本を愛する人々の稀覯書をめぐる物語〜『水底図書館 ダ・ヴィンチの手稿』

本を愛する人々の稀覯書をめぐる物語〜『水底図書館 ダ・ヴィンチの手稿』

 「東京駅の地下に水に囲まれた図書館がある? そんなわけないでしょ!」と一蹴するような読者には、ノンフィクションの方が向いているかもしれない。水気厳禁の図書館が水中にあることも、地下にそのような環境を整えることも、確かにあり得ないといえばあり得ない。だがこういうことは、「でもひょっとしたらあるかもしれないよな」と思った者勝ちである。本書で繰り広げられる、稀覯書をめぐる物語に耽溺するためにも。

 物語の始まりは東京駅。東京ステーションホテルから出てきたひとりの男を、灘未森は待ち構えている。しかし、男の変装は難なく見破ったものの、目当てのものは別の女が持ち去っていた。あわててそちらを追ったが、一足早く彼女の行く手を阻んだのは、貝塚秋。組織やギャラリーに属さないフリーの身ながら、高く評価されている古書ハンターである。秋の活躍もあり、マリー・アントワネットの食べた料理が紹介されている『女王のレシピ』という19世紀イギリスで作られた私家本は、盗難を免れた。近年暗躍を続けているのは、希少な古書籍である稀覯本を狙った国際窃盗団 “笑う猫”。その手に落ちた本は、秘密裏に売買され、二度と日の目を見ないまま死蔵される。ABAW(世界古書籍商協会)やICPO(国際刑事警察機構)などが連携して摘発に乗り出しているものの、組織の実態や首謀者の正体は杳として知れない。

 未森は『女王のレシピ』を携えて、水底図書館へ戻る。東京駅のホームを通り抜け、複数の鍵を開け、どんどん下っていくと人工湖のように見えるものが広がっている。その水面の底に存在するのが、水底図書館だ。正式名称は、『最重要秘匿帝都書庫』。少し長くなるが、この施設に関する説明を引用してみると、「大正期、東京中央停車場を建設する際、密かに造られた図書館である。この特異な建築のみならず、蔵書内容はいわゆる”稀覯本”ばかりを集めた、世界でも類を見ない図書館だ。戦後はGHQによる没収を恐れ、長く秘されてきた施設でもある」とのこと。構造としては、「この図書館は巨大な二重の水槽の中にある」もので、「水を満たした大きい水槽の中に、一回り小さい水槽があり、その中に建てられ」ている。「湖のように見えているのはその上面で、上から見ると、まるで水の底に図書館があるように見える」造りになっており、「図書館の外壁代わりでもある中の水槽は、両端をぎゅっと絞ったような形になっており、笹舟を連想させる形」。

 水底図書館で代々司書を務めているのは、未森もその一員である灘一族。図書館の扉の前で息子の未森を出迎えたのは、母のまり明。祖父の小次郎や祖母の綾音も、同様にここで働いている。館長は「五色夢二」として、こちらも代々の五色一族が担うものと定められていた。先代が病没したため、「夢二」の名とともに七代目の館長職を引き継いだばかりなのは、23歳の五色すばる。だが、彼女は現在病院で眠り続けている。就任して間もなく、図書館の中で倒れていたところを発見されたのだった。犯人もその動機も、いまだ判明していない。

 すばるの事件以外にも、未森の周りでは本にまつわるさまざまな謎が発生する。秋たちと協力して解決に当たる中で、ある人物がすばるの事件に関わっているのではないかという疑いが強まり…。

 地域や学校の図書館などであれば、蔵書は周辺の人々や学生たちが気軽に利用できる。けれども水底図書館の場合、その存在はほとんど知られていないし、貴重な古書を扱うという性質上利用者についても限定的にならざるを得ない。また、不定期で開催されている稀覯本のオークションでは多額の金銭も動く(金額の多寡が競りの決め手になることはないと言っても、一般人が気軽に入札できるレベルではない)。「人類の歩みそのものといった古書籍を集めた図書館は、本来は広く開かれて然るべきではないのか」というジレンマは、この数年未森が抱え続けてきたものだった。

 それでも最終的には、本書が本を愛する人々の物語であることは救いであると感じた。時に他人を傷つけ、裏切り、真実を隠す者たちの姿も本書では描かれる。それでも、「書は人を生かすものだ」「人が繋がり合う手段の最適なものが……本だ」といった言葉の数々には、本好きならば心を揺さぶられることだろう。中でも、未森の名前について語られた「人間の喜怒哀楽や知識は無限で、その無限を記したのが本でしょ? だとしたら、”本”に完成なんかあり得ない。その本を置く本屋や図書館も同じ。”未森”という名前は永遠に完成しない森……本そのもの、つまり人間そのものなのね」という言葉にはぐっときた。きれいごとばかりで生きてはいけないという事実に折り合いをつけながら、一方で本を愛する純粋な気持ちも持ち合わせている登場人物たちの姿に、リアルな人間味を感じた。これからの未森たちの物語をまだまだ読みたいと、強く思う。

(松井ゆかり)

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