万年筆からひろがる物語〜蓮見恭子『メディコ・ペンナ 万年筆よろず相談』
先日職場の20代女子と話していたら、「万年筆なんて、書くのはおろか、さわったこともない」と聞いて驚いた。でも確かに私も最近万年筆を使わないし、息子たちに買い与えたこともない。そもそもペーパーレス化が進む昨今、文字を書く機会そのものが減っている。
そんな現代において、万年筆店という仕事が果たして成り立つのだろうかという興味もあって読み始めた。題名にもなっている〈メディコ・ペンナ〉は、白髪の年齢不詳の店主・冬木透馬が営む万年筆店。
神戸の大学に通う野並砂羽は、就活がうまく行かず焦っていた。真面目に授業に出席してきた自分よりも、要領よく単位を取ったり教授に自分をアピールするのがうまかったりする学生の方が、どんどん内定をゲットしている。その日も、直前に受けてきた面接の感触が思わしくなく、雨の中わざわざ足を伸ばした三宮のカフェにも気後れして入店できずに気分が沈んでいた。そのまま歩くうちに「北野工房のまち」という観光スポットにたどり着くと、そこで開催されていたのは「神戸ペンフェア」という文具雑貨やステーショナリー関連のイベント。さしたる興味もない催しにすぐ引き返そうとした砂羽の足を止めさせたのは、「あなたの人生が変わります 万年筆よろず相談」の文字だった。筆記具や紙製品などの文具類が多数陳列される会場内で、異彩を放つ「よろず相談」の一角。そこでは、店主が男性客と言葉を交わしながら大音響で万年筆のペン先を削る、という動作が繰り返されていた。
結局その日は男性客対応がなかなか終わらず、砂羽はそのまま帰宅した。しかし後日、彼女は大学の友だちの山口美海と、〈メディコ・ペンナ〉へ向かう。神戸ペンフェアというイベントでおもしろい店を見つけた、と話したところ、美海が興味を示したのだ。砂羽同様、美海もなかなか内定を得られずにいて、「自分の万年筆持ってって、私らの就活が上手い事行かへん理由を鑑定してもらう」と乗り気に。美海は何本か万年筆を愛用しており、それを持って行くという。砂羽も大学の入学祝いに両親から万年筆を贈られたのだが、一度も使ったことがない。その万年筆は、うまくいっていない両親との関係を象徴するような品でもあった。
いろいろあって、砂羽は〈メディコ・ペンナ〉でアルバイトを始める。実際にこの店は、さまざまな悩みを抱えた人々が訪れる場所でもあった。自分の書きたいものと編集者からのニーズの違いに揺れる作家や職場でのモラハラに追い詰められて買い物依存に陥った会社員などの万年筆愛用者たちと接する中で、砂羽は自分の将来や家族との関係を真剣に考えるようになる。
個人的に最も印象的だったのが、登場人物たちの仕事に対する姿勢。考え方ってほんとうに人それぞれだなと思わされる。「世の中には、自分の好きなもので食えてる人ばかりじゃない。むしろ好きでもないし、向いてるとも思えない仕事を長い間、愚直に続けた結果、プロフェッショナルになる人の方が多いんじゃないかな」という透馬の言葉が、私にはいちばんしっくりきた。好きなことを仕事にできたらいいなとは、誰もが考えることだろう。けれどもそれが高じた結果、”好きなことを仕事にできなければ価値がない”みたいな考え方はけっこうまかり通っていて、多くの人々を苦しめているような気がする。いずれにしても、現状の社会のしくみは(特に新卒生の就職に関しては)”いろいろやってみて自分に合う仕事を探す”というやり方には向いていない。それでも、「これからご縁のある所でお世話になって、そこで自分の天職にもなるような仕事を探せばいい」という透馬のアドバイスが、就活に疲れた学生や先行きに不安を感じている人々の心の支えとなるといい。
万年筆という筆記用具ひとつから、こんなに話が広がっていくというのも驚きだった。やはり、言葉を伝える道具であるというところも大きいのかもしれない。透馬によれば万年筆は、「だいたい使い続けて二年くらいで、書き味が劇的に良くなる」のだそう。そこを、「初めから書きやすく調整」するのが透馬の仕事だ。〈メディコ・ペンナ〉とは、イタリア語で『ペンのお医者さん』という意味。他者の悩みを聞いて解決のヒントを提示するという彼の姿勢には、一貫したものがあるように感じた。
うまくいかないことがあっても、何度でもトライすればいい。初手でつまずいても、変化を恐れる気持ちがあっても、私たちは自分がほんとうに望めば進んでいける。
(松井ゆかり)
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