという発想が出てこない。結果的に自ら進んで同調する。
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多様性というのは難しいものだ。自己矛盾を内包している。だからこそあらゆることの原動力でもあるのだが・・・。地球上の生物はそれぞれ自分の種を最大限反映させようと生存競争を戦っている。自分の種族による独占を図ろうとする行為が、結果的に様々な種族が共存する世界を生み出している。
永遠の「戦い」こそが多様性の本質であり、「共感」(集団化)というのは、ちょっと違うように思うんだよね。そういう要素もあるように見えるかもしれないが、本質ではない。
別な言い方をすると、思考停止につながる情報の共有とそうでない情報共有があると思う。後者はそこから新たな争い(論争)が生み出されるような情報共有だ。考えないために情報を欲しがる人と、考えるために情報をほしがある人がいる。
このバランスがどちらかに偏ると、停滞(完全な安定)や混沌(完全な無秩序)になる。それをどう調整していくかが課題(というかネット時代に即した調整機構をどう作り上げていくかが課題)。
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・・・ということで、ある意味イケダハヤトの出現を頼もしいと思ってるんだよね、俺は。ちょっと前のインターネットって、活気に満ちていたと思う。良くも悪くも社会が変わっていく予感に満ちていた。しかしなんか最近、反動なのかしらないが一気に保守化してしまった気がする。
挨拶の話も、もっと賛否両論百家争鳴してもいいと思うんだよね。それがなんか「挨拶は大事です」みたいなお行儀のいい意見ばっかりで、ホントつまらん。お前たちにインターネットなんていらない!と声を大にして言いたい。インターネットはみんなを同じ考えに染めるためにあるんじゃない!
執筆: この記事はメカAGさんのブログからご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2013年04月22日時点のものです。
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